幕間⑤「お稲荷様のつぶやき その二」
お稲荷様のつぶやき。誰に聞かせるでもない、ただの独り言じゃ。
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病み上がりに嵐の掃除をやらされた神は、日本広しといえどわしくらいのものじゃろう。労災じゃ。組合に申請する。……組合の会長はわしじゃった。棄却じゃ。世知辛いのう。
体の方は、まあ、七割というところか。神格に空いた穴は、まだ塞がりきっておらん。それでも今朝、店の看板の「み」の字を直しておる零を眺めながら油揚げを食うたら、存外うまかった。うまいと感じるなら、神格というのは大丈夫なものじゃ。
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枕元に、守り袋が二つ、並んでおった。
新しい方は、羽田の匂いがした。総本社の、婆様の神気じゃ。まったく、あの婆様、わしが挨拶にも寄りつかんで幾星霜というのに、頼まれれば気前よく寄越すのじゃから、敵わん。今度、上等な油揚げを送っておこう。歳暮として。中元も飛ばした不義理の詫びも兼ねての。
問題は、古い方じゃ。
祠の守り袋。色の褪せた、あれ。……わしが縫うたのじゃ。もう、ずっとずっと昔に。針仕事なぞ柄でもないのに、狐の手で、夜なべしての。渡した相手は、受け取って、笑いおった。「商売繁盛の守りかい。ありがたいけど、うちの商売はあんたが座ってるだけで繁盛するよ」と。口の減らん男じゃった。
減らん口のまま、肌身離さず、最後の日まで持っておったそうな。
わしはそれを、後になって知った。後になって、というのが、人間と暮らすということじゃ。何もかも、後になってから知る。先に逝かれるということは、答え合わせを永遠に一人でやらされるということじゃ。
……あの頃のわしは、わしではなかった。
それだけ書いて、この話は終いじゃ。婆様の説教は、もう聞き飽きておるからの。
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それにしても、零よ。
羽田まで飛んだそうじゃな。店の金で。期限が七日と迫っておるのに、まる一日と航空券代を、わし一匹のために使いおった。挙句、帳簿に堂々と「赤字」と書いて、「商売人は欲張りなんだよ」ときたもんじゃ。
阿呆じゃ。あれは正真正銘の阿呆じゃ。
……阿呆なところまで、似んでもよかろうに。
顔が似ておるのは、まあよい。血じゃからの。「なんとなく」で客の欲しいものを当てるのも、血じゃろう。じゃが、あの阿呆さは何じゃ。損得を誰より数えるくせに、いちばん大事な帳尻だけ、平気で赤字にする。あの阿呆さだけは、血ではどうにもならん。あれは、あやつ自身のものじゃ。
――そうじゃ。そこが、違うのじゃ。
おまえさまは、待たせる男じゃった。「そのうち帰る」「今に楽させる」と言うては、わしを社で待たせた。零は逆じゃ。あやつは、待たん。店を空けてでも、飛行機に乗りおる。開けて、待つ側の男じゃ。……わしが千年、社で待つ側じゃったこと、あやつは知りもせんじゃろうに。
二人は、違う。
顔が同じでも、血が同じでも、違う。分かっておる。分かっておるとも。わしが見ておるのは面影ではないと、言い切れる日が来るのかどうか、それだけがまだ、わしにも分からん。分からんが――
先日、あやつが消費期限を開いたとき。あの背中に、昔のわしと同じ崖が見えたとき。わしは、面影のことなぞ、欠片も考えておらなんだ。ただ、零を止めねばと、それだけじゃった。
……なんじゃ。存外、答えは出かかっておるのかもしれんのう。
やめじゃやめじゃ。病み上がりに考える議題ではないわ。
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本日のつぶやき、これにて終いじゃ。
明日は看板の「み」の字が直る。「みそぎ屋」が「そぎ屋」のままでは、験が悪いからの。それと零に、羽田の婆様への歳暮の油揚げを、仕入れ値で融通するよう談判せねばならん。
……代金は、むろん、労働で払うてやる。看板娘は今日も座るだけで大繁盛じゃ。
「お稲荷様のつぶやき その二」お読みいただきありがとうございました。「先に逝かれるということは、答え合わせを永遠に一人でやらされるということじゃ」……この一行が書けたので、この幕間は成功だったと思っています。
次回は本編、経営回です。タイトルは「非公開株は買付できません」。タイトルがそのまま防御力です。
☆いただけると狐の油揚げが上等になります。




