第五話 禁中の陰陽師 弐
「逃げたか。くそ」
緋ノ坂が吐き捨てる。
「陰陽師。お前が横から入らなければ斬れていた。気まぐれに禁中から出てきたと思えば、此方の邪魔とは何がしたいんだ」
「そちらが余計な手出しをしなければ祓いは成功していた。……やはり、犬と言うだけあり、気が早いな。”待て”は教わっていないのか」
唄うように流暢に言葉を発する陰陽師の男に、緋ノ坂は眉を顰める。構わず、「それに」とため息を交えながら陰陽師の男は続ける。
「貴様達がどう斬ろうとしても祓えてはいない。中途半端な行為は邪魔なだけだ」
「どう言おうと知らんが、俺達はこれまでもこうやって市井を守ってきた。安全な禁中で呪い事をしている陰陽師様とは違う」
「市井で清めの武器を振り回し、祓いごっこをして満たされた気分になっているなら大層なことだ」
「ならば、京の人間が喰われるのをただ待てと言うのか」
二人の間に、きん、と冷たい火花のようなものが散った。
緋ノ坂が睨み付けるが、陰陽師の男は余裕の表情で立っている。
静かにやり取りを聞いていた雪凪は、石畳に残る黒い染みのような痕跡を見下ろしていた。
「緋ノ坂さん」
「何だ」
「この任務は失敗でしょうか」
「…………いや、継続だ」
緋ノ坂は、気を取りなおすように首を振った。影方として生きる者として、任務の失敗は当然許されないことである。あの妖を倒すことが任務であれば、倒すまで戦い続ける必要がある。
「雪凪、あの妖は追えるか」
「追えると思います。ただ、時間が。目が効きづらいです」
夕刻はとっくに過ぎ、夏虫が騒ぎ始める時間が始まっていた。
「そうか。ならば今日は調査だ。退治は明日再度……」
「待て」
先ほど同様、気配もなく、陰陽師が雪凪の前に降り立った。
「え」
雪凪が顔を上げるより早く、男の指が顎の下へ添えられる。強く掴まれたわけではない。だが、視線を逸らすことを許さないほど自然に、雪凪の目線は上を向かされた。宵闇の中の参道では、鬼灯型の提灯がぱちぱちと弾ける音を立てている。その灯を受けて揺らめく濃紺の瞳が雪凪を覗き込んでいた。
「……何でしょうか」
通常、殆ど動揺することがない雪凪が珍しく情報処理が出来ずに困惑していた。
(この人、気配が本当に独特)
その流れ行くような気配は、水や木々、月などの自然物と同じような物だ。ただ、そこにあるだけ。殺気は無い。攻撃の意図は無さそうであるが、それでいてその気になればすぐに首を落とせる距離だ。
「お……おい!」
慌てた緋ノ坂が走り寄る。
「娘、妖の残穢が視えるのか」
琥珀の目は瞬きを二度ほどして、
「視えますが」
そう、当たり前のように返した。
本来、妖が残す黒い煙のような痕は殆どの人間は目視することはできない。影方のような特殊な武器と京鎮大社の加護を受けることで、靄のように視える程度。陰陽師であればもっと形取って視える。しかし、痕を追うことが出来る程の目は持っていない。
「では、これは視えるか」
陰陽師の男は徐に懐から扇子を取り出した。上衣と同じ深い藍色に染まった扇子には銀の鳥が描かれている。そして、緩やかに扇子を振る。銀が舞うように流れた。
「キジ、でしょうか」
雪凪の目が捉えたのは、鳥だった。銀で編まれた鳥が月光のように瞬き、空へと羽ばたいていった。キジのように華やかで、それでいて優美に飛んでいく。
ほう、と陰陽師は呟いた。
「目が良すぎるな。これは陰陽師の血を引く者でも朧げにしか追えない程度の霊力で成っているものだぞ」
「体質のようです」
雪凪からすれば、体質のようなものだ。御庭番・影方となった時から知った体質。耳が良い、鼻が良い。それと同じように目が効く。それだけだと思っている。
