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第10話「メアは負けヒロインになれない」

「――もう一回、再生してもらえます?」


 閉店後のみそぎ屋。イートインコーナーの長机に、葵のボイスレコーダーが置いてあった。第9話……じゃない、先日の襲撃のとき、葵が録音していた、あの読み上げの声だ。


『甲は、神力情報保護方針に同意のうえ、神格および付喪情報の提供につき、以下の条項に――』


「ここです。ここ、引っかかるんですよね」


 俺は再生を止めた。葵が手帳から顔を上げる。今夜の葵は、届出でも観察でもなく、「対策会議」の名目で来ていた。組合の事務局に行政が相乗りするのはどうなのかと思ったが、本人いわく「域外適用の違法性を確認した以上、継続調査は職務です」とのことだった。職務の解釈が日に日に広がっている気がする。いいことだ。解釈は広げるものだ。


「引っかかる、というと?」


「言い回しですよ。『同意のうえ』。……あの人、俺を撃つ前に、わざわざ俺の同意を読み上げてたんです。変じゃないですか? 問答無用の兵器なら、同意なんて要らない」


「……確かに。攻撃に同意条項は不要です。むしろ――」


 葵の手帳をめくる手が、止まった。俺と葵は、たぶん同じ一秒で、同じ場所に辿り着いた。


「あれ、攻撃じゃなくて『契約』なんだ」


「契約なんですね」


 声が重なった。


 そうだ。考えてみれば、俺は知ってたはずなんだ。天峰のときにやったのは、俺自身なんだから。権能ってのは、無理やりねじ込むより、相手の同意をくぐらせた方が深く通る。試食してみます? と差し出して、相手が自分の意思で口にした瞬間、権能は「取引」として成立する。あのライフルは、あれの工業製品版だ。読み上げは詠唱じゃない。契約手続きだ。同意を、取り付けにきてる。


「でも待ってください。契約なら、なんで一方的に成立するんです? 俺、あの晩、何にも同意してませんよ」


「みなし同意です」


 葵が、手帳に条文の構造を書きながら言った。役所の人の字は、こういうとき恐ろしく読みやすい。


「読み上げの最後、こう言っていました。『本条項に異議がある場合は読み上げ完了までに申し出るものとし、申し出なき場合は同意したものとみなす』――利用規約でよくある構造です。黙っていたら同意扱い。読み上げ完了までが、いわば『同意ボタンが自動で押されるまでのカウントダウン』なんです」


「……うわ。うわー、それ、一番嫌いなやつだ」


 ブラック企業で散々見た。「異議がなければ承認とみなします」のメール。深夜二時に送られてきて、朝九時に「異議なしでしたので」と確定される稟議。沈黙を同意に数える会計は、俺の帳簿では粉飾って言うんだよ。


「つまり、ですよ。葵さ……椿木さん。あのカウントダウンが終わる前に、俺がはっきり『同意しません』って言えば」


「契約は不成立。効力は発生しません。約款は、同意なしに相手を縛れない――先日、私が域外適用について指摘したのと同じ原則です。彼女のライフルは最新鋭ですが、最新鋭であるがゆえに、契約の作法をきちんと踏んでいる。踏んでいるからこそ」


「断れる」


 ――これだ。


 思わず、レジを平手で叩いていた。ちん、と年代物のドロワーが鳴った。


「これだよ。武器も権能も要らない。『結構です』の一言でいい。……なんだ、営業の断り方と一緒じゃねえか。俺、それだけは社会人時代、日本一うまかった自信がありますよ。断られる側として毎日聞いてたんで」


「威張るところですか、それ」


 葵が、ふ、と笑った。それから手帳を閉じて、真顔に戻った。


「ただし、店主さん。一度しか使えない手だと思ってください。彼女は必ず対策してきます。読み上げの高速化、同意条項の書き換え……次の一戦で決めきらないと、この穴は塞がれます」


「大丈夫です。一発で決めます。――うちは商店なんで。お断りの在庫だけは、切らしたことがない」


 ◇


 メアリー・チューリングは、三日後に来た。


 しかも今度は、事前にアポがあった。店のファックス(現役だ)に「十五時に伺います。前回の継続案件につき」と一枚。律儀なのか何なのか。おかげでこっちは、万全の閉店……じゃない、万全の開店体制で迎えられた。


 十五時ちょうど。自動ドアが開いて、金髪の特別顧問が入ってきた。ライフルは最初から手にあった。青い魔法陣が、前より速く、前より密度の高い条文を流しながら展開する。修理してきたか。それとも七割引の分を、根性でチューニングし直してきたか。


「予告どおり、参りました。本日は前回の計算の続きです。あなたの神力残高は、七割引シールの使用から回復していない。狐神は昼間は社の管理で不在が多い。行政の方の駆けつけ所要時間は最短十一分。……この十一分で、すべて終わらせます」


