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hands  作者: 綾人
再会
12/15

7

最近とても忙しいです。

でも何も進んでいない。なぜだろう…

 普段は何事にも動じることのない自分が、あの時は理性を保つことができなかった。あの少年が絡むと、なぜか感情がいつもより敏感になってしまうことに、無意識に気付いてはいた。それは彼の15歳という年齢や、特殊な能力のせいか、もしくはあの人目を引く容姿のせいだと解釈していた。しかし今この瞬間に、それは完全な思い違いであったと確信する。

 彼の首元の痕に気付いた時、これまで感じたことのない感情が胸の中で沸きあがるのを、抑えることができなかった。

 この感情を言葉でどう表すのか、3年前のあの時は分からなかった。


 あの日以来彼には触れていない。

 しかし気付いてしまったこの感情に、自分自身を騙せるはずも無く、ただ目を向けぬように蓋をして、いつか風化される日をひたすら願うだけ。

 彼への想いが消えてなくなる、そんな日が訪れることなど無いことすら、もう気付いてしまっているというのに−






 どれくらいの時間が経っただろうか。

 気が付くと、互いの唇はいつの間にか離れ、心配そうにこちらの様子を窺う雲雀の顔が近くにあった。

 なぜそんな顔をするのかと不思議そうに見つめると、雲雀は「落ち着いたか」とあやすように結鶴の背を撫でた。

 どういう意味だろう。すぐには分からなかったが、徐々に取り戻して行く身体の感覚に、自分の呼吸が酷く乱れていたことに気付く。それに気付くと、一気に視界が開け、周りの状況がはっきりと目に入ってきた。

 ゆっくりと首を動かして周囲を確認すると、いつのまにか二人並んでソファに腰を下ろしており、雲雀はもう片方の手で結鶴の左手をしっかりと握りしめていた。

 どうやら一瞬意識が遠のいていたらしい。有り得ない自分の失態に動揺するが、雲雀は唇を重ねた程度で意識を失った結鶴をからかう様子も無く、優しく背中を擦り続けている。皮肉好きの普段の彼からは想像もつかない紳士的な態度だった。


「…僕、もう、戻らないと…」

 早くこの場から離れたいと思い、そう言って立ち上がろうとすると、雲雀が握る手に力を込め、それを制してくる。

「昨日から寝ていないのだろう。もう少し休んでいくといい。まだ遠矢も暫くは来ない」

 腕を引かれ、元の位置に座らされる。今日の彼の言動はいつも以上に予想がつかず、結鶴は戸惑うように雲雀を見つめ、瞳を彷徨わせた。

 握られた左手が熱い。

 それでもまだ頭がぼんやりとしたような感覚があり、結鶴は雲雀に促されるままソファに背を預け、楽な姿勢をとった。

 瞼を閉じ、深呼吸を繰り返していると、雲雀が声をたてずに小さく笑う気配を感じた。

 何がおかしいのかと不審に目を開くと、雲雀は穏やかな顔つきで満足げに結鶴を見ていた。本当に今日は彼が分からない。


「…僕より貴方の方が、徹夜明けでネジが外れたように見えるんですが」

 眉を寄せ皮肉たっぷりに言うと、雲雀はいたずらを叱られた子どものように、瞳を左右に動かしていたずらに笑う。

「変人扱いは困る。先程まで毛を逆立てていたのが嘘のように大人しく納まってくれているなあと思っただけなのだが」

 いつの間にか、普段の彼に戻っていた。

 茶化したように言う雲雀を結鶴が睨みつけると、雲雀は冗談だよ、と呟き、すぐに表情を落とした。


「私の方が少し混乱していた。君を怒らせるような言い方をしてしまった。…すまなかった」

「………」

 彼に謝罪されるようなことは何もない。敢えて挑発するような物言いをし、雲雀を怒らせるように仕向けたのは自分の方だ。

 結鶴は緩く首を横に振り、俯いて握られた左手に目を向ける。


 雲雀はこの間の時といい、なんの戸惑いも無く自分に触れてくる。

 彼は自分が恐くないのだろうか。

 頭の中でそんな疑問が浮かんだが、口にすることはなかった。


「先日の事件と書庫での事件は公表されることはないだろう。まだマスコミも嗅ぎつけていないようだ。安心するといい」

 雲雀の言葉に、結鶴は驚いて雲雀を見る。


「―――?どういうことですか」

「君がその左手を使って彼らを殺した証拠はない。恐らく、君に嫌疑がかかることはないだろう。君の力を知っているのはごく一部の人間だけだからな」

 今度こそ、彼の考えが全く理解できなかった。

 上層部へ結鶴を突き出し、handの力で彼らを殺めたこと、それは全て大元帥の策略であったことを明かせば、雲雀が嫌悪している大元帥を今の地位から引きずり降ろすことができるというのに。

