第03話『偽物の聖女』
夜の静けさに包まれながら、私はたき火を見つめていた。乾いた薪が弾ける音と、夜風が揺らす木々の音が耳に心地良い。
野宿のやりかたなど戦場で死線をくぐり抜けるたびに何度もしてきて覚えた。
そんな『聖女』はいないだろうと人は思うだろうが、そんな元『聖女』がここにいる。
野宿は昔から好きだ。
虫たちの声さえも、風が木々を揺らす音も、孤独な私に寄り添う優しい言葉のように感じる。
誰もいない一人だけの時間。それはなにものにも代えがたい癒しの時間……
――しかし、そんな安らぎのひとときは唐突に壊されることとなった。
「……あ、いやがった。やっと見つけたぜ。おーい!ここだ!いたぞ!」
闇の中から低い声が聞こえた瞬間、私の目は聞こえた方向を向く。すると、木々の間から人影がゆっくりと現れた。
そこにいたのは六人の男たち。ぞろぞろと歩いてくる。
男たちはそれぞれに武器を携え、まるで獲物を追う獣のように鋭い目をしている。
先ほど声を上げた男は右肩に目立つ傷跡があり、粗野な振る舞いが一目でわかる。
その隣の男は、怯えた様子でしきりに周囲を警戒する仕草を見せ、怯えと用心深さを物語っている。
残りの者たちは無言で、冷静にこちらを観察していた。
冷静さを保つ男の中で、特に異様な冷たさが目に宿っている男がいた。あの男がリーダーだろうか?
全員の服装からして、野党に見えるが果たして……?
重たい石の手錠がはめられている手を体に寄せて、なんとか立ち上がる私。
「あの……ど、どなたでしょうか……?」
「なにも知らなくていいんだよ。それより……よぉっ!」
しゃべっていた粗暴な男が急に私に向かって走ってくる。そして握りしめたこぶしを私に向かって振り上げる。
「きゃああああっ!」
とっさに頭を抱えてその場にうずくまったおかげで、その一撃からは逃げられた。慌てて見ると、粗暴な男はもう次の一撃を放とうとしている。
また両腕で頭を守った次の瞬間――
ゴッ!
体に衝撃が走り倒れる。腹部を蹴られたようだ。
そこから、次の一撃、次の一撃と繰り出され、鈍い音と声を出して体を丸めている私の上から、粗暴な男のとても、とても楽しそうな笑い声が聞こえた。
「偉そうにしてた罰だ!お前みたいなやつがなんで生きてるんだよ、この『偽物』が!」
『偽物』――そう呼ぶということは、この男はやはり『中央国』の人間か。
その罵倒には慣れている。私は全て無視し、粗暴な男の攻撃に耐えるために歯を食いしばる。
「おっ、おいおい、やりすぎるなよ。生かしておかなきゃいけないんだからなっ」
粗暴な男とリーダーらしき男を除いた四人のうちの、一番怯えた様子の男が声をかけた。
「わかってる……よっ!」
粗暴な男が苛立たしげに吐き捨て、無造作に足を振り上げる。
「ぎっ……!」
私はしっかりと急所に当たらないよう身を縮め、痛みに耐えた。
『聖女』用にあつらえたドレスが、土と血にまみれ無残な姿になっている。
粗暴な男が私に危害を加えるたびに口から血が出て、足や腕は切り傷、打撲だらけだ。
綺麗にまとめられていた髪も装飾品も、バラバラになり地面に散らばる。
私はここで覚悟を決めた――
「ぐっ……うう……うあっ……うああああああっ!」
「なっ……!?」
私は叫びながら、たまたま近くの地面に転がっていた特別な髪飾り――絢爛な輝きを放つかんざし調の髪飾りに手を伸ばした。
手錠に繋がれながらも、震える手でなんとか髪飾りを掴む。そして起き上がりざまに粗暴な男の腹に向けて、力任せに突き刺す。
細いが冷たく硬い金属が、肉を刺した感触が手に伝わる。
「……あ……?」
一瞬、なにが起こったかわからずぽかんとしている粗暴な男。その隙を狙い、髪飾りを男から抜き取り離れる。
そこで刺されたことをようやく理解した粗暴な男は、私に向かってさらに激高した。
「……いっ……てぇなっ!くそっ!てめぇっ!」
粗暴な男は目をぎらつかせ、荒々しく息を吐きながら迫ってくる。その手には泥にまみれた鈍い刃物が握られていた。
「なぜ私をこんな目に遭わせるの!?殺さないでっ!やめてっ!やめてよっ!」
