第153話『『聖女』システム』
「管理人……?」
『あぁ貴女ですね、私を起こしたのは。そうです。私はこの世界図書館の全てを管理するもの』
声が響くたび、薄紫の水晶が淡く光る。
この水晶が本物の管理人なのだとしたら……今まで私に話しかけていた存在は一体なんだったのだろうか。
「おい、聞いていいか?」
『はい』
エルンストは戦闘態勢こそ解いたものの、警戒の色を濃くしたまま水晶を見上げる。
「管理人って……具体的になにをしているんだ?」
『世界図書館の維持、本の区分け、案内、説明、その他、世界図書館に関してのことならなんでも』
「なるほど……じゃあ例えばそうだな……つい最近の『西国』についての記述がある本はありますか?」
アルネスの問いかけに対し、水晶は淡く光り続けたまま沈黙した。
やがて――
「わっ、と……!」
アルネスの目の前に、一冊の黄色い本が唐突に出現した。
両手で受け取ると宙に浮いていたそれは、重力に従うただの書物へと変わる。ページをパラパラとめくるアルネスの表情は真剣だ。
ややあって……アルネスは途中で開いたままの本から目を離し、全員に視線を向けた。
「間違いないね。僕たちのやったことが、そのまま書かれている」
「なるほど、管理人だというのは間違いなさそうだな」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」
アルネスとエルンストが納得して頷き合う中、思わず声を荒らげたのはセリナだった。
つい先ほどまで自身を『管理人』と名乗る別の存在がいたのだ。さらに別の管理人がいたなんて言われても、状況がのみこめない。
「あ、あのっ、ここには管理人が複数存在するのですか?」
『いいえ、私だけです』
「じゃ、じゃあ、そんな簡単に本を差し出していいのですか?」
『この世界図書館に入り、私を呼び起こせた。それでこの図書館の使用許可を認めました』
「それでは……さっきまでいた管理人を名乗るものに心当たりは?」
『ありません』
矢継ぎ早な質問に対しても、水晶は抑揚のない声ですぐに答える。だが、セリナの頭の中ではどうしても納得がいかなかった。
「どうした? なにか問題があるのか?」
リオナルドが怪訝そうに尋ねてくる。だが先ほどの存在を見て、声を聞いていたのはセリナだけなのだ。どう説明したら良いのかと口ごもっていると、エルンストが頭をガシガシと掻いた。
「お前だけが見えてるって言ってたヤツの話だな? 今も見えているのか?」
「……いいえ」
「なら、次に出た時に教えろ。今優先させるべきは過去を知ることだ。そうだろ?」
「……はい」
「よし。おい管理人。『中央国』で起こった全ての『聖女』と魔法陣について教えてくれ」
エルンストの言葉を受け、淡く光り続ける水晶を眺めながら、セリナは眉間に皺が寄るのを止められなかった。
ボーっと見つめていたからか水晶の輪郭がぼやけ、焦点が合わなくなる。背後で本に筆ペンを走らせるカリカリという音が、やけに耳障りに響いた。
まるで自分だけが別の空間に取り残されたような感覚だ。
スムーズに探索を進めるエルンストの判断は正しい。だからこそセリナは口をつぐみ、胸の奥で渦巻く違和感を閉じ込めるしかなかった。
あの得体のしれない圧。魔力の量、クセですら本物と違わぬ精巧な偽物。背筋を冷たいものが這い上がるような微笑み。
簡単に無視していいはずがない。だが、いくら考えても答えなど出るはずもなかった。
「セリナ大丈夫か?」
「え? えぇ、大丈夫です」
リオナルドの心配そうな声にハッとして、自分が口元に手を当てて考え込んでいることに気づいたセリナは、いつものように笑みを浮かべた。
ライラがそっとセリナの肩に乗ってくる。心配そうに見つめるその顔に頬ずりをした。
それを見たアルネスが、水晶を見つめ直す。
「さっきとは違って時間がかかってるね。全ての『聖女』の歴史とか言っちゃったから、大量の本が一瞬で出てきて、みんな埋もれちゃったりしてっ。なんてねっ」
「怖えぇなっ。やめろよっ、俺の言いかたが悪かったみたいじゃねぇかっ」
思わず水晶から後ずさるエルンストを見て、アルネスが『あはは』と笑う。
少し緊張が解けた今も、水晶は淡く光り続けているだけで、本が出現する様子はない。その沈黙の長さが、アルネスの冗談を現実かもと思わせるには十分だった。
「い……いやいや……まさか……」
エルンストが笑みを浮かべながらも引きつり始めた時だった。
水晶の光が唐突に止まり……その場にいる全員に緊張が走る。
『書物が大量になってしまうため』
全員がとっさに後ずさり、水晶は淡々と言葉を続ける。
『要約したものをここに記します』
水晶の背後にある壁が眩い光に包まれ、思わず目を閉じる。
ある程度光が収まったのを確認して目を開くと、壁そのものが書物のように切り替わっていた。
無数の光点が並んでおり、一番左上に記された題目は『現在までの「聖女」システムの歴史』だ。
どうやらここがこの『本』の一ページ目のようだ。
「えぇと。『勇者』一行の一人である『聖女』が魔法陣を『中央国』に作り、それを守るために『聖女』の力が必要だった。その魔法陣を守るシステムを『聖女』システムと呼ぶ……ふむふむ」
アルネスが内容を頭に入れるかのように音読する。
この世界にいる人間なら誰でも知っている話だ。知りたいのはそんな表面上のことではない。
そう思いながら、セリナは少しずつ右に歩き、紫の光が映し出す文字に目を走らせる。
「魔法陣は『聖女』の莫大な魔力によって運営されている。魔力ならなんでも良いが、維持できるのは『聖女』だけだ。それは『聖女』が人間の平和を求めて行ったことに起因し――」
「待って」
アルネスの音読を遮ったのは、セリナだった。
書かれている事実を咀嚼しようとする脳にとって、その声すらノイズに感じられたのだ。正確には、書いてあることの意味は分かる。だが、心が理解を激しく拒絶している。
初代『聖女』……行方不明。
二代目『聖女』……過労死。
三代目『聖女』……早死に。
四代目『聖女』……逃亡し処刑。
なんだこれは? なにを言っている?
