第154話『灰の混じる世界』
初代『聖女』クラリス・バレインシア。
魔力研究が進んだ今ですら勝てないと言われている魔力の持ち主であり、人間を守る魔法陣を作り上げ……
先ほど見た『聖女』システムを作り上げた張本人。の、はずだ。
『ふふ、そんなに緊張しないで。少しお話ししましょう』
セリナは一瞬だけ周りに目を向ける……が、すぐに気づいた。仲間を含め、水晶や照明が全て停止していることに。
この空間には、まるで二人しかいないかのように。
「お話ですか?」
『えぇ、だって聞きたいことがあるでしょう? 私に』
『クラリス』は優雅に後ろを向き歩いていく。その先はたくさんの本棚が並んでいた場所だ。
近くに置かれているベッドをまるで幽霊のようにすり抜け、さらに歩いてその姿が消えていった時、ようやくセリナの重い足が動いた。
少しかがみ、肩に乗ったライラから離れ……その紫の柔らかい毛に後ろ髪をひかれながらも先に進む。
こぶしを握り締め、恐怖を閉じ込める。
飲まれるな――そう思いながら。
セリナが机と本棚の間を抜けた先、机の上から良い匂いがしてきた。
この匂いは……紅茶か?
ゆっくり歩き、セリナが辿りついた時にちょうど淹れ終わったようで、『クラリス』はカップが置かれている場所に座る。そして手でセリナにも座るようにと促した。
『この大陸でしか取れない茶葉で作ったお茶なの。とっても美味しいのよ』
湯気が美味しそうな匂いをセリナに運んでくる。色は普通の紅茶となにも変わりはないし、毒が入っている様子は今のところどこからも感じられない。
ただ……それで飲めるかどうかは別だ。
「お茶会へのお誘い、ありがとうございます」
『ふふ、丁寧ね。どうぞ』
あえてイスに座らず『聖女』のような礼をするセリナに、改めて『クラリス』は促す。そこでセリナはようやくもう一つのカップがある席に座った。
『聞きたいことはなに? できる限りのことは答えましょう』
そう言って『クラリス』は懐から白い箱を取り出す。
その中に入っていた細い筒を取り出したかと思うと、先端に火をともし逆側に口をつけた。
「それは……!」
スーッと息を吸い、筒状の物を口から離してハーッと息を吐くと、白い煙が宙に浮かんだ。
『これがないとダメなのよ。私』
タバコ――確かそう呼ばれていた。
葉を粉々にし、そこに火をともして煙を吸うと魔力が制御できるようになるという、特別な葉を用いたアイテム。
しかし、吸う量を間違えると制御どころか暴走してしまうため、今の世では違法薬物認定され、とうの昔に葉そのものがなくなったと聞いている。
だが……それはあくまで魔法陣の内部の話だ。
この紅茶といい、この大陸にはセリナが見たことのないものが多数存在している。ならば、タバコがあってもおかしくはない。
セリナにまでまとわりつこうとする煙を振りほどくように、少しだけ首を横に振り、『クラリス』をしっかりと見据えた。
「貴女は先ほど『世界の管理人』とおっしゃっていましたが、どういう意味ですか?」
『そのままの意味よ。私は世界を管理しているの。これ以上の言葉はないわ』
「……その姿との関連性は?」
『特にないわ。もしかして初代『聖女』が黒幕かと思った? ふふ、面白い子』
「……世界図書館は全ての歴史を記していると聞きました。なのに穴があった。その理由は?」
『私が貴女たちに見せていないだけ。ちょっとした意地悪ね』
にこっと笑う『クラリス』に少し思うところはあったが、表情には出さず穏やかな笑みを向けたまま話を続ける。
「どうしてそんな意地悪を?」
『クラリス』が吐き出した煙は空気と交わることもなく、まるで生き物かのように漂う。
吸うと、ジジ……と音を鳴らして減っていくタバコ。先には灰がたまり始め、今にも落ちそうだ。
『言ったでしょう? まだ知るには早いって』
「それなら、いつなら教えていただけるのですか?」
膝の上に置いている手のひらに汗がにじむ。
得体のしれないというにはあまりにも雑な言葉に感じる。
恐怖、いや、畏怖……?
『今日は、とても月が綺麗な夜なのよ』
「……え?」
『クラリス』が横を向くのにつられてセリナも向くと、大きな窓の上部に月が見えた。確かに綺麗な満月に近い月だ。雲一つない。
時間の感覚が狂っていた。今は夜なのか。
『本当にそう思う?』
ドキリとして『クラリス』を見ると、とうにセリナのほうを向いてにこりと優しく微笑んでいた。
『狂っているのはなんだと思う?』
唐突な質問に頭が追いついていない。
なんの話をしている? なぜセリナが狂っていたと思ったことを知っている?
