観測できないもの
――日常は、戻った。
……戻った、はずだった。
学院内で学年問わず、共同研究を行うことになった。
自然と私とノア先輩が組むことになった。
課題はか『感情が魔力に及ぼす影響』である。
この題材はリリアーナの能力からヒントを得たものである。
「報告です」
「確認しました」
机を挟んで、向かい合う。
書類のやり取り、無駄のない会話、正確な情報共有。
――完璧。
いつも通り。
うん、通常運転
私はペンを走らせながら、小さく頷いた。
――はず、なんだけど。
「……エミリア様」
「なんでしょう」
「紅茶が空です」
「気づいています」
私は自然にポットを手に取る。
そして――
ノア先輩のカップに、先に注ぐ。
静かに、丁寧に。
……あれ。
なんで先に入れてるの私。
一瞬だけ手が止まる。
でもまあ、注いでしまったものは仕方ない。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
ノアは特に気にした様子もなく受け取る。
そのまま一口。
「温度、適切です」
「それはよかったです」
いや評価コメントいらないんだけど。
心の中でツッコミを入れつつ、私は自分の分を後から注ぐ。
――その様子を少し離れた場所から、三人が見ていた。
「……なあ」
ルイスが小声で言う。
「距離、近くね?」
カイン、即答。
「近いな」
アルベルト、腕組み。
「明らかに違う」
三人、深く頷く。
あの……聞こえてますけど?何その分析会議。
あれから、変に3人の連携が出来ている。
また、めんどくさいなぁ。
私は軽く咳払いする。
「何か問題でも?」
三人、同時に視線を逸らす。
「いや別に」
「何でもねえ」
「気のせいだ」
絶対ウソ。
分かりやすい。
というか。
そんなに変わってる?
いつもこんなもんだけどな?
私は一瞬だけ考える。
……いや。
変わってない。
たぶん。
「続けます」
私は資料を差し出す。
ノアが受け取る。
指先が、ほんの一瞬触れる。
――その瞬間。
「接触頻度、上昇」
「え?」
思わず声が出る。
ノアは真顔のまま続ける。
「物理的接触、過去平均比で増加」
「統計的に有意差あり」
「傾向として――」
「ストップ」
即止める。
「それ、口に出す必要あります?」
「あります」
「なんで」
「記録の共有は重要です」
いや、それはそうだけど……
そうなんだけど。
なんか違う。
後ろでルイスが吹き出す。
「ははっ……ダメだ、面白い」
カインも肩を震わせている。
「おい、無自覚かよ」
アルベルトは真剣な顔で分析している。
「これは興味深い……」
やめて。人を研究対象みたいに見るの。
私はため息をつく。
そして。
ふと、ノアを見る。
「……ノア先輩」
「はい」
「体調は問題ありませんか」
一拍の間。
三人が固まる。
ノアは少しだけ考えてから答える。
「問題ありません」
「そうですか」
私は頷く。
それだけ。
それだけ、のはずなんだけど。
後ろがうるさい。
「今の見たか?」
「見た」
「完全に特別対応だ」
うるさい
私はゆっくり振り返る。
「……何か?」
三人同時。
「いいえ何も」
ほんと分かりやすいなこの人たち
前に向き直り、ペンを走らせる。
ノアも、いつも通り記録を取っている。
静かで、無駄のない時間。
――でも、ほんの少しだけ。
空気が違う。
私は少し考えたが。
……まあ、いいか
私は小さく息を吐く。
そのとき。
「記録」
ノアの声。
「対象、特定個体への配慮行動を確認」
「頻度、上昇傾向」
「分類――」
「ノア先輩」
「はい」
「それ以上言ったら、紅茶没収します」
一息の間。
ノア、わずかに止まる。
そして。
「……記録、一時停止」
カップをそっと持ち直す。
後ろで爆笑が起きた。
効いた……。
私は静かに満足する。
そして。
ほんの少しだけ、口元が緩む。
……ほんと
なんでこうなってるんだろ
でも――悪くない。
そして違和感は、些細なところから始まる。
いつも通りの研究室。
「報告です」
「確認しました」
資料を受け取り、目を通す。
正確で簡潔、無駄がない。