なんの羅列だこれは?
「九、十代目『聖女』……環境に耐えられず、お互いを刺殺……?」
『聖女』システムが……セリナが受けてきた理不尽な扱いは、ただリアナだけが特別に愛されているからだと思っていた。
だがそれは間違いだったのか? 歴史の中にとうの昔から刻まれていたというのか。
「そんな……」
じわりと手のひらに嫌な汗がにじむ。胸の奥が締め付けられ、呼吸が荒れる。
それでも、浮かび上がる残酷な文字から目を逸らすことができなかった。
『聖女』とは――
穢れなき魂と肉体を持ち、慈愛に満ちた美しく強大な聖なる奇跡の力で弱者を助ける、高潔な女性のこと。
どこかで読んだ一節が、セリナの脳裏を駆け巡る。
だが目の前の歴史に連なる『聖女』たちは、そんな崇高な存在ではない。
むしろ、ただの使い捨ての消耗品ではないか……!
「二十三代目『聖女』……馬車に轢かれ、事故死……」
もう読むのをやめたい。そう思っているのに、セリナの唇は震えながらも紡ぐことをやめてくれない。
「六十二代目『聖女』……魔力切れにて魔物化し、討伐……」
視界の文字が歪む。
それが溢れ出した涙のせいだと気づいたのは、熱い滴が頬を伝い落ちた時だった。
どうして……?
「私たちは……『聖女』は……どうして生まれてきてしまうの……?」
『聖女』は必ず『中央国』で生まれる。そしてすぐに『聖女』システムに組み込まれる。
そして使い倒され、やがて悲惨な末路にて命を落とす。ただそれだけの存在。
「せめて……人間のために、誰かの幸福のために生まれている……その理を変えないでよ……!」
ドンッ! と、重く硬い音が空間に響き渡った。
弾かれたように音のしたほうへ顔を向けると、リオナルドが壁に強く拳を打ち付けていた。彼の顔には、隠しきれない激しい怒りが浮かんでいる。
「最初から……っ、ここまで腐っていたのか『中央国』は……っ!」
左端にいるアルネスも、少し右にいるエルンストも、リオナルドと似たような表情で読みふけっている。
考えることは皆同じ……いや……
最初から……?
『勇者』と『聖女』が作ったはずの『中央国』が、魔法陣が、『聖女』システムが最初から?
違う。人間のために戦った『勇者』一行が……そんなシステムを作るわけない……!
「そんなはずはない……!」
わずかな希望を込めたその疑問が、セリナの足を動かす。壊れかけた足を引きずるように、少しずつ、左へ、左へと……
「そんなはずは……そんな……わけが……っ!」
そして辿りついた一番左端。そこに書かれていたのは、この文章だ。
――『勇者』一行の一人である『聖女』が魔法陣を『中央国』に作り……
先ほどアルネスが読んでいた部分だ。これではない。知りたい単語を、文章を求めて目を走らせる。
だが……どこを読んでも、その核心に触れる文章がない。すぐに『中央国』における『聖女』の非道な扱いの記録へと飛んでしまっている。
「どういうこと……?」
ここは全てを記録している世界図書館なのではないのか。なのにその記述が抜け落ちているということは……まだ隠された事実がある?
それに、知りたかった『聖女』が死んで、次の『聖女』が生まれるまでの間の記録もない。
当時を知る人間たちの話では、その間は魔法陣が機能せず魔物がはびこる地獄の時代だったというが……
『なにもかも今わかってしまうと、つまらないでしょう?』
急に背後から鼓膜を直接揺らすような声が響き、セリナは弾かれたように振り返る。
そこには一人の女が立っていた。
腰まである黒い髪、黒い瞳。精巧なティアラを輝かせ、白く美しいデザインが施された服をふわりとなびかせて、優しく微笑んでいる。
「なっ……!」
絶句した。
そこにいるのは、セリナのよく知っている人物だ。いや、正確に言えば『書物で見たことのある人物』だ。
ティアラのデザインは『中央国』の国旗に描かれているもの。服のデザインは修道院や教会の壁画に描かれているものと同じ。
だが、彼女が『黒髪で黒い瞳』であることまでは知らなかった。
なぜなら、セリナの知っている『資料』は、誰かによって都合よく書き換えられた古いものだったからだ。
「なぜ……?」
荒ぶる呼吸を抑えきれず、掠れた声を絞り出すセリナ。その人物は、美しく白い人差し指を立てて、自身の唇にそっと当てた。
『まだ全てを知るには早い。まだ貴女は旅の途中なのだから』
にこりと微笑んでたたずむその姿は、かつてセリナが『教育係』から徹底して真似ろと強いられた、理想の『聖女』そのものだった。
絶望的なまでに目が奪われる。これが……
「………………っ!」
下唇を思い切り嚙み、意識をしっかりと取り戻す。
そして姿勢を正し、セリナはしっかりと向き合った。
「なぜ……その人の全てを知っているのですか……?」
『ふふ、それはね。私が『世界の管理人』だからよ』
睨みつけるも声の震えが止まらないセリナに対し、初代『聖女』の姿をした『管理人』を名乗っていた存在は、誰もが思い描く『聖女』のように美しく微笑み、スカートをひるがえして見事な礼をしてみせたのだった――




