第二章 その24 襲撃者、駆除
しばらく前からチョッキムは身体の震えが止まらなくなっている。
それは決して恐怖からきているのではない。ただ単純に室内の寒さからくる、人間ならば当たり前の反応だ。
そして、事ここに至って、ようやくチョッキムは息が白くなる意味を理解した。
屋敷内の温度が有り得ない程に低すぎるのだと。これまでの数々の異常は、全て低温の場所であるが為という事で説明が付けられるという事もだ。
もっとも、どうしてこんなに屋敷内が低温なのか? という説明ができないのが問題だった。
「おーい、お前ら一旦ホールに戻れ! それと誰か火を起こせる奴はいないかーっ?」
なんとなくだが、この場所に長居するのは不味いと、チョッキムと直感した。
だがしかし、即座に逃げ出すという選択肢は彼の思考には存在しなかったのである。
何故なら、屋敷内の異常な低温は間違いなく混血の能力者の仕業だと直感したからだ。
そこでチョッキムは火を起こし、一旦暖を取ってから能力者を逆に狩ってやろうと考えた。
室内の温度を下げたくらいで自分が敗れるなどとは夢にも思っていないからであり、彼のその思考が、彼らを死地に留まらせてしまったのは言うまでもない。
◇◇◇
チョッキムが周囲に声掛けをした後、まず最初に異変があったのは二階へ移動しようと階段を途中まで進んでいた門下生の二人だ。
下から届いた声に反応して二人が同時に動きを止めた瞬間、彼らの頭上に何かが落ちてきた。
ポタリ、ポタリと冷たい滴が自分たちの頭に落ちてくるのを感じ取った門下生たちは、ほぼ同じタイミングで上を見上げたのである。
そこにあったのは宙に浮いた氷柱だった。鋭い尖端を向けた氷柱が門下生の顔を狙って浮いていたのだ。
「え?」
「は?」
間抜けな声を出した二人は、そのまま落下してきた氷柱を避けられず直撃を受けた。それにより門下生たちは体勢を崩して階段を転げ落ち、やがてその動きを止める。
階段途中の踊り場で全く動かなくなった彼らの顔は、勢いよく氷柱が当たった事によって中心が陥没しており、さらにはその傷口の周辺は凍りついていたのだった。
◇◇◇
一階の廊下の奥へと進んでいた二人組にもチョッキムの声は届いていた。
しかし二人とものっぴきならない事情により、今いる場所から動けずにおり、さらに返事をすることすらできない状況にあった。
何が起こったのか理解できないうちに二人はそれぞれが左右の廊下の壁に押し込められる形で氷漬けにされていたのだ。
氷によって口は塞がれているが、何とか鼻で呼吸はできる状態である。
それは、いっそ楽に死ねていればどんなに楽かと思えるような状況だった。
声は出せず、身動きも取れず、氷によって徐々に体温を奪われていく。
何よりも恐怖なのが、その状況を引き起こした相手は、未だ二人のすぐ傍に立っているという事実。それが門下生たちを絶望の淵に追い込んだ。
当然、そんな事ができる人物はこの屋敷内には一人、アオイだけである。
冷淡な表情のまま彼女は一瞥をくれる事もなく入り口の方へと歩き始めた。
廊下に取り残された男たちはそのまま緩やかに死を待つ事になったのである。
◇◇◇
チョッキムが仲間たちに声掛けをしてから数分が経過した。未だに先に進んだ連中からの返答は全くない。
その間、玄関ホールにいる者はチョッキムも含め誰一人として、一歩たりともその場から動かなかった。
いや動かないのではない、動けないのだ。
一階の廊下の奥から発せられる何者かによる凶悪な殺気が、その場にいる全員から『逃走』という選択肢を消してしまう程に恐ろしいから。背を向けた途端に、自分は死ぬと半ば確信できてしまうほどに。
そうして、静かな時をズタズタに切り裂くような殺気を身に纏いながら、彼らを恐れさせていた何者かが姿を現した。