うん、いつも通り
……のはずなんだけど。
なんか違う
私はペンを止める。
目の前。
ノアはいつもと同じように立っている。
無表情、静かな声、ブレない姿勢。
でも――
ほんのちょっとだけ、間がある
ほんの一瞬。
返答までの“間”。
今までなかったズレ。
「ノア先輩」
「はい」
「本日の進捗に問題は?」
「ありません」
一拍置く。
「――軽微な誤差を除いて」
今までなら“誤差なし”って言ってた。
私は少しだけ目を細める。
ノアは気づいていない。
……いや。
気づいてるけど、処理しきれてない感じ。
珍しい……
そのとき。
がたっ、と椅子が鳴る。
……あ。
立ち上がった瞬間、少し視界が揺れる。
やば――
ここ最近、寝不足だったのは自覚ある。
でもこの程度で――
身体が傾く。
倒れる。
――その前に。
「危険を排除します」
視界が止まる。
支えられている。
ノア先輩の腕。
速い。
この人には珍しく、考えるより先に、動いてる。
「……大丈夫です」
「否定します」
即答。
「安定性、低下」
「休息を推奨」
「いえ、問題ありません」
「あります」
強い。
珍しく押しが強い。
というか。
近い……
距離が、物理的に。
ちょっと近い。
「……離れてください」
「安全確保中です」
「確保しすぎです」
後ろから、ひそひそ声。
「おい見たか今の」
「見た」
「速すぎだろ」
ルイスとカイン先輩。
あとアルベルト王太子もいる。
なんでいるの……?
ほんとこの人たち、どこにでもいるな。
私は軽く息を整える。
「もう大丈夫です」
一歩下がる。
ノアの手が、ほんの一瞬だけ遅れて離れる。
……遅れた。
今の、遅れたよね?
違和感。
でも――ノアは何も言わない。
ただ静かに頷く。
「……了解しました」
その声が、ほんの少しだけ低い。
――その日の夜。
ノアは一人、記録を見ていた。
「……矛盾」
淡々とした声。
だが、思考は止まらない。
「記録前に行動」
「最適解を選択していない」
「再現性、なし」
一呼吸置いて。
「原因、不明」
沈黙。
そこに。
「……あ」
小さな声。
リリアーナ。
いつの間にか、後ろにいる。
この子もだいぶ自由だなー。あの事件以来特に。
自由で奔放。
愛されやすい。
それが本来のリリアーナだろう。
ノアは振り向く。
「何ですか」
リリアーナは少し迷ってから言う。
「それ」
一瞬の間の後。
「好きってやつです」
完全停止。
ノア、固まる。
「……定義を求めます」
「えっと」
少し考えて。
「相手を優先して、自分の理屈が崩れること、です」
――沈黙。
ノアはゆっくりと目を伏せる。
思考し照合して計算をする。
そして。
「……該当します」
静かな声。
結論――自覚。
その翌日。
「ノア先輩?」
「はい」
いつもの朝。
いつもの距離。
……のはず。
「本日の業務を開始します」
「ええ、お願いします」
会話は変わらない。
でも。
やっぱり違う……。
空気が――視線が……ほんの少しだけ、重い。
いや違う。
“向いている”。
――まっすぐに。
私に。
……あー
なんとなく、分かる。
言わないけど。
言う必要もないし。
私は小さく息を吐く。
そして。
ほんの少しだけ、笑う。
「……そうですか」
誰にも聞こえない声で。
その様子を。
離れた場所から見ている三人。
「確定じゃねえか」
ルイスが呟く。
「終わったな」
カインが笑う。
「最大の難敵だ」
アルベルトがため息をつく。
リリアーナは、少しだけ寂しそうに笑う。
「……やっぱり、そっちなんですね」
誰も否定しない。
できない。
だって……
もう分かっているから。
感情は、人を動かす。
理性は、世界を支える。
そして――
私はペンを走らせながら、思う。
恋は、そのどっちも壊す。
……ほんと、厄介。
でも。
視線を上げる。
ノアと目が合う。
逸らさない。
逃げない。
ただ、そこにある。
だから――
少しだけ、口元が緩む。
観測できないのよね、これ
静かに――確定していく。
少なくとも、前よりは、ずっと。
距離は、少しだけ、変わっていた。




