第三話 影方の討伐
雪凪は、腰に差した二本の短刀のうち右の一振りを抜いた。鬼灯を形取った提灯の赤い灯を受けて、刃も赤く鈍く光っている。
「討伐します」
刃を逆手に構えた。
言い終えるより早く、雪凪は地を蹴った。墨黒の袖が夕闇の中でひるがえる。踏み込みは低く、速い。人の目には、黒い影が揺れたようにしか映らない。
しかし、刃を下すよりも早く、妖の背から生えた白い腕が何本も雪凪へ伸びた。
一本目は、体勢を低く沈めてかわす。
二本目は、短刀で払う。
三本目は、右頬を掠めたが雪凪はまばたきひとつしなかった。
右頬を掠めた腕には視線を送らず、流れるようにして3本目の妖の腕を刃を立てて裂いた。
「痛くもないねえ」
妖は笑った。裂かれたはずの腕はすぐに白い煙をまとい、元の形へ戻っていく。
「人間ごときの刃で、私を斬れると思ったのかい」
妖の口が、耳まで裂けた。
「かわいいねえ。人間は。そんなちいこい武器程度で戦うなんてさあ」
再生した物も合わせて3本の腕が同時に襲ってくるが、雪凪は表情を変えなかった。一撃だけで妖を滅せるとは元々思っていない。
もう一振りの短刀を左手で抜き、迫り来る白い腕を受け流す。同時に、逆手に構えていた右の刃を持ち直し、先ほどよりも深く腕の関節部に突き立てた。
じゅ、と肉の焼ける音を立てて紅の煙が刀から上がった。
「……あ?」
裂かれた腕は、今度はすぐには戻らなかった。傷口から真っ黒な血が垂れ、そこだけが焼け爛れたように歪んでいる。
妖に対して道の反対側で対峙する緋ノ坂が、その隙を逃さずに銃を放った。一瞬にして火薬の匂いが広がる。一発、二発、逸れずに妖の胴に入る。
「……ぐう!」
こちらも同様、再生されない。脈打つように妖の身体に筋が浮かび立つが、銃の痕が完全に回復することは無い。
「人間如きが……小細工はうまいもんだねえ」
妖の背中が膨張し、さらに腕の本数が増える。妖の腕が、四方から雪凪へ迫った。避け場を奪うような動きだった。
後衛の緋ノ坂が再び銃で雪凪の動線にある腕を落としていくが、あまりの量に銃だけでは追いつかずに、槍に武器を持ち変える。
「雪凪、思ったより妖力が強い。気を付けろ!」
雪凪や緋ノ坂を始めとする影方が使用する得物は、ただの鉄で出来ているのではない。ただの攻撃では、当然、生きる世が異なる妖には通じない。だから、京鎮大社にて神域の清めを施した特別な鉄を使用した刃や弾を武器として使う。
低級の妖であれば、雪凪の刃、緋ノ坂の銃でとうに倒れているはずだ。それが、ダメージは受けているものの妖力が衰えていく気配がない。
随分と、人間を食っているのだろう。
雪凪は退かない。むしろ、身を翻してさらに一歩踏み込む。攻撃が足りないのであれば、次は首を割けば良い。それだけだ。
矢継ぎ早に続く腕の攻撃を避けながら、妖の懐へ入った。右の短刀が脇腹を裂き、左の短刀が胸元を狙う。
しかし、刃が届く寸前、妖の体が霞のように揺れた。
空を斬る。
「はーずれ」
背後で、妖の声が笑った。
雪凪の背中に衝撃が走り、小柄な体が石畳へ叩きつけられた。破壊音が響く。
「雪凪!」
緋ノ坂の声が響いた。
「……問題ありません」
顔を上げた雪凪の琥珀色の瞳に、焦りはない。受け身は取った。だが、妖の腕がさらに伸び、雪凪の足首を絡め取る。
爪が足袋ごと足首に食い込む。白い布が赤く染まっていくが、それでも雪凪の表情は動かない。
「君、変な人間だねえ。もっとさあ、泣いたりしてみてよ。じゃあ、これだとどう?」
妖が、ぐったりした子供を片腕で持ち上げた。白い指が、小さな首に絡む。
「ほら、この子が裂けちゃうよお」
白い爪にあとほんの少し力が入れば、子供の細い首などすぐに落とされてしまうだろう。
けれど、雪凪の顔色は変わらなかった。恐怖も、怒りも、焦りも浮かばない。ただ琥珀色の瞳だけが、子供の首にかかった指、妖の腕の角度、足首に絡む白い腕、緋ノ坂の槍の間合い、そして自分の短刀が届く距離を、順に、静かに測っていた。
「緋ノ坂さん」
どちらを優先しますか、と続く言葉は省略した。
「子供は助けろ」
「分かりました」
次の瞬間、緋ノ坂が踏み込む。長槍の穂先が、鬼灯提灯の赤い灯を受けて鋭く閃いた。京鎮大社の清めを受けた刃は、子供の首に絡んでいた白い腕を正確に貫き、そのまま石畳へ縫い止める。
「ぐ、ああっ!」
妖の指が緩んだ。その一瞬で、雪凪は足首に食い込む腕を断ち切り、低く身を沈めて石畳を蹴った。爪の何本かは足に刺さったままだが、気にしない。小柄な体が滑るように妖の懐へ入り、子供の襟首を掴むと、迷いなく緋ノ坂の方へ放る。
「受け取ってください」
「言われなくても!」
緋ノ坂は片腕で子供を受け止め、そのまま背後へ下がって口元に手を当てた。息はある。生きている。
「俺の獲物を……!」
妖は、石畳に縫い止められた腕を自ら噛み千切った。ぶちり、と湿った音がして、黒い血とどろりとした煙が噴き出す。煙は地面を這い、鬼灯提灯の灯を濁らせ、脇道の影をさらに深くしていった。
黒煙が雪凪へ襲いかかる。雪凪はそれを避けず、左の短刀で煙を裂きながら、右の短刀を妖の中心へ突き込んだ。狙うのは胸の奥、先ほどから黒煙が最も濃く溢れている場所。
そこに、核がある。
雪凪の刃が届く。その寸前だった。
一枚の白い札が、闇を裂いて飛んできた。札は妖の額に張りつき、続けて二枚、三枚、四枚と宙に現れる。白札は円を描くように妖を囲み、まるで何かの理に従うように、ぴたりと止まった。
雪凪は足を止める。声は上から聞こえた。
石垣の上に男が立っていた。漆黒の髪。怜悧な顔立ち。深い藍に近い色の装束。袖口には、銀糸で竜胆の文様が縫われている。
男は、冷えた目で妖を見据えていた。
「半端に斬るな」
その声は、氷のようだった。鬼灯の灯籠に照らされた参道の温度が下がるようにすら感じる。
「穢れが散る」
白札が一斉に震え、青白い光が札から札へ走る。闇に沈んだ脇道の中で、月の輪のような結界が広がり、暴れていた妖の腕が、ぴたりと止まった。黒煙は結界の内側へ押し込められ、濁っていた鬼灯提灯の火が、わずかに澄む。
男は静かに告げた。
「月縛」
そして、最後の一語を落とした。
「急急如律令」