風を切る音とともに、私は無意識に身を翻し逃げると、地面に粗暴な男の剣が突き刺さり、土が跳ね上がった。
なんとか逃げようと、私がつけていた装飾品が地面に散らばっているのを見つけた私が、それを蹴って相手を遠ざけようとするも、粗暴な男は止まらない。
「おい!やめろ!」
「うるせぇ!」
リーダーらしき男の静止を聞かない粗暴な男は、鋭く目を吊り上げ怒りを露わにし、剣を高く掲げた。
対して私は髪飾りを握りしめ、粗暴な男の剣をなんとかいなす。するとギィンッ!という鋭い金属音とともに、剣が粗暴な男の手を離れ――
「……あ……?」
私が先程床に転がした装飾品の一つである、ネックレスに足をとられ体勢を崩した粗暴な男が、間抜けな声を上げたのち倒れる。
その背中には……粗暴な男が持っていた剣が刺さっていた。
「おい!なにしてるんだ!」
他の男の言葉に粗暴な男の返事はない。ただ血を流して地面に突っ伏している。
そこで男たちはようやく、粗暴な男の末路に気がついたようだった。
私はそれを、ガタガタと震えて見ていることしかできなかった。
そんな私を、男たちが見逃してくれるわけではないが……体を動かせなかったのだ。
「どどど、どうすんだよ!」
「……ちっ。俺の命令を聞かなかった馬鹿なんかどうでもいい!とにかくこいつを連れて行くぞ!」
「ひっ!嫌っ!来ないでっ!」
「早くやれ!」
「わかったよ……!おい……こらっ!暴れるなっ!こいつっ!」
残っていた男五人のうち、リーダーらしき男と一番怯えた様子の男以外が、私を無理矢理引っぱろうと腕や足を掴もうとするのを、またしても手に持っている髪飾りを振り回して抵抗する。
「やめてっ!来ないでっ!」
「早く取り押さえろ!」
「わかってるよ!」
「この野郎!」
「こいつ……っ!いい……加減にしろっ!」
「あっ……あっ……!」
リーダーの男はなにやら命令をし、他の男はそれに従い、一番怯えている様子の男は怯えたまま。
髪を引っ張られ、服を引っ張られ、殴られ、蹴られ……
それでも必死で叫びながら抵抗し、髪飾りをめちゃくちゃに振り回す私。逃げるためなら、私自身の身体を傷つけても構わないくらいに。
私は髪飾りを握る手に力を込めた。生き延びるにはこれしかない、と自分に言い聞かせる。
そして次の一瞬――
私はスキを狙って次の行動にうつした。
「あああああああっ!」
私は叫びながら手にした髪飾りを振り回し、最後の抵抗を試みた。だが……
「あっ!」
一番怯えた男の声が私の耳に届いた時だった。
「ぁ……れ……?」
冷たい痛みが……私の胸を貫いていた。
信じられないと私はゆっくりと視線を下ろす。視線の先では、私自身の胸に髪飾りが深く刺さっている。
こぽっ、と私の口から血があふれ、言葉にならない呻きが漏れる。
――どうして。
どさっ、と前かがみに倒れる私の体。そこから流れ出る赤い液体が地面を染めていく……
全てが静寂に包まれた……
だがその静寂も長くは続かず。
誰かの怯えた声が再び夜を引き裂いた。
「ど……どうするんだよ……」
「なにがだよ」
「死んじまったじゃねーか」
「……そうだな」
「そうだなぁじゃなくて!」
リーダーらしき男はなにやら考えているようだ。それに比べて他の男たちは慌てふためくだけ。
頭を働かせることを知らないらしい。
「死んじまったんだからどうしようもねぇじゃねえか!」
「ちきしょう。連れて帰れって言われてたのに……」
そんな男たちの中で一番怯えた様子の男が、さらに怯えた様子で言った。
「……じゃ、じゃあこのまま国に報告するしかないだろ……」
「そうするしかないか」
「……し、証拠としてこいつの髪の毛を持っていこうぜ」
「だな。おい、お前。髪を切れ」
「わかった……」
「……む、向こうのあの殺された死体はどうする?」
「問題ない。そのうち野犬が食べるだろ。目的はこっちだ」
「……そ、そうだな」
「決まりだな。行くぞ」
「……お、おお」
男のうちの誰かが私の髪の毛を乱暴につかんで切った。腰まであった長い髪が今、背中くらいになっただろうか?
