第5話
「ここいいですか」
総務部の澤村だった。
私は無言のままうなずく。澤村は対面のソファーに座る。
取締役会を終えた後、私はいつものようにオフィスラウンジでコーヒーを飲んでいた。
オフィスラウンジはビルの最上階にあり、はめ込みの巨大な窓ガラスから新宿西口の摩天楼が一望できる。カフェテリアが隣接していて飲食ができた。
澤村は20代半ばの社員で役員ではないが、取締役会のセッティングを担当していたので、滅多に出社しない私でも彼の顔は知っていた。
「監査さんも『電脳加油』使ってるって本当ですか」
澤村が言う。彼は監査役の私を”監査さん”と呼ぶ。
「まあねえ」
私が答える。
「実はぼくもあれ持ってるんです。面白いのはパラレルワールドですよ。ヒーリングミュージックもけっこういい曲ですし」
「パラレルワールド? やったことないなあ。試してみようかな」
私はビジネスリュックからおもむろに『電脳加油』を取り出す。
私は「今、持ってたんですか」と驚く澤村にスマホのアプリを見せ、パラレルワールドの曲を確認する。
『電脳加油』をかぶり、アプリから曲をスタートさせる。
古い柱時計のチクタク音に混じり、アコースティックギターの音色が重なる。
落ち着かない音楽だ。ギターの音色は徐々に大きくなる。
七色の光が視界を覆い、抗いがたい睡魔が襲ってくる……。
気がつくと私は数分間、うたた寝していたらしい。
頭から『電脳加油』をはずす。
「監査さん、いかがでしたか」
目の前にいる澤村も『電脳加油』をつけている。
「パラレルワールドって面白いでしょう」
澤村はゆっくり『電脳加油』をはずす。すると現れた顔は澤村ではない……ウーチーチーだ。
私は反射的にビジネスリュックから電脳銃を取り出す。
「再見」
ウーチーチーが馬鹿にした表情で言う前に、電脳銃の引き金を引いていた。
ウィーンというモーター音。緑色のLEDが光る。
目の前のウーチーチーは黒焦げの死骸。テーブルにうつ伏せの姿勢だ。
私は周囲を見回した。
オフィスラウンジでくつろいでいる数人の社員はだれもこちらに気づかない。
「どうかされましたか」
カフェテリアのマスターが不振に思い、こちらに近づいてくる。
「これはひどい。あなたがやったんですか」
マスターは私の顔を見つめる。
「いやっ、そのう……」
私はしどろもどろに答える。なにが起きたのか自分でもよくわかっていない。
「あなた、殺人罪ですよ」
「……」
マスターの顔がいつのまにか変わっているのに気づく。
この顔は……ウーチーチーだ。
私は反射的に電脳銃をウーチーチーに向け、引き金を引く。
ウィーンというモーター音。緑色のLEDが光る。
ウーチーチーは黒焦げになり、腹ばいに床に倒れる。
「キャー」という女の悲鳴。
振り向くと、女子社員が体を震わせている。
頭の中が混乱し、どうすべきかわからなかった。
だが壁際の下りエレベーターのドアが開いたのを見つけると、私は反射的にエレベーターに駆け込んでいた。
「1階でいいですね」
エレベーターのドアが閉まり、下降する。
エレベーターには私以外、もう一人乗り合わせていた。
操作盤の側に佇む青年はスーツ姿でネックストラップに下げたIDカードホルダーに「第二営業部 佐藤」と書いてある。
「いかがですか」
佐藤は私に意味深にほほ笑みかける。
「パラレルワールドはお楽しみいただいてますか」
「えっ?」
すると佐藤の顔はみるみる変形し、ウーチーチーになる。
「やはりおまえだったのか」
「再見」
私はスーツの内ポケットにしまった電脳銃を素早く取り出し、ウーチーチーに向けて引き金を引く。
黒焦げの死骸がエレベーターの壁にもたれかかるのと、ドアが開くのがほぼ同時だった。
私は振り返らず、エレベーターを走り出た。
そのまま小走りにビルのエントランスの自動ドアを抜け、外に出る。
新宿西口のビル街。摩天楼に囲まれた車道はタクシーや物流のトラックで渋滞しているものの、歩道の歩行者はまばらだった。
これからどうすべきか。どこへ行くべきか。私自身にもわからない。
「ちょっと署まで来てもらおうか」
振り向くと二人の警官だった。
一人は背の高いやせぎすの男でもう一人は小太りのずんぐりむっくりした体形だった。
背の高い方が警察手帳を見せる。
名状しがたい嫌な予感が脳裏をよぎる。
午後の強い日差しがいらついた感情に拍車をかける
背の高い警官は私の腕をつかんで歩き出す。小太りの警官は反対側にいて、私の横を歩く。
歩いていく先には一台のパトカーが道に停めてある。
「再見」
気がつくと背の高い男の顔はいつの間にかウーチーチーに変わっていた。
私はウーチーチーの足を思い切り踏んづけた。
ウーチーチーが私の腕をつかんでいた手を離したすきに逃げ出し、内ポケットから電脳銃を取り出す。
「再見」
声がした方を見ると小太りの警官の顔もウーチーチーに変わっている。
私は一瞬、躊躇した後、電脳銃を二人に乱射した。
二人とも黒こげの死骸になり、地面に横たわる。
電脳銃のウイーンというモーター音が耳に残る。
私は小走りにパトカーに乗り込む。
車を発進させ、サイレンアンプから連続サイレンのボタンを押す。
(つづく)




