第4話
『バルザック』でカフェオレを飲んだのはひさしふりだ。
私はいつものようにガラス張りに面した席に腰かける。
自宅で90%充電した『電脳加油』をかぶり、スマホを操作する。
すでにスマホは店のWiFiと接続してある。
ヘッドホンから流れてくる曲はいつもとちがっていた。
雷鳴と暴風雨の音に混じり、ヴァイオリンの狂おしい戦慄。
目をつぶる。少しづつ意識が薄れている感触がある。
暗闇の中、嵐の海が広がる。自分は今、海の中で翻弄されている。このままでは溺れる。
そして......トトルルルルキャオスガラポリ……わけのわからない言語が……ヒュールルルル……脳裏を横溢する意味不明の……トトルルルルキャオスガラポリ……ヒュールルルル……。
「だいじょうぶですか」
声が聞こえ、何者かが私の頭から『電脳加油』を取り去る。
「さっきから、大声で叫んでましたよ。なにかあったんですか」
ぼやけていた視界の焦点が少しづつ回復する。
ここは喫茶『バルザック』だ。
テーブルに顔をうずめている私を店員が見下ろしている。
店員の名札が「星宇宙」と読める。顔をよく見ると……あいつだ。宇宙人だ。
「こんなものかぶってはいけません」
宇宙人の店員は『電脳加油』を持って店を出ていく。
「待て」
私は立ち上がり、宇宙人を追う。
「再見」
宇宙人は振り向きざまにそう言いながら小走りで店を出る。私が後に続こうとすると、
「お客様、会計をお済ませください」
別の店員の声がする。
私は仕方なく、カフェオレ代を支払ってから店を出る。
店を出ると、もう宇宙人の姿はない。
私は駅前ロータリーの噴水の側まで来る。
『電脳加油』が噴水を囲むベンチに落ちていたので拾う。
ロータリーの周囲は人々の話声で騒がしかった。空を見上げて指さしたり、スマホで撮影している人もたくさんいた。
ふと上空を見ると、金色の円盤が旋回している。しばらくすると高速で西の空に進み、視界から消えた。
ロータリーのベンチに腰掛け、何の気なしに『電脳加油』をかぶる。
音楽はまだ流れていた。
雷鳴と暴風雨の音に混じり、ヴァイオリンの狂おしい旋律。
私は……トトルルルルキャオスガラポリ……ヒュールルルル……。
次第に意味不明な言語が……ヒュールルルル……次第に……理解できるようになってくるような……。
それはどこかなつかしい……ヒュールルルル……言葉かも知れなかったが……。
私は……トトルルルル……おれは……ヒュールルルル……ルナ人のジロウだ。
太古の昔、地球はルナ人の帝国とムー人の帝国が覇権をかけて争っていた。
彼らはいずれも現在の地球人よりも優れた文明を持っていた。
そのうちに両者間で大規模な核戦争が起き、地球は人類が住めないくらい核汚染された。
ムー人たちは地底に帝国を作り、そこで暮らすようになった。中国の崑崙山脈に地底に通じる入口がある。
ルナ人たちは月の裏側に暮らすようになった。
月日がたち、放射能汚染がなくなると、地表にまた人類が繁殖した。
彼らの多くは、ルナ人でもムー人でもない未開の蛮族たちの子孫だった。
やがてムー人は地表人の国家を裏で支配するようになった。地表人のリーダーたちを自分たちの傀儡にした。
だが地表人の人口の大半を占める大衆たちはそれを知らない。そればかりか、ムー人やルナ人の存在すら知らされていないのだ。
またムー人の中にはときどき地表人になりすまして、地表に住む者も現れた。
一方、ルナ人もムー人の地球支配を奪還すべく、ときどき月から地球にやってきた。
地表人がUFOと呼ぶ未確認飛行物体は、ムー人またはルナ人の乗り物だ。
おれの使命はムー人の工作員、ウーチーチーを暗殺すること……ヒュールルルル……。
気がつくと私は自宅の書斎にいた。
肘掛け回転椅子で寝ていたのだ。
机の上に電源をオフにした『電脳加油』と奇妙な水鉄砲のようなものが置いてある。
この水鉄砲はなんだろう。私はいぶかった。
少しずつ記憶をたどっていくと、これは自分が作ったものであることを思い出す。厳密にはルナ人の工作員、ジロウが私に憑依しているときにジロウが私の肉体を動かして作ったものだ。
私は駅前のロータリーのベンチにこしかけ、『電脳加油』で二重人格のヒーリングミュージックを聞いていた。するとルナ人、ジロウが私の意識をジャックした。
ここからは記憶が曖昧だが、私はふらふらと立ち上がり、電車に乗って秋葉原に行った。
そして電子工作ショップから半導体はハンダゴテなどを買いあさり、最後にガンプラショップで水鉄砲を買い、自宅のマンションに戻った。
その後、書斎で工作して奇妙な武器を作ったのだ。
これは特定の周波数の電磁波を発生する装置で、ムー人、ウーチーチーを撃退するための道具だ。ジロウはこの道具を電脳銃と呼んでいた。
これまで私が何度か遭遇した宇宙人の名前がウーチーチーであることを、ジロウの意識が教えてくれた。
ジロウは電脳銃を完成させると私の意識から消失した。それと同時に私も意識を失い、しばらく肘掛け回転椅子で寝ていたのだった。
(つづく)