「よし。行くぞ」
パチパチと、私がつけたたき火の音が妙に大きく聞こえる中、男たちがだんだん離れていく。
その中で一番怯えた様子の男が動かず、二人の『死体』を見ているようだった。
「ちっ……!おい、早く行くぞっ!」
「こんなところ見られたら困る。さっさと撤退だ」
「あ、あぁ……」
その言葉を皮切りに、複数の足音が遠ざかっていく音。そしてそこには男の襲撃などなかったかのような、自然の音だけが辺りを優しく包んだ。
……そして……
冷ややかな声がその場で聞こえた。
「……死体の確認くらいしなさい。三流」
地面に転がっているはずの『死体』の一つが、ゆっくりと起き上がる。
もちろん、私。セリナだ。
頭を軽く振り、髪をなびかせて、ふぅ、と小さく息を吐く。
「まったく……雑すぎるわ。もう少し綺麗に切りなさい」
私はあらかじめ解析を終えていた、石の手錠の軸となる部分に魔力をこめる。すると、パキンっと音を立てて手錠は壊れた。
自由になった手をブラブラとさせて、手の感覚をしっかりと取り戻したあと立ち上がり、切られた髪を確認して不満の声を漏らした。
わざとらしく吐き出して見せていた、血がついた口をぬぐい、まだ少し痛みのある場所を完璧に治していく。
蹴られながらこっそりと治していたおかげで、少しの手当ですぐに全快だ。
今使ったのは、あらゆる魔法の中で『聖女』が一番得意な『癒しの魔法』だ。
『癒しの魔法』が出した淡い光は、体を優しく包み込み温かな感覚が、傷ついた部分を癒していく。
そもそも私の身体は、普段は無意識に発動している自身の防御魔法で守られている。今は意識的に外していたが、本来ならあの程度の攻撃など食らうわけがない。
「さて、と……」
ちらりと剣が刺さった粗暴な男を見る。もう事切れていてピクリとも動かない。それを無表情で見下ろす。私にどんな恨みがあったのかは知らないけれど、お疲れさま。
そして、本当におばかさんだったね。
たまたま装飾品が地面に落ちて、その中でも一番硬い髪飾りが近くにある?
この男がたまたまネックレスに足を取られる?剣が腹を突き刺す?
そんな立て続けに私に都合の良い偶然が起こるわけないじゃない。
全て私の思った通りに物事が進んだだけよ。
そう思いつつ、いつもやっていた祈りのポーズをする。だがその手の動きに温かさはない。この死者への祈りは『聖女』だったころの習慣に過ぎず、心にはなんの響きもなかった。
――本当は、本当はね。
まだ剣が刺さった時、私なら治すことができた。あの時ならまだこの男が死ぬことはなかった。
だが私を傷つけた野党ごときを、なぜ助けなければならないのだ。
……え?それが『聖女』の仕事?
いやいや。あいにく、私はもう『聖女』はないので。
でもやっていた習慣というのは、なかなか抜けないものだ。さっきは助けたくなって体が震えてしまった。危ない危ない。
さて、それじゃあまずは――
……などと行動を開始しようとした、私の耳に届いたのは、さっきいた男たちの中の一人の声だった。
「生きてる……!?」
剣が刺さって死んでいる粗暴な男よりは華奢だが、十分な筋肉がついた、いかつい容貌の男の顔が驚愕の顔に染まっている。
……まぁまぁこれは良いところに。
私は手のひらを男に向ける。そして自身の魔力を男に少しずつ注ぎ込む。
すると――
「がっ……!なっ……!ぐげぇっ!ぎっ!」
いかつい男の体が、ボキボキと音を立てながら少しずつ変形していく。
いかつい男の口から血が出ようが、白目向いて苦しもうがお構いなしに私はいかつい男の体を作り変える。
「いいいいいいいいっ!」
耳をつんざくような、よほど人間の声とは思えないいかつい男の悲鳴が響き続ける。だが時間が経過すると、それも聞こえなくなっていき――
「……ふぅ。こんなものかしら。あとは、と」
私の魔法が解けて、地面に倒れているいかつい男に向かって私は歩き出し、魔法で丁寧に服をはぎ取る。
そしてその服を、魔法で私の身体に合うように作り変える。
ドレスなどではない。男とも女ともわからないような、どこにでもある一般人のような服に。
うん、こんなものかな。これに着替えよう。
でもその前にこっちが先かな?
