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毎日暑いですね。
皆様くれぐれも熱中症にはお気をつけくださいませ。
もし、命令に背くような行いをした場合、左手は取り付けられたブレスによって簡単に切断される仕組みになっている。そうなれば、僕の左手は手首から先がすっぱり切れて無くなってしまう。当然力も使えなくなる。handの力は、手のひらを物体に接触させることによって働くためだ。
本当にそんなものが脅しの材料になっているとでも思っているのだろうか。ブレスの力に頼らなくとも、自らこの手を切断しようと何度も考えた。しかし今日まで僕の手首は繋がったままで、今も呪われた力を使って過ちを犯そうとしている。
この世で一番恐ろしいのは、自分自身だ―
扉の開く音に、結鶴は手にしていた本から顔を上げた。結鶴は管内にある書庫に居た。そこで書棚を背もたれに、人間の精神構造について書かれた本を読んでいた。どうしてもその本が読みたかったわけではなく、ここで会う約束をしていた相手を待つ間、一番奥の棚にあったこの本がたまたま目に止まったので目を通していただけに過ぎない。
規則的な足音が近づき、迷うことなく結鶴の居る場所までやって来る。結鶴は本を閉じると、待ち合わせの相手に極上の笑みを向けた。
「こんな所へ呼び出してしまってすいません」
読みかけの本を元の場所へ戻そうと背伸びをして腕を上げると、相手はすばやく結鶴の後ろへ回り、本を持つ結鶴の右手にやんわりと触れる。そしてそれが合図のように結鶴の手から本を受け取り、簡単に元の位置へ納めてしまう。男はそのまま後ろから結鶴の体を緩く抱きしめると、「君に早く逢いたくてね。会議が終わって早々に秘書を捲いてここへ来たんだ」と耳元で囁いた。結鶴がくすぐったそうに頭をゆるく振ると、腕の力が強まり、結鶴は男の腕の中にすっぽりと収まってしまう。
「まるで夢のようだよ。君が私の腕の中にいるなんて」
handがこんなに美しい少年だとは思いもよらなかったと、男は興奮した様子で体を屈め、結鶴の首筋に口づけを落とす。結鶴の軍服の襟元を緩め、ゆっくり下へと辿りながら、味わうように柔らかく触れる。そして位置を定めると、吸血鬼のようにきつく吸いつき、一瞬音をたてて唇を離した。白い首筋にほんのりと紅く色づいたそこを満足そうに指で撫でると、振り向かせた結鶴の顎を掴み、ゆっくりと顔を上げさせる。男のその行為に、結鶴は表情一つ変えずに身を委ね、受け入れていた。男の瞳と結鶴の瞳がゆるく重なり合う。結鶴の濃い藍色の瞳に、男の顔が恍惚とした表情に変わり、身震いするかのように体を揺らした。ただの言い伝えと言われていたhandが、今自分の目の前に立っているこの少年であり、自分への忠誠を誓っていることへの興奮が収まりきらないようだった。
「まさかその力を持つ人間が本当に存在したとは。君の力があれば、この国は私の手中にあるも同然…。君が私への忠誠を誓うのであれば、私も君を悪いようにはしない。私を選んだことを後悔させはしないよ」
そう言って男はいやらしく口角を上げて笑うと、今度は結鶴の唇に顔を近付けた。それを避けるかのように結鶴は男の眼前に左手を翳すと「僕の力が必要ならば、僕への誓いを証明して見せて下さい」と、男を見据えた。
その言葉に、男は片眉を上げ結鶴を上目に見ると、大げさに結鶴の左手首を掴み、自分の元へ引き寄せる。そしてそのまま誓いの儀式の真似事のように、手の甲に口づけを落とした。途端に男は体勢を崩し、後ろ向きに倒れこむ。男が倒れた衝撃で、棚からいくつもの本が落下し、男の上に散らばる。その中に、先程戻したばかりの本も混じっていた。
「…この変態野郎」
結鶴は男を冷たく見下ろすと、ぴくぴくと微かに痙攣する体を足で思い切り蹴り飛ばした。
まどろんでいた意識が一気に覚醒する。まるで優雅に泳いでいた海中から、突如空中にものすごい圧力で押し出されるような。目の前には熱いくらいの眩しい太陽があり、目を開けていられない、そんな感覚。雲雀は突っ伏していた机からゆっくりと頭を上げる。眩しさを感じたそれは太陽ではなく、傍に置かれたスタンドライトだった。
いつの間にか眠っていたらしい。久しぶりに夢を見た。ここ最近ろくに寝ていなかったからか、おかしな夢だった。
汗をかいたらしく、シャツが湿っていた。椅子を引いて立ち上がり、窓の外を眺める。山頂が白く輝いて、その周りが赤紫色に色を変えて朝日を迎えようとしていた。もうすぐ夜が明ける。時計を確認すると、シャツの釦を外しながら冷たくなったコーヒーを飲み干す。あと数時間もすれば、口煩い秘書官が一向に進んでいない書類に文句を言いながら執務室のドアを叩くだろう。身繕いを整えておかなければ、何を言われるかたまったものじゃない。無精髭をさすりながら、溜息をついた。疲れていた。
ここ最近、町の様子がおかしい。 我々軍の制圧によって成りを潜めていたテロリストや強盗団が、数日のうちに動きを見せ、方々で事件を起こしている。それだけではない。町の人々の喧嘩や争いも絶えない。まるで皆、日頃の不満や鬱憤を押さえる弁を抜かれたように、沸々と湧き上がる己の欲求や感情のまま動いているように思えた。町全体が濃い霧に包まれたような不穏な空気を纏っているようだった。
