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hands  作者: 綾人
3年後
13/15

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「いい?今から君の力を消す。僕の手のひらが離れたら、君は僕のことを覚えていない。僕達は出会う前に戻るんだ。」

 結鶴(ゆづる)は背をかがめ、少年の顔を覗き込んでにこりとほほ笑む。そしてそのまま、握りしめた左手を少年の顔の前にかざす。その手をゆっくりとひらき、何事かをつぶやいた。少年は彼の手のひらを見つめたまま、動かない。

 孔雀(くじゃく)はその光景を、少し離れた場所から眺めている。幾度となく目にしている光景だが、煙草を挟む指先が微かに震えているのが分かる。それを振り切るかのように煙を吸い込むと、大きく息をした。

 数秒後、結鶴は指先で軽く少年の額に触れ、腕を下ろした。


「…あれ?ボク……」

 少年は何回か目をぱちぱちと瞬かせ、自分の目の前にいる青年をじっと見つめる。

「大丈夫?迷子かな。ここはどこか分かる?」

 結鶴はまるで初めて会うかのように少年に話しかける。遠くから、少年の名前を呼ぶ母親らしき声が聞こえる。少年ははっとした顔をして、そのまま彼の横を走り抜けて行った。

「…さよなら」

 彼はうつむき、小さくそうつぶやいた。前髪に隠れて、その表情はうかがえない。

 その場には結鶴と孔雀の2人だけが残った。


「お疲れさん。今回は簡単だったな。」

 孔雀はさくさくと草むらの上を歩き、結鶴の元へと歩み寄る。今日は雲ひとつない快晴で、心地よい風が吹き、どこからか鳥のさえずりも聞こえる。空の青と風にそよぐ草木の緑が美しい。この丘からは、町の全体を見下ろすことができる。ここはこの町、ヘリオトロープ一番の絶景スポットだ。そして、結鶴が「儀式」を行う為によく選ぶ場所だった。

 こんなに空は澄んでいるのに、この場所とは対照的なその「儀式」は、いつも孔雀の心を暗くさせた。なぜ彼がここを選ぶのか、孔雀には理解できなかった。


「ありがとう。報告、宜しくお願いします。」

 結鶴は何事も無かったかのようににっこりと孔雀を振り返り、そのまま丘を下ろうとする。孔雀も慌てて彼の後ろを追う。

「あれ、一緒に行かないのか。」

「今日は特に問題も無かったし、わざわざ2人で行く必要もないと思うけど」

 こんなにいい天気だし、ゆっくり昼寝でもしたい気分だ、と、うーんと伸びをしながら結鶴は笑う。

「あ、でもお腹すいたな。先にお昼にしない?アカネさんの店でオムライス食べたいかも」

 草むらをかき分けながら2人で丘を下る。

 アカネのオムライスは格別だが、自分の今の気分はカレーだな、と孔雀は思う。考えていると急に腹が減ってきた。先ほどあんな場面に立ち会ったばかりだというのに、もうこんなことを考えていられる自分が嫌になる。当の本人はどう思っているのか。彼と3カ月仕事を共にしているが、全く読めない。未だに慣れない自分がおかしいのか。それとも日々流れ作業のようにこなされていく『儀式』で、彼の心はもう何も感じなくなってしまっているのか。分からない。

 

 ただ今は早くこの空腹を満たしたかった。



「は~い孔雀ちゃん結鶴ちゃんお待たせ!カレーライスとオムライスね~」

「お~アカネ今日も可愛いね~アカネのカレーはまぢ世界一やわ~」

 孔雀はアカネから皿を受け取り、カレー皿を自分の前に、そしてオムライスの乗った皿を目の前に座る結鶴の前に置きながら、頬が蕩けんばかりのにやつき顔で、アカネに話かける。もう~お世辞が上手いんだから孔雀ちゃんは!と満更でもなさそうに、アカネはスカートをひらひらとはためかせながらカウンターへ戻る。そこへ新たな客が入ってくると、きゃ~いらっしゃあい!と声を上げて駆け寄って行った。周りの若い男性客は皆、頬を赤く染めながら、そんなアカネを目で追っている。

 ここ『洋食屋akane』は町で評判の飲食店で、お昼時になるといつもむさ苦しい男達で満員だ。料理が安くて旨いというのはもちろんだが、それ以上にここのオーナーであるアカネ目当てで来ているやつらが大半だろう。孔雀もそのうちの一人だ。しかし、孔雀の目の前で黙々とオムライスを口に運んでいるこの男だけは例外だろう。

「…?なに、藤間(とうま)さん」

 孔雀の視線に気付いた結鶴は、スプーンを口に運ぶ手を止め、あんぐり口を開けた間抜け顔でこちらを見た。

「いや、ゆづはほんまにオムライス好きやなーと思っただけ」

 そう言うと、口一杯の頬を膨らませ、結鶴はぎろりとこちらを睨む。体は棒みたいに細いくせに、結鶴はとにかくよく食べる。今ももう既に皿の上には残り少しのケチャップライス。それをスプーンで掬い上げ、一口で平らげてしまった。


 孔雀は3ヶ月前、上司である夏目から、結鶴の警護を任された。警護といっても、結鶴も立場上は軍属ということになっているため、表向きは2人一組で町の治安維持を担っているという形なのだが。


