159話『倒錯』
『我々は、ここで立ち上がらなければいけない! そのための力! そのための訓練なのだから!』
声を大きくする魔導具を使った高らかな宣言が、青空を震わせている。
その声は澄んだ空気を震わせるほど美しく、叫ぶ声の主もまた類まれなる美貌の持ち主だ。
長い赤い髪を後ろで一つに束ね、射抜くような青の瞳はいつも未来を見据えている。
天高く掲げた剣は、持つ者を補助し支え続けている、そんな気高さを持っているように見えた。
『中央国』王宮のバルコニーで宣言しているのは、国を支える王族、ステルダート家の長男アンサードのものだった。
自ら鎧に身を包み、戦場に赴くそのさまは、誰もが彼を次期陛下と認めるほどである。
そんなアンサードの言葉に民衆の士気は上がる。
『反逆者を、この平和な世を乱す者を、我々は決して許してはならない!』
その言葉に、アンサードの横にいる人物がクスリと笑った。
民衆はその天使のような微笑みを見て、さらに熱狂を、目を、全てを向ける。
その者の名はリアナ・ハイロンド。
『本物の聖女』が、王太子に寄り添うようにそこに存在していた。
『我々が動くのは今! 力を一つに合わせ、ともに乗り越えようではないか!』
湧き上がる民衆。まるで神が言葉を肯定するかのように、アンサードの剣が太陽の光で輝き、鳩が空を羽ばたいていった。
そんな中、クスクスとリアナは笑う。
「素敵なお言葉ですわ」
「リアナ、君はわかっているだろう? この民衆がどれだけ素晴らしいかを。だからこうして労う必要があるんだ」
「わかっておりますわ。大切な愛すべき人」
アンサードとリアナが目を合わせて微笑み合うと、黄色い声が響く。
誰が見てもお似合いの二人、誰が見ても寄り添い支え合い、国を発展させていくであろう二人だった。
それを王族次男、ステルダート家のアルベルトは後ろから見ていた。
この立ち位置……
アンサードのような『特別』な存在ではなく、ここに並ぶ自分の他の兄弟や、兵の精鋭たちの一人でしかないとアルベルトは言われているようで、内心腹を立てていた。しかし、これは父である王の勅命によるもの。口出しはできない。
だが、すぐにアルベルトは苛立ちを優越感と変えた。
今アンサードが寄り添うようにいる『本物の聖女』リアナは、アルベルトの婚約者。アンサードではない。
それがアルベルトのプライドを守っていた。
今だって少しリアナに合図を送れば……
「……ふふっ」
リアナはわざわざ民衆から、いや、アンサードから目を離し、アルベルトに向かって微笑む。
そう、そうなのだ。リアナはアルベルトのものなのだ。だから、リアナのためならなんでもできる。どんなことでもできる。
アンサードとは昔から比べられて嫌な思いもした。だが、そんなものはもうリアナがいればどうでも良い。
「はは、ははは……っ!」
アルベルトの壊れた声は民衆の声にかき消される。でもそれでも良いのだ。
リアナがそばにいてくれたら、それだけで……
「ずいぶんと仲の良いことだ。いや、婚約したんだったな、君たちは」
「うふふ、羨ましいですか? 私たちが」
アンサードは民衆に手を振る。それに合わせてリアナも笑みを浮かべたまま、民衆に手を振った。
「まさか。弟が初めて私を喜ばせてくれたよ。君との婚約、そして、セリナとの婚約解消でね」
リアナの顔が一瞬だけ動くが、微笑みに影響は出ない。
「牙は折れていたかと思っていたが、まだまだ健在だったとはな」
遠くを見据え、愛おしそうに目を細めるアンサード。
誰を考えているか、リアナには一目瞭然だった。
「さすがお姉様でしょう?」
「そうだな。さすが私のセリナだ」
「私の?」
「ふふふふ。どこまでも楽しませてくれる。セリナこそ私の横にふさわしい。セリナこそ、いつまでも壊しても健気に直してくる、最高の『人形』だ。ますます欲しくなった……あぁ、ちゃんとアルベルトと君にはお礼を言わなくてはならないな」