いつからだ。
「失礼します」
扉が開き、小柄な少年が顔を覗かせる。
そう、この少年が来てからだ―
これはタイミングがいいと言うべきかどうか…。
雲雀は平静を装って結鶴を見つめた。
結鶴は、扉の前で立ち止まったまま、中へ入ろうとしない。
「どうした。入ってこないのか」
「…こんな時間にすいません。明りが洩れていたので」
入室を促すと、少しこちらの様子を窺うようにゆっくりと中へ入り、雲雀の前へ立つ。小さな灯りと窓からの薄暗い光の下で見る彼の顔は、人形のように完成された造作で、俯いた目許に落とされた濃く長い睫毛は、この静けさの中だと瞬きをする度にその音が聞こえてきそうな気がした。白い肌が一段と青白く見え、この世のものではないかのような錯覚に陥りそうになる。
「こんな時間まで残っているとは。子どもはまだ寝ている時間だろう」
茶化すように言うと、眉を潜めて不満を訴える視線を向けてきた。
普段は大人びた態度だが、少しからかうと途端に年相応の姿を見せる。
この子どもの見せる態度や発する言葉の、一体どれが真実なのか。
「書庫に居ました。時間を忘れてしまって…いつの間にかこんな時間に」
そう言いながら、彼は雲雀の顔をじっと見つめる。なんだと目で問うと、いつもと感じが違うのでと口籠った。普段は軍服に髪も撫でつけているが、今は釦も辛うじて下の方がいくつか止まっているだけのシャツ姿に、髪も崩しているため伸びた前髪が顔にかかっている状態だ。その上髭面ときたものだから、彼のような子どもには、さぞかし自分は老け込んで見えていることだろう。
「徹夜明けはいつもこんなものだ。一週間程泊まり込んでいるからな。さすがにそろそろ帰りたい」
嫌な夢まで見る始末だ、と自嘲気味に笑う。
「どんな夢を見たんですか」
問われ、そう言えばどんな夢だっただろうかと思い返す。夢というのは感覚だけは後を引くが、夢の内容自体はすぐに薄れてゆくものだ。嫌な夢と片付けただけで、どこが嫌だと感じたのかイマイチ分からない。ただどうしようもない不安に駆られ、必死で彼を捕まえようと手を伸ばした所までは覚えている。
―――彼?
どうやら、夢の中の登場人物は男性だったらしい。相手の顔を思い出そうとするが、完全に覚醒してしまった頭ではもう手繰ることはできなかった。頭にもやが罹ったような不快さを感じた。そこでふと我に返ると、結鶴が不審げな表情でこちらを覗き込んでいた。
「私のことはいい。仕事の進み具合はどうなっている?」
一瞬流れた気まずい空気を振り払い、雲雀は話をすり替える。自分のことを話すのは好きではない。特にこの少年の瞳に見つめられると、余計なことまで口にしてしまうような気がした。これもhandの力か。そっと、彼からの視線を逸らす。
「…一人。handと思われる人物を見つけました」
その言葉に、雲雀は伏せていた顔を上げる。いつ、という問いに、3日程前という答えが返ってきた。
その言葉に雲雀は顔を曇らせる。
「何故報告しない。君にはその義務がある」
結鶴には監視をつけていた。報告では特に変わった様子はないとのことだったが。
「申し訳ありません。今日まで確信が持てなかったので」
結鶴は悪びれる様子もなくさらりと謝罪すると、その人物について説明を始めた。
対象の名は水鶏。8才の少年で、3才の弟がいる。両親は彼の力には気付いていない様子だが、本人は自分が他人とは異なる力を持っている自覚があるようだという。水鶏の持つ力は、相手の心を読む、透視能力。
「僕の能力についても少しの接触で読み取ったようです。僕と自分は同じだと言っていました。彼の透視能力は、かなり強いと思われます」
「それでその少年を、家族から引き離し大元帥の元へ連れて行くというのか。君のように、大元帥の為にその力を使えと?」
雲雀の突然のきつい物言いに、結鶴は驚いたように彼を見た。
「…何が言いたいのですか」
「大元帥の命とはいえ、こちらも君達の真の目的が何なのか知らなければ協力は難しい。ただ伝説とされてきたhandを探すだけが目的ではない。それをどう使うかが重要なはずだ」
そう言うと、雲雀は結鶴の襟元に手を掛ける。結鶴は一瞬身体を硬直させたが、抵抗することはなかった。
「…そちらの言うことを鵜呑みにするつもりはない。己の手の内を明かさずとも、私の協力を得られると?」
結鶴は分からないというような顔をして、雲雀の真意を探るように瞳の色を濃くし、雲雀を見つめる。
突然の態度の変化に困惑しているようでもあった。
酷く気分が悪かった。数時間前の報告が無ければ、まだ子ども相手に気楽な会話ができたかもしれないというのに。苛々して、冷静さを失いそうになる。それは徹夜続きで頭が麻痺して高揚している為か、それとも目の前の少年のせいかは分からない。
雲雀は結鶴の首筋にある紅い痕跡に目を向けると、これまでとは違う、低く抑えた声音で問い掛けた。
「君が管内で何をコソコソ嗅ぎ回っているのか、教えてもらおう」