『最初はなにもない空間だった。そこから種族が増え、たくさんの争いが起こり、今はもうすべてが狂った世界になった。そうは思わない?』
細く白い手が動く。そして、セリナの目の前にある紅茶……そこに溜まりに溜まったタバコの灰が落とされた。
紅茶の表面に浮いていた灰が不規則にじわじわと落ちていき、綺麗な色をしていた紅茶が濁る。
『こんな世界を助けるの? どうして? 貴女はこの世界が、人間が嫌いで壊したかったのよね?』
「そ、れは……」
確かにそれを願った。追放されたときはそうだった。でも今は違う。違うんだ。
知らなかった人間の、仲間の温かさを知ったから。だからアルにも『生きろ』などと説教をした。
そう、セリナはそれをしたばかりだ。
『感情なんて移ろいやすいものよ。簡単に変わるし、簡単に壊れる。だから、ね。貴女はなにも間違っていないわ』
ひじを机に置いて指を組んで『クラリス』は優しい声で囁くように言う。
指の間に器用に挟まれたタバコの煙が、二人だけの世界を作るかのようにふわふわと舞い上がる。
『つらいでしょう? 怖いでしょう? ならばこんな世界を壊して全てを終わらせましょう? それが貴女にはできると思うわ』
エコーがかかったかのような『クラリス』の言葉に、かつての誰かの言葉が重なって聞こえてくる。
来るな、出て行け、触るな、クズ、偽物が、偽物、偽物……
「ああああああああっ!」
頭が割れそうなくらい痛くなり、両手で押さえてみるも治らない。幻聴は耳のそばで鳴り響く。
追放されて自由に旅を始め、薄れ始めていた言葉たちが小人にでもなり住み着いたのかと錯覚する。
『過去は忘れても残るのよ。ずっと、心に』
『クラリス』は立ち上がりセリナに近づくと、机の上に乗り優しくセリナの頭にポン、と手を置く。
『可哀相な子。こんなになっても世界平和のために使われるなんて』
世界平和? そんなことは望んではいない。
ただ、大切になった仲間が平和に暮らせるようになれば良いと思っただけで――
『もういい、もういいの。もう頑張らなくていいのよ』
「私はっ……! 頑張ってなんか……!」
『いいえ、頑張っているわ。いつだって命がけで頑張ってきたじゃない』
がんばって……がんばってきた……そう、がんばってきた……
なんのために? くにのために……そう、くにのせいじょとしてがんばってきた……
にせもののせいじょ、そうよばれてもわたしは……
わたしは……
――セリナはセリナだ。
「――!?――」
キンッ! という耳鳴りにも似た金属音が聞こえ、いつの間にか下げていた顔を反射的に上げる。
未だに聞こえる数々の小人たちの言葉。その中に、優しく温かい言葉が入っていた……ように感じた。
そうだ……私は……私だ……っ!
――何度間違えても……それでいいんだ。
「………………っ!」
『あら』
『クラリス』の手を払いのけ、セリナは目の前の紅茶を豪快に飲み干し、ガチャンッ! と音を立てて置いた。
それがかつて受けた『教育』の真逆のことだとわかっていて、だ。
そして涙を浮かべ息も荒いまま、机に乗る『クラリス』をセリナは睨みつけた。
「私は私ですっ……! 私が決めて私のやりたいようにやる。それだけの話です……っ!」
『……その心は?』
「今の『中央国』が気に入らないから壊すっ! これだけですっ!」
セリナの言葉に一瞬きょとんとした『クラリス』だったが、ふふ、とすぐに『聖女』の微笑みをし、机から降りていく。
小さくなったタバコを放り投げ、新しいタバコに火をつけ口にくわえると、残りのタバコが入った箱を机の上に置く。
『ならば神力を使いこなせるようになりなさい。そして精霊を集めて狂ったシステムを直すことね。それができるなら、だけど。それができるようになったらまた会いに来て。そしたらきっと、次には全てを教えてあげる』
タバコの煙が少しずつ増えていき、やがて『クラリス』の全身を覆いつくすほどになると、煙と灰で空間が汚れ始め、セリナはとっさに目を手で隠して防いだ。
『過去はこれからも貴女にずっとまとわりつき、問いかけてくることを忘れないで。ふふ、何度も同じところでつまずく矮小な人間が、一体どこまでできるのか……楽しみにしているわね、『聖女』セリナ』
「私はただのセリナですっ」
煙を吸いゲホゲホと咳き込みながらも、いつもエルンストにだってするツッコミは忘れない。
これくらいの煙を吸う分には神力が暴走する様子はなさそうだし、魔力はそもそもここでは使えない。
そして煙が空気に負け、浄化されて視界が晴れたのと同時だった。
「セリナっ! どこに行った!?」
『セリナ! ボクを置いていかないでよ! ヤダよーっ!』
聞こえてくる仲間の声に、壊れそうなくらいに鳴っていたセリナの心臓が安心した。




