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こちらは試し書きの小説になります。
突然内容が変わる場合がございますので、ご了承くださいませ。
机の上に山積みにされた書類は、今日中に決済が必要なものばかりだ。就業時間残り3時間の間にどうやってこれを処理しろというのか。自分の目の前に涼しげに立つ男は、きっと悪魔に違いない。雲雀は秘書官であるその男をぎろりと睨む。目の前に積まれた書類のせいで、その顔は半分以上隠れていた。
「大佐、椅子に座っているだけでは何も進みません」
上に嫌味を言われる私の身にもなってください!とぷりぷり口を尖らせると、彼はそのまま部屋を後にする。戸を閉める直前に、逃げたら許しませんからね!と念を押すことも忘れずに。部屋には、自分と大量の紙きれだけが残された。
逃げるなとはどういうことだ。誰がいつ逃げたというんだと閉ざされたドアを睨みつける。少し気分転換に何度か管内を散歩しただけで、職務放棄だ失踪事件だと大騒ぎだ。
昇進と同時に私の秘書となった遠矢雁という男は、余程自分のことが信用ならないらしい。男のくせにいちいち小言が多い。潔癖症なのか一日中デスクを磨いているし、眉間には常に大きな皺が2本。黙っていれば良い男なんですけどね…と彼の同僚であり自分の部下でもある男がため息をついていたのを思い出す。
この国、オーブ最大の都市であるヘリオトロープ中央部へ異動になり2週間。朝から晩まで書類と向き合う日々が続いている。最初の数日間は、前の人間と新しい自分との引き継ぎが必要でこのように書類が多いのかと思っていたが、4日目にして疑問が沸いた。書類の束を抱えて部屋に入って来た遠矢に向かって、「遠矢、もしかして私の仕事は…」と尋ねようとすれば、彼はちらりと自分を一瞥し、つかつかと歩み寄った。
「はい。夏目雲雀大佐。貴方の職務は、書類に目を通し、その内容に不備が無ければ決済していただく。そして会議にご出席いただくこと。それが最重要職務であり、それ以外はございません」
そう告げると同時に、どん、と容赦なく目の前に書類を積み上げ、数枚がはらはらと床に散らばった。
戦場で成果を上げることだけでここまで上り詰めてきた自分にとって、昇格することで今までとは全く違う職務を与えられることになろうとは、思いもよらなかった。これではあの役人どもがあんなにまるまると太るわけが分かる気がする。
戦闘指揮官としてしか働いたことのない自分にとって、一日中机に縛り付けられる毎日は苦痛以外の何物でもなかった。自分が表に出ていく必要のない平和な世の中になったということなのか。いや、これは恐らく一時的なもので、すぐにまた争いが起きるだろう。町へ出れば小さな揉め事やいさかいは日常茶飯事だ。それが積もり積もって、紛争になる。隣国との友好関係もいつまで持つか。我々軍の任務は、民の生活を豊かで安全なものにするため、身を呈して戦うことにある。いつでも動けるよう、机と睨みあう毎日に体が慣れぬように気を引き締めておかなければいけない。昔のようにヘマをして許されるような立場に今はない。自分の行動ひとつで、部下の命を危険にさらしてしまうかもしれないのだから。
そう考えたところで、自分がいつヘマをしたのだろうかと疑問に思う。過去一度として、自分は任務においてミスを犯したことはなかった。表の仕事も、裏の仕事もー。
また記憶が混乱し始めたか。
雲雀は舌打ちをすると、頭を軽く振り、こめかみを押さえた。
「しかしこう何週間も管内に缶詰状態だと息が詰まるな…」
持っていた万年筆を机に放り投げ、大きく伸びをする。
同時に、書類の山に埋もれた電話がけたたましく鳴る。山を押しやって受話器を取ると、通常は交換手が取り次ぐはずだが、相手は直通のダイヤルをご存じだったらしく、やあと友人のような挨拶を投げかけてきた。
「驚きました、あなた様直々にお電話とは。」
