第9話
ジアヨウ社の雑居ビルは渋谷スペイン坂にあった。
スペイン坂は車両通行禁止のため、井の頭通りに覆面車を停める。ここからでも雑居ビルは見張ることができた。
佐伯修司は部下の若林を車に残し、単身、ジアヨウ社に乗り込んだ。
雑居ビルの一階は喫茶店になっており、ジアヨウ社の社長室は三階だったが受付は二階だった。
「すいません。取材のお約束をしていたフリーライターの木村ですが」
佐伯は受付の女子社員に名刺を渡す。
佐伯はすぐ三階の社長室に通された。
社長室はこじんまりした部屋で、ジアヨウ社の日本法人社長はソファーに腰かけていた。社長の耳が異様にとがっているのが佐伯には気になった。
最初に名刺交換する。社長の名刺には「星宇宙」と書いてある。
「ホシ・ウチュウさんとお読みするんですか」
佐伯が訊く。
「いや、中国語でシン・ユーヂォウと発音します。
ただ私はみんなからウーチーチーと呼ばれています。発音しやすいのでこの方がいいでしょう」
「ウーチーチー?」
「まあ、中国の妖怪ですよ。日本にも河童や天狗があるでしょう。あんなようなものです」
佐伯はソファーに腰かけるよう社長にすすめられる。佐伯は社長と向かい合って座る。
このとき社長に気づかれぬよう盗聴器を床にこっそり落とす。
「では早速、取材を始めさせていただきます」
木村というフリーライターになりすました佐伯が言う。
「おたくは中国の工作員と関係ありますでしょうか」
「はあ、どういうことでしょう」
「御社の製品、『電脳加油』ですが、多くのユーザーが凶悪事件を起こしているのをご存じですか」
「……」
「なにか『電脳加油』から特殊な信号を脳に送って、人間を狂暴化させているんじゃありませんか」
「それは言いがかりです。弊社製品は不眠症の人が眠りやすくするための音響機器です」
「このビルに中国大使館の職員が来ることはありますか」
「木村さん。そんな質問ばかりでしたら取材はお断りします。お引き取り下さい」
気まずい沈黙が流れる。
社長は立ち上がり、机の上に用意してあった紙袋を佐伯に手渡す。
「これ、『電脳加油』の新バージョンです。まだベータ版で市場投入は来月の予定なんですがね。
マスコミの方にはもれなく無料でお配りしてます。どうせならこの新製品の記事を書いていただきたいものですなあ。
木村さんはどんな媒体に記事を書かれるんですか」
「週刊誌がメインですかねえ」
「週刊誌ですか」
社長は興味なさそうに言うと、今度は紙袋から自社製品を取り出しながら佐伯に長々と説明する。
『電脳加油』の新バージョンにはOLEDタッチパネルがついている。右のイヤホンにスティックがついていてその先にOLEDタッチパネルがある。回転式でOLEDの位置が調整できる。
またジアヨウ社特製のワイヤレスキーボードとワイヤレスマウスがおまけで紙袋に入っている。
社長の話ではすでに『電脳加油』とBluetoothでペアリングしているとのこと。
ただし市販のワイヤレスキーボードやワイヤレスマウスもペアリングすれば使えるとのこと。
「実はこれまでアーカシックレコードのヒーリングミュージックはスーパーコンピュータと接続しなければ聴けなかったんですが、このほど『電脳加油』のメモリを増量しました。
このベータ版はデフォルトでアーカシックレコードの曲が聴けます。電源を入れてなにもしないとこの曲が始まります。
別の曲が聴きたければタッチパネルかキーボードで操作する必要があります」
「アーカシックレコードの曲ってなんですか」
と佐伯。
「まあわかりやすく言えば、自分が全知全能の神になった気分になるというか、絶対的な自信がつく曲といったところでしょうか」
話題は新製品の話になり、十分ほどしてから佐伯はジアヨウ社を後にする。
別れ際に社長が言った「再見」という音がなぜか佐伯の耳に残る。
井の頭通りの覆面車に戻る。
「どうでした」
若林が訊く。
「なんとも言えない」
佐伯が答える。
「ジアヨウ社の社長に中国工作員との関係を問い詰めた。嫌がってる様子だった。
やつら、しっぽを出すかも知れないから、張り込みは続けよう。盗聴器も仕掛けた」
カーラジオも兼用する無線機の同調ツマミを回す。盗聴器が拾う音が聞こえる。
「ところで、社長からおみあげもらったんだ」
佐伯は紙袋を若林に見せる。
「これ聞いてみるから、盗聴器の方を頼む」
「佐伯さん、こんなときに遊ばないでくださいよ」
若林のしかめ面を尻目に『電脳加油』をかぶり、電源を入れる。
社長がアーカシックレコードって言ってたな。一体、どんな曲なんだろう。
小鳥のさえずりとオーケストラの交響曲が混じる。
佐伯は抗いがたい睡魔に襲われる……。
(つづく)




