第152話『何度繰り返したとしても』
オレンジの光が淡く遠くを照らしている。
そんなことを思いながら、意識が覚醒したセリナはゆっくりと起き上がった。
頭を完全に起こしながら辺りを確認する。枕元には眠っているライラ。他のベッドにはいびきを立てて寝ているエルンストと、枕を抱きしめながら寝ているアルネス。
奥にはなんの反応もない大きな水晶。
ここは例の部屋にあったベッドか。なるほどと納得しながらセリナは静かにベッドから降りる。
体が思ったより軽いし、回復もしている。具合からいって、寝ていたのは数時間か?
「あ……セリナ、大丈夫か?」
机と本棚の間を縫って部屋から出ると、リオナルドが白い本が飛び交う部屋のイスに座ってなにかを読んでいた。
「はい。ご迷惑おかけして申し訳ありません」
にこりと笑い、改めて世界図書館のほうへ目を向ける。
本だらけの空間。かつては望んでいた世界だったように思う。
だって、本を読んでいたら怒られないから。本は新しい世界を教えてくれるから。
だけど、本は閉じると現実を嫌でも見せつけてくる。
教育係の足音とともに。
「セリナが休んでいる間に本を読んでいるんだけど……ダメだな。どこに目的のものがあるのかわからない」
「……そうですか」
「だが、アルネスによると……こっちの本のおかげである程度は絞り出せるんじゃないかって」
そう言ってリオナルドが指で示したのは頭上を飛んでいる本たちだった。
「これがもし『今』作られている出来事なら、この本が吸い込まれている本棚は最近のものじゃないかって。俺たちが探しているのは二十五年前。最近だ。だから、そこらへんに当たりをつけてみようと」
「なるほど」
セリナはゆっくりと歩みを進め、ドアをくぐったあたりで足を止め、今しがた本が収まっていった本棚を見る。
入っていく本は装丁も色も収まる場所もバラバラ。しかし、この部屋に近い本棚に収まっているように見える。
つまり、奥に行けば行くほど古い歴史が詰め込まれているかもしれない、というアルネスの推測だ。
「リオナルド様のその本にはなにが?」
「一番前の本棚から取ったんだが……なにやらヴァンパイアから逃げ出した黒が好きな人間の男が、宿屋でのんびり過ごしているらしい」
「……なるほど」
それが大きな出来事なのか、人間一人を綴るための本だったのかはわからない。
細かいものまで書かれているとなると……探すのは容易ではなさそうだ。
しかも、この部屋のオレンジの灯は近くの本棚しかうっすらと照らさない。先は暗闇。無間地獄のようだ。
「ここに近い本棚が調べられるのなら、セリナが無理をしてあの水晶に力を込める必要なんてないと思うんだ。まずはここら辺を調べて――」
「そんなことしていたら、いつまでも終わりません」
「え?」
セリナの視線は暗闇に向いたまま、だが、しっかりとした口調でリオナルドの言葉にかぶせる。
「全てを把握して。全容を確かめて。空間を支配して。わからないは禁句。そうでしょう?」
「セリナ……?」
一瞬ブルリと体が震え、抑えるために服のすそを掴む。
そして目の前にいる人物……『教育係』を睨み続けた。
『なにも言っていないけど?』
……わかっている。この人物は本物ではなく管理人だ。
だが……フチの赤い眼鏡に、軽いウェーブのついた髪を綺麗にまとめ上げ、灰色の瞳が収まるつり目が、机の上に座ったままセリナを見ている。
手には……いつもの教鞭。そして装飾品が少ない。
セリナの『教育』に失敗したと判断され、そのせいで給料が少なく、好きなものが買えずにストレスが溜まっている時に見せていた格好だ。
『睨んでいてもなにも変わらない、でしょう?』
違う、目がそらせないのだ。そらした瞬間になにをされるかわからないから。
見ていれば……神経をとがらせて警戒していれば、ある程度は耐えられる。
セリナの様子がおかしいことに気づいたリオナルドが、セリナにゆっくりと近づく。
そして手を伸ばした。
「セリナ……?」
「やめてっ!」
とっさにその手を叩き落とす。わかっていたのに。その手がリオナルドだということは。
なのに、視線は『教育係』からそらせないしリオナルドにも警戒心が解けない。
わかっているのに。
わかっているのに……!
