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第9話「チューリング特別顧問」

 額に銃口を突きつけられて迎える閉店時間というのは、人生と神生を通じて、初めてだった。


「動かないでください。読み上げ中です」


 銃口の向こうで、金色の髪の女が言った。若い。俺より若い。下手をすれば翔と大差ない。なのに、その青い目は、俺を見ていなかった。俺の「数値」を見ていた。棚卸しの目だ。


 女の足元から、青い光の輪が広がっていた。魔法陣――に見えるが、違う。光の輪の中を、細かい文字がびっしりと流れている。条文だ。第何条、第何項、別表第二。回転する約款が、銃身に吸い込まれるように収束していく。


「――甲は、神力情報保護方針に同意のうえ、神格および付喪情報の提供につき、以下の条項に――」


 読み上げの声は、静かで、早口で、よどみなかった。


 ……何なんだ、これは。


 十五分前まで、俺は普通に閉店作業をしていた。この人は普通に最後の客として入ってきて、普通にプリンを一個買って、レシートを受け取って、それから顔を上げて「確認しました。あなたが御削零ですね」と言って、次の瞬間にはこれだ。予兆ゼロ。名刺もなし。営業スマイルもなし。天峰も久遠も氷堂も、なんだかんだで「ご挨拶」から入ってきたのに。


「あのー。お客様。当店、返品はレシートがあっても、銃はちょっと」


「軽口はデータにありました。動揺時に頻度が上がる。今ので確信に変わりました」


 ……こわ。


「エターナル・リテール本社、特別顧問。メアリー・チューリングです。読み上げ完了まで、あと九秒。ご質問はその後に――」


「――伏せよ、零!」


 店の窓が、青白く光った。


 狐火が三つ、矢のように飛び込んで、床の魔法陣を焼いた。流れる条文の一角が焦げて、回転が乱れる。同時に、俺の襟首が後ろへ引っこ抜かれた。小さい手。千年物の膂力。カウンターの内側に転がり込みながら、俺は自動ドアの方を見た。


 くーちゃんと――なぜか葵が、立っていた。


「組合の夜回りに来てみれば……何じゃ、おぬしは」


「読み上げの中断を確認。……妨害要因、二。想定内です」


 メアと名乗った女は、慌てなかった。ライフルを下ろしもしなかった。ただ、こちらを見る目の焦点が、俺から三人全体に、すっと広がった。


「椿木葵、二十五歳、商工観光課。裏の所掌は神域担当。是正勧告の送達実績一件――氷堂執行役員の件、本社でも有名です。穴守葛の葉、推定千歳以上、狐神。化かしの有効半径と発動条件は、地引主任の報告から解析済み。そして御削零。権能『賞味期限』。同意による摂取、接触による貼付、延命による偽装、投擲による空中接近。全件、パラメータ化しています」


 すらすらと、諳んじた。手元の端末も見ずに。


「本日の目的は交渉ではありません。データの回収と、可能であれば神格の接収。あなたたちは五件の案件で当社の神格を六割減させた。本社はもう、神格を送りません。神格は負けましたから。ですので――」


 メアは、ライフルを構え直した。


「私が来ました」


「……人間、じゃな。おぬし」


 くーちゃんの声が、低くなった。俺も気づいていた。さっきから視界のラベルが、こう表示している。


【対象:メアリー・チューリング(人間)】【賞味期限:―――】【操作:対象外】


 対象外。当たり前だ。人間の「期限」なんてものを、俺は視ない。視えたとしても、絶対に触らない。そこは俺の、棚に並べない商品だ。


 そして、それをこの人は、分かって来ている。


「ええ、人間です。神力ゼロ。権能なし。……ご存じですよね、狐神様。太古の契約第三条。神は、契約によらず人の生命身体を害してはならない。あなたの狐火は、私には使えない。全力の神威も、化かしによる転倒も、傷害リスクがある時点でアウトです。一方、私のライフルは対神専用。人は撃てませんが、神は撃てます。……この非対称、数字にすると、どちらが有利だと思いますか?」


 店の中が、静かになった。


 これが本社の格か。神様を寄越すのをやめて、人間を寄越してきた。しかも、こっちの一番きれいな一線を、あらかじめ盾に折り込んでくる人間を。


「零。……下がっておれ、と言いたいところじゃがな」


 くーちゃんが、前に出た。その声から、「のじゃ」が抜けていた。


「今宵は、そうもいかん。手が足りん」


 ぽん、と軽い音がした。煙が晴れたとき、そこに立っていたのは、月色の髪の、大人の葛の葉だった。酔ってない。目が据わって、静かだった。宴の夜のとろけた気配とは別物の、刃物みたいな色気だった。


「素面でその姿になるの、初めて見ました」


「本気というのは、そういうことよ。……お嬢さん。人間を傷つけられない、というのはその通り。でもね」


 葛の葉が、袖を払った。店内の景色が、ぐにゃりと歪んだ。


「化かしに、傷はいらないの」


 世界が増えた。みそぎ屋の店内が、合わせ鏡みたいに四方八方へ連なって、そのすべてに俺たちとメアが立っている。どれが本物の標的か、分からない。撃てない。


「――幻影による照準妨害。地引の報告より三段階上……ですが」


 メアのライフルの魔法陣が、青から白に変わった。流れる条文が、倍速になった。


「当社約款、第四十八条。『表示と実態が異なる場合、実態に基づき再計算する』。景品表示法対策の社内規定です。……誇大表示は、修正します」


 銃口が、迷いなく、本物の葛の葉に向いた。幻影の店内が、端からデータの砂みたいに崩れていく。化かしが、約款に修正されていく。


「嘘でしょ……化かしを、規約で上書き?」


「化かしは『不当表示』。当社のコンプライアンスは、表示の是正が大好物です」


 まずい。まずいまずいまずい。葛の葉の化かしが削られたら、あとは対神ライフルの独壇場だ。俺は撃たれる側で、俺の権能はあの人に向けられない。詰み筋が見えかけた、そのとき。