 呼び出しを受け、執務室に入ると、夏目と結鶴が居た。夏目は椅子に深く腰掛け、その前に結鶴が立っており、ゆっくりとこちらを振り返った。

 軍服を着ているため結鶴も自分と同じということは一目瞭然なのだが、彼には軍人特有の匂いが全く感じられなかった。体つきも細く、鍛え上げられた様子はない。肌の色は白く、虚弱体質なのではないかと思わせるような不健康そうな顔色だった。身長も自分の胸元くらいまでしかなく、後ろ姿からでは女性と見間違うのではないかと思わせるようなおぼつかないラインだった。艶のある真っ黒な髪色と、その青白い肌が対照的で、中性的な雰囲気に惹き付けられた。前髪の間から見え隠れする藍色の大きな瞳だけが、その弱々しい雰囲気とは唯一異なり、強い意志を感じさせた。

 

 夏目は孔雀が入隊した時からの上司で、いくつもの戦場を共に生き抜いてきた。普段は仕事をさぼってばかりで、他の部下も頭を悩ませているが、いざ緊急事態となると頭のキレが尋常では無く、その判断力と腕っ節のお陰で、孔雀たちは今日まで助けられてきた。

 戦場での彼の多くの武勇伝は、兵士達に語り継がれ、英雄と称えられてきた。しかしそれと同じくらい彼を有名にしているのは、数々の女性との醜聞であった。普段殆ど表情を変えることのない彼が、時折見せる口許だけを緩めた笑顔が堪らない、と女達は言う。俺達部下にとってみれば、またとんでもない指令が下されるのではと震え上がる、悪魔の微笑みとしか思えないが。しかし彼女達が言うように、彼にはある種のカリスマ性があった。彼の立ち居振る舞いは、全てにおいて完璧で、男の自分でさえも見惚れてしまう瞬間が多々あり、その鋭い瞳に射抜かれれば、力を入れなければ立っていられないほどの畏怖の念を抱かせた。

 そんな彼が、3年前15歳の少年と密会しているとの噂を聞いた時は、女だけでは飽き足らず、ついに男にまで手を出したかと驚いた。それも15歳の子どもを。上層部のいけすかない老人達の噂話の格好の餌食だろうとひやひやしたものだった。しかし、心配する自分達をよそに、普段些細なことでヒステリックに騒ぎ立てる彼の秘書官がまったく慌てたような素振りを見せなかったので、きっと何か裏があるのだろうと思ってはいたが。その噂の少年が結鶴だったと知ったのは、つい3ヶ月前の話だった。

 

 なぜこんな少年を警護しなければならないのか。誰かに狙われてでもいるのだろうか。眉を顰める孔雀の前に歩み寄ると、その少年は右手を差し出してきた。

「結鶴です。藤間少尉、今日から宜しくお願いします」

 おずおずとその手を握り返す。見た目の印象と変わらず、その手は冷たく、孔雀の手のひらで殆ど覆ってしまえるほどしかなかった。


「藤間少尉の前に彼を警護していた者は、昨晩何者かに銃殺されている」

 夏目は なんでもない事のようにさらりとそう言うと、肘掛けに両腕を乗せ、ゆっくりと椅子を回して窓の外を眺める。

 孔雀はえ、と小さく呟くと、握っていた手を静かに離し、結鶴と夏目を交互に見た。

「だから君に警護を頼みたい。内密の任務だ。このことを 知っているのは、上層部の人間と私と君、そして遠矢秘書官だけだ」

 ちらり、と後ろを見ると、部屋の隅で遠矢が小さく頭を下げた。

 ―この野郎、3年も騙しやがって。後で覚えてろよ。

 恨みがましく睨みつけてやるが、遠矢は澄まし顔で夏目の元へ向かい、書類を手渡す。

「大佐、お話し中申し訳ありませんが、会議の時間が近付いております」

 もうそんな時間か、と夏目は時計を見て椅子から立ち上がる。

「話は以上だ。今から任務にあたってくれ」


 孔雀は敬礼をして、そのまま部屋を後にした。後ろを結鶴がついてくる。

 詳しい説明等は一切なかったが、どんな事情があろうとも、上司からの命令は絶対であり、忠実に遂行するだけだ。

 振り返ると、結鶴は藍色の瞳でじっと孔雀を見上げてくる。その瞳の奥を覗いても、何を考えているのか読み取れない。孔雀はふと、近所に住みついている黒猫を思い出した。自分にも周りにも何も期待をしていない。ただ与えられた環境に従って生きていく。だが人生を諦めている訳では決してなく、どんな状況であっても屈することなく立ち向かえる強さも持ち合わせている。猫と言えば、大事な恋人も気性の荒い猫のようだ。そんな事を思いながら、孔雀は両手を腰にあて、相手の目の高さまで屈み込んだ。


「今日からよろしくな。仲良くやろうぜ、ゆづるちゃん」

 にぃっと笑って告げたその一言に、整いすぎた少年の美貌は一瞬にして大きく歪んだ。次の瞬間、孔雀は思い切り力強いパンチを腹にくらい、前のめりになる。異常なまでの体格差のせいで、全く痛みは感じなかったが、人形のような顔をした美少年が起こす行動とは思えず、孔雀は驚いた顔で結鶴を見た。

「ゆづるちゃんじゃない。子ども扱いしないでくれるかな」

 そう言い放つと、結鶴は踵を返してすたすたとその場を後にする。


 孔雀は暫く呆然とその場に立ち尽くすと、腹をさすりながら、にやりと口角を上げた。

「…おもしれーじゃん」

 

 懐かないと逆にやる気になるというもの。気性の荒い恋人を落とした時もそうだった。


 こちらの猫も、なかなか気が強そうだ。

 

 


 


 

 


 



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