「体質、か」
すうっと、陰陽師の男は目を細めた。扇子を畳むと、その瞬間にキジは夜空から流星のように消え去った。
「それで、あの妖を祓うにはどうしたら良いのでしょうか。あれは実体を既に失っていると仰いましたね。実体を失ったものはどうやったら斬れるのでしょうか」
雪凪は、目の話しなどどうでも良いとばかりに雪凪は口にした。
雪凪からすれば、実体さえあれば妖を斬ることことができると思っている。妖にある核に、京鎮大社の清めを受けた刃を差し込むことで、通常妖は退治することができる。
しかし、実体がないのであれば話は別だ。
「貴様達には無理だ」
「何故でしょうか」
「先ほどから言っている。その清めを受けた武器程度では妖を払うことにはならない。真に妖を祓うのは陰陽師しか出来ぬ」
「ならば、陰陽師様が祓っていただけますか」
脇道には、砕けた狐面の残骸と、石畳に滲んだ黒い染みだけが残されている。祭りの音は、少しずつ戻ってきていた。笛の音、太鼓の響き、人の笑い声。つい先ほどまでこの場所で妖が子供を喰らおうとしていたことなど、参道の誰も知らない。
「はっ。禁中の陰陽師にそのようなことを言う者はそうはいないぞ」
「任務の為です」
くくく、と面白そうに陰陽師は笑った。
「その良い目は今は使えないのか」
「自分の目が最も妖を捉えられるのは、夕暮れ時です。この時間ほど夜が更けると効きづらいのです」
「なるほど、黄昏時、か」
考え込むような表情を浮かべてから、一つ軽く頷いた。
「では明日の夕刻、北東の御門へ来い」
道に落ちていた狐の面の欠片を拾い上げながら、陰陽師の男は、ひどく容易く口にした。世間話でもするかのような温度感で。
「あの、」
「いや、待て、陰陽師」
緋ノ坂は、その赤みを帯びた髪を振りながら、焦って二人の間に入る。
「北東の御門は、既に禁中だろう。其方は帝の領域。俺たちの領域ではない」
京鎮大社を京の中心として、南側は将軍の領域、そして北の山側は帝の領域とはっきりと分かれている。中でも北東は帝お抱えである陰陽師が住む禁中の領域だ。将軍の懐刀である御庭番・影方が立ち入る領域ではない。
「そのような、人が勝手に決めた領域など興味すら無い。帝などどうこう、将軍がどうこうなど知らぬ」
「な、天上の帝をそのように……」
赤みを帯びた目で、信じられないものを見るような表情の緋ノ坂はあんぐりとした。この京では、天上を司るのが帝、地を轟かすのが将軍とされている。中でも帝直下の陰陽師は帝には絶対忠誠であるはずだ。
「そのようなつまらぬ話はどうでも良い。それで娘、来るか。それとも止めるか」
雪凪は考える。陰陽師が帝に連なるものということ程度は雪凪も知っている。そして、影方が真に仕えるべきは将軍だ。
しかし、最も重要である任務達成には、この陰陽師に従うことが必要であるようだ。なぜなら、雪凪の刀ではあの妖を退治する想像が出来ないからだ。
(この人は、退治出来ると言っている)
そう思った。
「承知しました。明日、北東の御門に伺います」
「雪凪!」
「緋ノ坂さん、頭からの命令は、狐面の妖をなるべく早く退治することです。この人が出来るというのなら、それが最短だと思います」
陰陽師の男は可笑しそうに笑みを浮かべた後、
「ああ、男、お前は来るな。この娘の目があれば充分だ」
「禁中に、俺たち影方が行けばどのような扱いになると思っている。仲間を一人で行かせられるか」
「そのようなこと興味が無い。どちらにせよ、御門は許された者しか通れぬ。着いて来ようとも貴様には通れんだろう」
呪いか、と小さく緋ノ坂が口にした。