相手は軍の最高統括者、大元帥であった。自分のような者になぜいきなり。嫌な予感がしたが、平静を装う。受話器を耳にあてたまま椅子を回して窓の外を見れば、兵士たちが訓練をしている様子が目に映る。青い空が眩しく、良く晴れている。
どうやら今日の仕事はここまでになりそうだ。神経質な秘書官の苦々しい顔が頭に浮かんだ。
次の日は昨日とは打って変わって朝から曇り空で、午後からは雨になると秘書官がこめかみを押さえながら言う。天気が悪いと頭痛がするらしい。そんなに繊細な神経でよく軍人が務まるものだ。
コーヒーをお持ちしますと退室しようとした彼を呼びとめ、もう少ししたら私を訪ねて男性が来るのでこの部屋へ通すようにと伝える。彼はきょとんとした顔をして、「本日面会の予約は入っておりませんが…」と首をかしげた。
「大元帥からのお申し出だ。内密にな」
そう言うと、彼の表情は一気に険しくなった。昨日あれから私が外出し、そのまま戻らなかったことと何か関係があると察したらしく、それ以上は何も言わず、そのまま部屋を後にした。
昨夜待ち合わせの場所へ20分も遅れてやってきたのは、大元帥の第3秘書と名乗る女だった。腰まである赤い髪をなびかせ、真っ白なスーツに15センチはあろうかと思うピンヒールを鳴らしながら現れた。薄い紙切れを1枚渡され、これがhandに関する資料だと告げられる。その紙には、幼い少年の顔が白黒で印刷されていた。右下にサインペンのようなもので『結鶴、10』と書かれている。
「これは5年前の写真です。」
「随分古いな。では今は15歳か?もしかして資料はこれだけですとかいうつもりじゃないだろうな」
分かっていても言わずにはいられない。馬鹿にするなというように、相手を睨む。大きなサングラスに隠れて、表情は読めない。女はしばらく自分と目を合わせた後、ため息をついて腕を組む。壁にもたれ、ゆっくりとサングラスを外すと、今度は金色の両目でもう一度自分を見てはっきりと告げる。
「資料はそれだけよ。覚えたらすぐに燃やして」
態度が急変したと感じる。なかなかの美人だったが、これは一筋縄ではいかない、小難しい女だと見てとれた。第3秘書であれ、大元帥の命によりここへ来たということは、この件に関してだけはそれなりの権限を担っているのであろう。自分に選ぶ権利は無いのだ。
「handに関する資料は作成されていないの。そういうものは見せる相手が存在するから作成するものでしょ。この子のことはいずれ公にする予定ではいるけど、今の時点で知っているものは軍部内でもごく限られた人間だけよ。詳しくは本人から聞いて。明日の9時にはそちらへ行くようにさせるから」
そう言い残すと、彼女はサングラスをかけ直し、ヒールの音を響かせながら去って行った。きつい香水の香りはなかなか去ってはくれないようだったが。
暫くするとノックの音がして、「お客様がお見えになりました」と秘書官が入って来た。一人の少年を連れて。下を向いていたので顔は見えなかったが、思っていたよりも小柄な少年だった。
遠矢の顔は、こんな子どもに一体何をする気ですかという非難の表情に満ち溢れていた。
そういえば彼には男性が来るとしか伝えていなかったな。まさか子どもが来るとは思わなかったのだろう。秘書官の無言の訴えを無視し、「やあ、よく来た。待っていたよ」と子どもに声を掛ける。紅茶でも用意させようと笑顔を作れば、優秀な秘書官は「お持ちします」と苦々しげな顔をして部屋を出て行った。
ソファに座るよう促し、自分も向かいに座る。そこでやっと少年の顔をまじまじと見つめた。
15歳と聞いたが、かなり幼い印象に思えた。小柄で華奢な体格のせいだろうか。最近の子どもは発育が遅いのか。それともこの子どもが小さいだけなのだろうか。色の白さが線の細さをまた強調させていて、中性的な雰囲気を醸し出していた。
「私の名は夏目雲雀だ。大元帥から君の保護観察係を頼まれた。詳しい話は君から聞いてくれと言われている。私は君の力になれるだろうか」