私は今着ているドレスを脱ぎ、まだ身体についていたアクセサリーを全て外して。
裸で寝ている『もう一人の私』――元いかつい男だった死体を魔法で起こし、これまた魔法操作で私が着ていたドレスを着せ、髪を適当に切り、はめられていた石の手錠をそこらの石から精製し、その手にはめる。
それが終わると地面に下ろし、私が『死んだ』ときと同じ格好、つまり、髪飾りを両手で持たせ胸を刺し、後ろから蹴って前かがみに倒れさせる。
……あ、そういえば、他にも蹴られたり殴られたりしたんだった。その跡も必要ね。
私が攻撃された場所に、全く同じ力で攻撃をして偽装する。
するとその場所や口から血が出てきた。体内に残っていた血が出てきたか。これは偽装しなくて良さそうで楽だ。
……よし。こんなもんか。
私は、出来上がった死体を前後左右からしっかりと確認する。
それはどう見ても『セリナ・ハイロンドの死体』だ。
自画自賛してしまうほどの見事な『セリナ』に、私は思わず話しかけてしまった。
「……ふふ、素敵でしょ?その髪飾り。だって『聖女』を拝命したときにもらったものなのだから」
それを貴方たちが依頼した『国』の人間が見れば、一目でわかるくらいには有名な『聖女』の髪飾り。
とっても固くて、人間の身体を簡単に刺せるのよ、それ。
……なんて考えつつ。
『セリナ』から目を離して、ふぅ、とため息を一つ。手の平で額の汗をぬぐう。全裸だけど寒さを全く感じない。むしろ暑いくらいだ。
今使った魔法は、私が持ってきた書物に書かれていた魔法の一つ『血変』。
膨大な魔力と繊細な魔力操作を使って、他者の魔力を操作し身体を変容させる力で、相手の身体に直接干渉し、変化を与えることができる。
使うには魔力を解析できる能力、それから膨大な魔力と、繊細な魔力の操作が必要であり、一般的の魔法使いでは到底扱うことができない。
私よりも魔力の多い、妹のリアナだってできないだろう。
従って、今この世界で血変を使えるのは私だけになる。
ちなみに威力はご覧の通り。
こうして性別や年齢など、身体の特徴を変えることができる。
これ以外にも紙のようにぺしゃんこにすることも、大きくして破裂させることも可能。
……そして、この力を使われた対象は死ぬ。
これは絶対だ。
実は、どこかで動物を調達でもして血変を使おうかと思っていたのだ。そんな時に、どうしてかは知らないが、野党の一人が戻ってきてくれたので、ちょうど良いとばかりに使わせてもらった。
動物より人間のほうが、構造上『セリナ』に変えやすいのだ。
そんなことより、さっきの作業で服に血がついたら取るのが大変だ。脱がせてから魔法を使えば良かったのだが、いかつい男の裸を見るのが嫌だった。
それに魔法で綺麗にすることが出来る。血変は私でもヘトヘトになるくらいの魔力を使うが、服一枚なら一般人相当の魔力でじゅうぶんに綺麗に出来る。
「………………」
私は再び『セリナの死体』を見下ろして、なんの感情もこもらない『聖女』の祈りをした後……一言呟いた。
「ちょっと早くなっただけよ。どちらにしろ殺されるんだから」
『聖女』とは――
穢れなき魂と肉体を持ち、慈愛に満ちた美しく強大な聖なる奇跡の力で弱者を助ける、高潔な女性のこと。
……などと、一般的に知られている。
その言葉をそのまま信じるのならば、リアナは『聖女』に見えるだろう。中身がどうであれ、見た目は完璧な『本物の聖女』だ。
それに比べて……
治癒の力が発現した五歳から戦場に送られ、戦士を癒し、補助魔法が発現したら戦士の後方で援護をし、攻撃魔法が発現したら前線で戦わされ、泣いても叫んでも終わらない戦いが、本来の『聖女』の仕事より、リアナの代わりより、やりがいになってしまった私。
今だって全裸のまま、血まみれで死体をいじる私。
なんのためらいもなくそれができる私。
聖なる光よりも、赤黒い血を浴びているのが日常の『聖女』と呼ばれていた私。
――セリナ・ハイロンドはまさしく『偽物の聖女』だろう――