少しずつ灯りに照らされていくと、小柄で細身な特有の身体の丸みは女性の体型に見える。
しかし、その人物の表情は全く見えない。
何故なら、その女性と思わしき人物は仮面を付けているからだ。
異様な出で立ちではあるのだが、相手が自分たちより小さな女性であると知って、ホール内に男たちの安堵感が漂った。
すると、そんな空気を感じ取ったのかどうかは分からないが、仮面の女性が突然言葉を発したのである。
「ここがどこか知ってて乗り込んで来たのか?」
多少くぐもってはいるが間違いなく女性の声だった。
するとさらに安心感を得たのか、仮面の女性の一番近くにいた門下生の一人が口を開く。
「はあぁ? 知るかっ! ここがどこでお前が何者かなんて、どうでも良いんだよっ! ここは俺たちに敵対した女がいた屋敷だからな。おい貴様、大人しくしてりゃあ、命までは取らねえ。身に着けてるもん全部脱いで命乞いしな!」
「…………なるほど。ここがどこで、誰に戦争を仕掛けてるのか理解してないのか。哀れな奴だな」
「聞こえてなかったか? 死にたくなけりゃ、こっちの命令に従えっつてんだ! さもねえと――」
「殺す……と、でも言って脅したいんだろう? やってみろよ」
「……上等だっ! こっちはイラついてんだよ!」
門下生が剣に手をかける。そのまま一気に抜き放とうとして異変に気が付いた。
小柄だったはずの仮面の女の身長がみるみるうちに伸びていくのだ。
「あ、れ?」
ドスンという音と共に自らの頭が床の上に転がって初めて彼は自分が死んだ事を理解したのであった。
◇◇◇
そのやり取りを一部始終を見ていたチョッキムは、目の前で死んだ門下生の身に何が起こったのかを理解していた。
仮面の女が放った恐ろしく速い手刀が、一瞬にして門下生の首を斬り落としたのだという事に。
一見すると届いていない間合いを届かせたのが、彼女の指先から少し離れた空間に赤く滴る液体に秘密があるのは明白だ。周囲の状況と照らし合わせて、極薄の氷の刃で攻撃した事は明らかだった。
攻撃を見た事でチョッキムは自信を深めた。余裕を含んだ態度で現れた仮面の女に話しかける。
「クククッ。運が悪かったなー、くそ女ぁーっ! 俺でなきゃあ、さっきの攻撃は見逃していたのかもしれんが、残念ながら相手が俺の時点でそれ可能性はなかったー! お前の間合いは見切ったからなー! 覚悟しろやぁー!」
チョッキムは背中に背負っている、刃が剥き出しの不思議な形の双剣を手に取った。
自らの身長よりも僅か十数センチ短い程度の剣。その形はスミカの持つ刀の様に片刃のそれであり、チョッキムはそんな剣を左右の手に持っている。
何故か刃はそれぞれ外を向いていた。そのまま切りつけても刃のない方で攻撃してしまうのが明らかな持ち方だ。
チョッキムはその剣を交差させて構えた事でようやく持ち方の謎が解けた。
明らかに剣とは違うフォルムの物体が完成したからである。
その物体、チョッキムの持つ武器は双剣ではなく巨大な鋏だったのだ。
しかもそれは仮面の女の間合いより外から一方的に挟んで斬る事ができる武器である。
「仲間の敵だ。腕の一本くらいはぶった切られても、文句ねえよなぁー!!」
手に持った鋏を大きく開き、仮面の女の間合いの外から一方的に襲い掛かったチョッキムはその眼で確かに真っ二つになった身体を見た。
突如床から生えた巨大な氷柱によって胴体をぶち抜かれ千切れ飛ぶ自らの身体を。
「ぞ、ん、なっ――」
「運が悪かったな。今は屋敷内の全てが私の必殺の間合いだよ」
さらに追加で床から飛び出した氷柱により空中で頭を貫通されたチョッキムが、向こうからかけられた言葉の意味を理解する事はなかった。