「相変わらず、数字がお好きで」


「数字は裏切りませんので。――読み上げを開始します」


 魔法陣が白熱した。条文の奔流が、銃身に収束していく。前回の倍速だった。妨害を織り込んだ速度。なるほど、確かに狐火も勧告も間に合わない。


『甲は、神力情報保護方針に同意のうえ、神格および付喪情報の提供につき、普通約款および特約条項の適用を受けるものとし、異議ある場合は読み上げ完了までに申し出るものとし――』


 来た。


 俺はレジカウンターに肘をついて、営業スマイルで、はっきりと言った。


「あ、同意しません」


『――申し出なき場合は同意したものと……え?』


 読み上げの声と、メアの生の声が、変な具合に重なった。


「同意しません。異議あります。特約条項も普通約款も、全部読みましたけど――あ、読んでますよ、俺。おたくの約款、先日の録音から全文書き起こして、昨日の晩に全部。第十二条の『神力情報の第三者提供』とか、正直ドン引きしました――というわけで、包括的に、明確に、お断りします。結構です」


 引き金は、引かれた。


 メアは撃った。読み上げ完了と同時、寸分の狂いなく。青い閃光が銃口から迸って、俺の胸の真ん中に、確かに命中して――


 そして、何も起こらなかった。


 閃光は俺の胸の上で、行き場をなくした宅配便みたいに数秒ふよふよと漂い、それから、ぱしゅん、と間の抜けた音を立てて消えた。魔法陣に、赤い文字が流れるのが見えた。


【同意を確認できませんでした】

【契約不成立・効力不発生】

【本取引はキャンセルされました】


「……は?」


 メアが、自分のライフルを見た。もう一度、俺を見た。またライフルを見た。


「そんな……ありえない。仕様書では、みなし同意条項で成立率は九十九点八……なんで、あなた、約款を、読んで……?」


「読みますよ、そりゃ。契約書ってのは読んでから断るもんです。社会人一年目で覚えた、唯一の特技なんで」


「なら、再送します! 条項を修正して、みなし同意の範囲を――」


 メアが銃を構え直した瞬間、魔法陣そのものが、赤く点滅した。


【警告:当該対象は明確な拒否の意思を表示済みです】

【社内規程第九条:一度明確に拒否した相手への再勧誘を禁じます】

【本装備はコンプライアンスに基づき、当該対象への再展開を停止します】


「なっ……ロック!? 解除、解除コード――」


「無駄だと思いますよ」


 店の入口から、声がした。息を切らせた葵が、手帳を掲げて立っていた。十一分かかってない。八分だ。走ってきたのか、この人。


「再勧誘の禁止は、消費者保護の基本です。御社のライフルは、御社のコンプライアンス基準で動いている。……立派な社内規程じゃないですか。担当役員に、お伝えください。規程は生きていました、と」


 メアリー・チューリングは、しばらく動かなかった。


 ライフルを下ろして、うつむいて、肩が小さく震えて――データにない揺れ方だった。再計算の顔じゃない。期待値の顔でもない。二十二歳の、ただの悔しがってる顔が、前髪の間からのぞいていた。


「……私の装備が……私の、ロジックで……」


「お客様?」


「これで勝ったと思わないでください……! こんなの、こんなのはただの手続き上のエラーで、私はまだ、何も……You haven't seen anything yet……! っ、」


 言ってから、彼女は自分の口を手で押さえた。英語が漏れたことに、自分で気づいた顔だった。それが一番、隠したかったものだったらしい。耳まで赤くなって、彼女はくるりと背を向けた。


「……撤収します! 本日のデータは、破棄!」


「あ、お客様、ちょっと待った」


 俺はレジ横の棚から一個つかんで、放った。メアは反射的に受け取ってしまい、手の中のそれを見て、固まった。プリンだった。


「営業妨害二回分の、粗品です。……原価率、見直しといたんで。十円値上げしました」


「っ……そ、そういう問題ではありません! ……もらいますけど!」


 自動ドアが閉まった。嵐みたいな人だった。ただ、嵐のわりに、プリンは持って帰った。


「……神様。今の人、完全に負けヒロインの帰り方でしたよ」と、棚の陰から見物していた翔。


「言ってやるなよ。……あれはたぶん、なれないんだよ。負けヒロインに」


 負けました、って顔じゃなかったからな。あれは「まだ負けてない」を今後も更新し続ける顔だ。うちの閉店セールと同じ理屈で動く顔だった。そういうのは、しつこいぞ。うちが証明してる。


【本日の売上:五万九千七百円(前日比プラス八パーセント)】

【本日の客数:三十九名】

【本日の勝敗:勝利(対特別顧問・初勝利。使用武器:「同意しません」の一言、原価零円)】

【粗品:プリン一個進呈(原価四十二円)】

【備考:約款は読んでから断る。当店に伝わる唯一の家訓として、今後も継承のこと】


 新装開店準備セール、十八日目。本日も、無事閉店せず。

「メアは負けヒロインになれない」お読みいただきありがとうございました。「同意しません」の一言、原価零円。うちの主人公の必殺技は今後もだいたい無料です。


次回は幕間。敗者の書いた始末書を公開します。提出用のやつと……提出しないやつと。


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