 

 困惑している結鶴の様子を見て、雲雀は困ったように笑う。

「君が大元帥の命で彼らを殺したことは、考えなくとも分かる。命令は絶対だ。たとえ自分の意志に反していても、命令に背くことはできない。君は命令に従ったまでで、君に非は無い」

 雲雀は自身に言い聞かせるように言うと、結鶴を見て優しげに笑った。


「…私は、君に何を期待していたのだろうな」

 その言葉が合図のように、彼の瞳に縫いとめられ、視線を外すことができなかった。指先が結鶴の頬に触れる寸でで止まり、結鶴の意思を確認するかのように見つめられる。触れられてもいないのに、指先から彼の熱が伝わって来るような気がして、顔が熱くなった。握られた左手にも、知らず力がこもる。

 

 これ以上は無理だ―

 そんな風に優しくしないで欲しい。笑いかけないで欲しい。触れないで欲しい。

 彼との距離をこれ以上狭めてはいけない。気持ちに歯止めが利かなくなると分かっていたからこそ、彼に対して冷たい態度をとってきたというのに。

 何か言わなければと口を開こうとするが、殆ど呼吸することさえままならない緊張感で何も発することができない。拒絶の言葉を口にする代わりに、無意識に彼の指先に自分の手を重ね、縋るように彼の瞳の奥を覗き込んでいた。

 

 結鶴の反応に、雲雀は一瞬驚いたように瞳を見開く。そして困ったように口許だけで笑うと、重ねられた結鶴の手を絡めとり、手の甲に口づけを落とした。彼の唇のひんやりとした冷たさに、一瞬体が硬直する。ゆっくりと唇を離す彼の睫毛の先をぼんやりと眺めていると、瞼が開き、こちらを見つめる漆黒の闇と目が合う。その瞳が徐々に近くなり、また閉じられると同時に結鶴も目を閉じた。雲雀は結鶴の唇に、軽く触れるだけのキスをする。雲雀の下ろした前髪が、結鶴の頬を掠めた。彼の匂いが微かに香り、その深い甘さに引きずられそうになる。唇が離れても、彼の体温がまだ残っているような気がして、結鶴はその場から動けなかった。


「…君に触れるのは、今日が最初で最後だ」

 そう言うと、雲雀は結鶴の指先にもキスを落とし、その手を離した。まるで決して破らないと誓いを立てるかのように。


「…もう、帰らないと」 

 結鶴は苦しそうに顔を歪め、勢いよく立ち上がる。しかし左手を握る彼の腕は離れていなかった。

 手を離して欲しい、というように振り返ると、こちらを見上げる雲雀と目が合った。彼は困ったように笑うと、結鶴からするりと手を離す。名残惜しそうな表情をしていたように見えたのは、気のせいだろうか。


「水鶏という少年については、こちらでも調べておこう。また何かわかったら連絡を」

 雲雀は両手を膝の上で組んで前屈みになると、こちらを見ずに言う。

「…はい」

 結鶴は一礼すると、彼の横を通り抜け、振り返ることなく部屋を後にする。

 廊下に出て、背中で扉の閉まる音が聞こえた途端、へなへなとその場に蹲った。足元を見ると、膝が微かに震えている。


 一瞬、彼の心の中に入り込めたような気がした。handの力ではなく、彼自身が自分を受け入れてくれたように思えた。

 だがそれはただの錯覚だった。

 今日のこの出来事によって、自分と雲雀の距離はこれまで以上に離れてしまった。

 もう交わることなどないのだ。


 そう思うと、急に目の前が真っ暗になったような気がして、結鶴は茫然と目の前に続く長い廊下の先を眺めた。

 初めから、明かりなど灯っていなかったのに、今こんなにも何も見えないのは何故だろう。期待していたのは彼の方ではなく、自分の方だった。彼にもう一度会いたいなどという願いではなく、彼の傍にありたいと願う希望の光に支えられてこれまで生きてきたことに、今になって気付く。その光が消えた今、この無限の暗闇の中をどう歩けばいいのか。


 結鶴は雲雀に触れられた左手を胸に抱え込むように握ったまま、その場から動くことができなかった。


 彼を想っている。

 この想いが恋だと気付いてしまった。

 


 


 

 

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