今まで子ども相手に仕事などしたことがなかったので、勝手がうまくつかめない。しかし子どもだからといってご機嫌取りをしている時間は自分にはなかった。あの女秘書から名前と年齢以外の情報を与えられていないのだ。早く切り上げなければ、次の会議の時間までに処理しなければならない事案は山のようにあった。
子どもは両手を握りしめ、下を向いたまま、何も答えない。
「君が話してくれなければ、私はどうしていいか分からない」
なるべく優しい物言いになるように努める。部下からは普通にしていても怒っているようにしか見えないと言われる顔も、今は意識して柔らかくなるよう心掛けた。
「――結鶴」
名を呼ぶと、彼はぴく、と肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。先程観察した印象とは程遠い、強い藍色の瞳に釘付けになる。その瞳が自分を捕えた瞬間、大きく見開き、唇が微かに動いたのが分かった。
handは瞳の色が藍色であると聞いたことがある。その色の濃さで、力の強さが決まるのだと。それが本当ならば、彼の力は相当なものであるはず。大元帥が動くのも無理はない。
「君はhandだと聞いている。大元帥から頼まれていることがあるのでは?」
handという言葉に反応したのか、瞳が戸惑うように揺らめく。そして左腕にそっと触れた。見ると細いブレスのようなものを付けており、それは一瞬銀製のようにも見えたが、何の素材を使っているのか分からなかった。見覚えがあるような気がしたが、おそらく女達への贈り物を選ぶ際に、見かけたことがあるだけだろう。
「…斑鳩は、僕以外にも力がある者を探しています」
結鶴は、ゆっくりと口を開いた。斑鳩…大元帥をそのように呼ぶ人間がいるとは。彼はhandの力で何をしようとしているというのか。
途中で遠矢が紅茶を運んできたが、それに対して結鶴は「ありがとうございます」と礼を言い、ゆっくりと紅茶を口につける。そして美味しい、と小さく呟いた。子どもらしい一面に、こちらもなぜか安堵を覚えた。遠矢は満足そうにうんうんと頷いて、「お菓子も食べてね!」とクッキーを結鶴の傍に置くと、スキップする勢いで部屋を出て行った。単純な男だ。
「あなたは、この町を統括している立場にあると聞いています。あなたの力で、この町にいる人全てを調査するのに協力してもらいたいんです。最終的には、この国全ての人を調べるつもりでいます」
少し気持ちが落ち着いたのか、結鶴は先程よりもはっきりと要求を口にする。
自分の現在の地位であれば、この国の人間を把握することは容易い。また、現在置かれている仕事上、どの人間よりもそれを自由に管理することができる立場にあった。ヘリオトロープは全ての町の中枢であり、オーブの全人口の約半数がここに集中している。よってヘリオトロープを管轄する自分は、それ以外の町の把握も任務の一環であり、場合によっては、各機関へ様々な指示を出すことが可能だ。
しかし、大元帥であれば、わざわざ軍を通さなくとも国の内部資料など簡単に手に入るはずだ。なぜ彼を自分の元へ寄越したのか、明確な理由が思い当たらなかった。それとも、もっと別の目的が存在するのか。あの男であれば、何か思惑があるに違いない。涼しい顔をして、やることは容赦なく残虐な男だ。
ふと視線を感じれば、少年は強い視線を崩すことなく、じっとこちらを見ていた。
口元にあてていた手を下ろし、微笑む。
「分かった。明日にでもこの町に関する資料を君へ渡すようにさせよう」
そう言えば、少年は僅かに顔を緩め、感謝しますと礼を言うと、紅茶を飲みほした。
雲雀はその様子を穏やかに見つめながら、思案する。
―この少年にも監視をつける必要があるな。
子どもとはいえ、handであれば侮れない。どのような力を持っているのか。本人に聞いたところでわざわざ自分の手の内を見せるようなことはしないだろう。
だったらこちらから力を見せてもらうまでだ。
年老いた老人の言いなりになる自分ではない。
使える物は、子どもであろうとも利用する。
人殺しと呼ばれ、蔑まされながらも、そうやって今の地位を築き上げてきたのだから。