「……セリナ、落ち着け」
「わかっています!」
声を荒げるセリナにリオナルドが大きなため息を一つ。それすら一瞬身構えてしまうセリナ。
そんなセリナにリオナルドは変わらず声をかけた。
「そのままでいい。私の声が聞こえているか? まずセリナに近づくぞ」
リオナルドの足音はカーペットによって消されているが、気配が近づいてくるのがわかる。
やがて、正面を見るセリナの視界のはしに少し映るくらいまで近づいたリオナルドはまた声を出した。
「セリナに右手で触る。いいな」
前言通り、リオナルドの手がセリナの頭を撫でた。優しく何度か往復し、そのまま側頭部に置かれるとそっとリオナルドのほうに引き寄せられる。
その瞬間――ようやくセリナの視線が『教育係』から外れた。
「………………っ!」
セリナは自分の歯がカチカチとなっているのに今気づく。瞳にたまっていた水滴が頬を伝い、力が抜けた。
床に倒れるように落ちるセリナを抱きしめるように、同じくリオナルドが腰を落とした。
「私は……頑張らないといけなくて……っ!」
「なんのために?」
「それは『聖女』として……!」
「セリナなのに?」
「わ……私はっ……『聖女』……じゃ……」
「そうだな。セリナはセリナだ」
セリナを抱きしめるリオナルドの腕をつかむ。指が、爪が食い込む力なのに、その腕は優しくセリナを包み込む。
過去に戻っていくセリナを引き留めようとするかのように。
「セリナは一人のただの女性だ。周りが『聖女』だと言っても私は言わない」
「私は弱く在ってはいけないんですっ! 私は強くて一人でなんでもできて――」
「じゃあ、私の前ではそうじゃなくていい。それでいいんだ……セリナ」
リオナルドの力がこもる。
「私は『今』のセリナを否定しない」
「………………っ!」
セリナが目を閉じると、大量の涙が音もなく落ちていく。
セリナの望み通り、誰にも見せないように、誰にも知られないように。
「違う……ダメ……私は、何度、こんなことを繰り返すの? 何度、こうして泣いて、こうして言われて、何度同じ話を繰り返すの? 何度も何度も言われても学習しない……覚えないから……怒られて当然で……」
「何度おかしくなっても言うから」
「やめて! 私はこれ以上弱くなりたくない! これ以上悲劇のヒロインなんかになりたくない! 毎回同情されてなぐさめられるだけの存在じゃない!」
『でも、そう見えるよ?』
返ってきたのはリオナルドの声ではなかった。
弾かれるように顔を上げると、机の上にいたのはさっきまでいた『教育係』ではなく『ノエル』だった。
なぜ……?
今はノエルのことなど頭になかったのに……
『なぐさめてほしいんだよね? 弱い私を見てって。こんなに弱くなったけど、がんばる私を見てって』
「ちが……っ!」
『だから何度も繰り返して、何度もかわいそう、かわいそうってしてほしいんだよね?』
言葉に詰まり歯を思い切り噛みしめても、涙が止まらない。腕が震える。
違うのに。それしか言えない自分が情けない。
これは悔しさの涙だ。
そんなセリナを見て、ノエルは無表情のまま机から降りた。
そして床にいるセリナを見下ろす。
『違うのなら、もう壊しちゃえばいいのに』
………………え?
『もっともっと壊してしまって、いらないものを捨てたら満足できるよ』
セリナの瞳が揺れる。
なにを言っているのかわからない。壊す? なにを?