「――第四十八条、ですか」


 葵の声がした。いつの間にか、店の防犯カメラの下に立って、手帳を広げていた。


「読み上げ、録音しました。エターナル・リテール社の社内約款第四十八条、当該条文の『実態に基づき再計算する』という効力を、神域内の第三者の権能に対して行使する――これは約款の域外適用です。貴社の約款は、貴社と契約した相手しか縛れません。葛の葉さんは、貴社と何の契約も結んでいません」


 メアの読み上げが、初めて、一瞬止まった。


「……行政の方の指摘としては、正確です。ですが実務上、発動してしまえば」


「発動の瞬間、神域活動指針違反として、その場で是正勧告を送達します。書式はもう書き上がっています。宛先は貴社代表取締役。写しは神社庁。――特別顧問ともあろう方が、域外適用の違法性を認識しながら発動した、と記録に残りますが。よろしいですか」


「────」


 読み上げが、止まった。倍速だった条文の流れが、止まった。


 分かる。あれは、理屈が通ってしまったやつの顔だ。ロジックで動く人間は、ロジックで刺されると、無視ができない。


 そして、俺の出番だった。


 権能はあの人に向けられない。けど――あの人の「装備」は、人間じゃない。


【対象:対神用約款ライフル(付喪装備・本社データベース接続)】【賞味期限:残り∞(保守契約による延命)】【操作:可能】


 保守契約で延命、ね。うちと同じことしてんじゃねえか、本社。


 俺はカウンターの下から、新しいシールを一枚、剥がした。半額じゃない。ずっと考えてた、まだ一度も使ったことのない禁じ手。半額の先。商売人が「損切り」を覚悟する数字。


 貼った瞬間、ごっそり持っていかれる感覚があった。神力が、腹の底から抜ける。そりゃそうだ。値引きってのは、引いた分を店が被るってことなんだから。


「――七割引!?」


 葛の葉と葵の妨害で静止していたメアの、そのライフルの銃身に。


【値引きシール:七割引(マイナス七十パーセント)】【対象:約款ライフルの接続および出力】


 青い魔法陣が、音を立てて明滅した。流れていた条文が、七割方、ただの光の粉になって床に落ちる。ライフルは沈黙こそしなかったが、もう、さっきまでの白い輝きはなかった。


「本社接続、出力低下……七十パーセント……こんな、装備そのものを見切り品に……!」


「お客様。当店、本日をもちまして――赤字覚悟の、大処分市でして」


 言いながら、膝が笑っていた。七割引は、洒落にならない。二度目は当分無理だ。神力の残高が、視界の隅で音を立てて減っている。


 三対一。化かしは削られ、条文は封じられ、装備は七割引。それでも――メアリー・チューリングは、倒れていなかった。ライフルを下げ、乱れた前髪を直し、淡々と言った。


「……再計算しました。本日の継続戦闘は、期待値がマイナスです。撤収します」


「素直じゃな、存外」


「数字に素直なだけです。それから、訂正を。本日の収支はドローではありません。私は皆さんの新しいデータを三件取得しました。狐神の本気、行政の即応速度、そして――七割引の存在とそのコスト。零さん、あなた今、立っているのがやっとですね? 次回はそこから計算を始めます」


 ……ほんと、こわ。


 メアは出口で一度だけ振り返り、それから思い出したように付け加えた。


「あと、そのプリン。会計は済ませてあります。領収書は結構です。……別に、美味しかったから言うわけではありませんが、原価率を見直すべきです。あれは安すぎる」


 自動ドアが閉まった。青い光の名残が、ゆっくり消えた。


「……なんじゃったんじゃ、あの娘」と、いつものサイズに戻ったくーちゃん。


「なんなんでしょうね。……ただ、まあ」


 俺はレジに寄りかかって、ずるずると座り込んだ。立ってるのが、本当にやっとだった。


「初めてですよ。うちの特売で、お客さんに『引き分け』にされたの」


【本日の売上:五万五千百円(前日比プラス二パーセント・うちプリン一個は特別顧問購入)】

【本日の客数:三十七名】

【新技:七割引シール、初運用。効果絶大。ただし原価割れにつき神力残高が危険水域、乱発厳禁】

【本日の勝敗:引き分け(当社比、初)】

【備考:本社は神格の投入を停止し、人間を投入してきた。相手の実力、測りかねる。継続案件】


 新装開店準備セール、十五日目。本日も、無事閉店せず。……閉店しなかったのが、今日ばかりは実力じゃなくて、三人がかりの結果だけどな。

「チューリング特別顧問」お読みいただきありがとうございました。メア、書いていて一番手強かった敵です。何しろ人間なので、こちらの必殺技がほぼ全部使えない。


次回は反撃編。彼女の完璧な装備には、たった一つだけ穴があります。ヒントは「同意」。


☆で応援いただけると、次回の作戦会議がはかどります。

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