「まぁ、アンサード様。私のお姉様をそこまで評価してくださるなんて……嫉妬してしまいそうですわ」
アンサードとリアナ、お互いを見つめ合い微笑む。
それは未来の王と『聖女』が未来を見据えてのものであると、見ている誰もが思った。
「セリナほどではないが、私は魔力の操作ができる。そしてなにより私はセリナに魅せられた。君の『魅力』は私には通じないよ」
「それは残念ですが、お姉様相手なら致し方ありません。私は次席でも満足です」
アンサードは昔から鍛錬を欠かさない、王族にしては珍しい人物だった。
昔、王族の護衛をしていたという老人に、魔力について熱心に聞いていたとかなんとか。その老人は今『西国』に左遷されたらしいが。
その努力のおかげで、アンサードは三十九という年齢でも、まるで二十代のような若々しさを感じられるのだろう。
なぜかなかなかリアナを心底愛さないセリナといい、アンサードといい、魔力を操作できることがなにか関係しているのだろう。
そうリアナは思ったが、そんなのは些細なことだとすぐに切り捨てた。
アンサードが楽しそうに、だが、爽やかに『あはは』と笑う。
「私がセリナに一番ふさわしいと思うだろう? あのいつでもこちらを殺そうとする瞳を、受け入れられるのは私だけだ」
「ふふ、それはどうでしょうか」
アンサードは民衆に目を向け、掲げ続けていた剣を下ろし、一度大きく手を振ると踵を返し、そのまま兵士たちが横に佇み作り出す道を歩いていった。
その中にいる、アルベルトの歪んだ視線には興味もないという様子で。
リアナもその後に続いた。まだまだ民衆は歓声を止めない。それが二人への敬意だと言わんばかりに。
バルコニーから王城の中へ続く階段を降り……ふとアンサードは足を止めた。
だがリアナの足は止まらない。自分が思う通りに動くのが当たり前だと行動で示す。それに続く護衛の騎士や侍女もだ。
「リアナ、私は必ずセリナを手に入れるぞ」
リアナの足が階段下でピタリと止まる。
ドレスを、まるで窓から差し込む光を喜ばせるようにひるがえしながら振り返ったリアナを、アンサードは民衆に向けていたものと変わらない笑みのまま、見下ろした。
「お言葉ですが、アンサード様」
リアナはアンサードを見上げて笑う。楽しそうに、嬉しそうに。
「お姉様を愛し、愛されているのは私だと知っているでしょう?」
「どうかな? 今頃それが間違いだったと気づいているんじゃないかな?」
根拠があるような含みのある言葉。その意味をリアナはわかりかねたが、それでもセリナの愛は自分にあることは疑わない。なぜなら、セリナに限らずみんながリアナを愛しているから。
これは絶対だ。
「セリナは自分の愚かさに気づいているだろう。そして、生意気にも私に逆らってくるだろう。だが、そんなセリナを壊すのが楽しい。昔からそうだ。セリナは私に壊されるために存在する愚かな『人形』なのだから」
顔を手で隠すが、邪悪な笑顔を、魔力を隠しきれていないアンサード。
荒い息や、上半身の鎧だけでは隠しきれない下半身を見ると、自身のくだらない妄想で興奮しているのがわかり、リアナは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに笑顔をアンサードに向けた。
「アンサード様。私のお姉様を侮辱した罪、いつかその身では耐えきれないほど味わうことになるでしょう」
「おや? 神託かい? リアナはいつから『聖女』のようなことをするようになったんだい?」
くるりと絹のような綺麗な長い髪をなびかせて、リアナはアンサードに背を向け……もう用はないと歩き出した。
「必ず報いを。だって私は『本物の聖女』ですから」
やけに響く靴音が遠ざかっていき、背中から聞こえる民衆の声が少しおさまった頃。
アンサードはようやくその邪悪な笑みを収め、自分の次の仕事に取りかかるべく、階段を降りていったのだった。