『わたしの友達のセリナは、こんなセリナじゃないよ』
くるっと向きを変え、そのまま暗闇のほうへ歩いていく『ノエル』。
それを止めようとして動こうとするが、リオナルドに抱きしめられていることを失念していた。動けない。
「離してっ……!」
「セリナが大切なんだ」
ハッとして瞬きをしたセリナの視界に入ったのは、床に敷かれた赤いカーペット。涙でゆらゆらと揺れている。
「何度間違っても……それでいいんだ」
リオナルドの言葉で、止まっていた呼吸が戻ってきた気がした。
「セリナは覚えているか?『西国』で会ったおじさんを」
覚えている。
『大地の精霊』の眷属で、リオナルドとエルンストを鍛えたという男のことだ。
「おじさんが言っていたんだ。これからこんなことが何度でも起こるって。それが当たり前になるって。精霊に関わったから、この道を選んだから」
リオナルドが、セリナの背中を優しくゆっくりとさする。それが妙に心地良い。
「つらい思いをして、トラウマを引き起こされて、そのたびに苦しむのは当たり前じゃないか。だから、何度も何度も繰り返して、泣いたっていいんだ。吐き出していいんだ」
ゆっくりと、まるで子供に聞かせるような優しいリオナルドの声が、セリナの耳に届いてくる。
「今はそれでいい……」
本は変わらず飛び、羽ペンは変わらず文字を書く。なにも変わらない空間。
当てもなくさまようセリナの視線が再びとらえたのは、いつの間にかこちらを向いていた『ノエル』だった。
『過去は、角度を変えたらまた別の顔を見せる』
見たくなかったはずの『ノエル』が、今はセリナに優しい笑みを向けている。
『過去は変えられない。でもこれからはどうなるんだと思う?』
『ノエル』の言葉がスッとセリナの頭の中に入ってくる。
『過去は同じことのくりかえし。形が違うからみんなかんちがいするの。そんな過去からなにを学ぶの? なにを必要としているの?』
『ノエル』は再びゆっくり暗闇のほうへと歩いていく。
『セリナが決めることなんだよ』
暗闇に紛れて姿を消してしまう『ノエル』と、セリナを抱きしめているリオナルド。
どちらも暖かな温もりだ。
私は……
目を閉じて、深呼吸を何度も繰り返して呼吸を整える。
そして、セリナの目が開く。
「もう……大丈夫です。ありがとうございます、リオナルド様」
「……うん」
リオナルドがそっと離れていく。
頬に残った涙の跡を拭ってセリナはリオナルドを見た。
「私は、今や未来を自分の手で自由に生きるためにここに来たんでした。この程度で負けていられない……ですよね?」
「……うん、そうだな」
つらくても苦しくても逃げない。
私はそうやって生きていく、それが私の自由だ――
ようやく立ち上がったセリナは大きく息を吸い込み、思い切り吐く。
その時――『教育係』の足音が遠ざかった気がした。セリナが暴走していたり、起き上がる力もない時に聞く音だ。
だが、セリナはちゃんと自分の足で立っている。自分の気持ちでここにいる。
だから――!
「なんだっ!?」
声と同時に背後がまぶしいくらいに光る。
オレンジの光ではない。それ以上の力強い白い光。
セリナとリオナルドは部屋の奥をのぞき込む。すると、エルンストとアルネスがベッドから飛び起きてその光の先を見ていた。
「えっ!? 水晶が光っている!?」
そこまで確認した二人は急いで奥へ入っていく。
そして、戦闘態勢のエルンストとアルネスの後ろでリオナルドも同じく戦闘態勢を取り、セリナはまぶしそうに目を細めるライラを抱き起こす。
「なにが起きた?」
「わかりません」
エルンストと現状把握を試みるが、なにもわからない。リオナルドは素直に答え、セリナをちらりと見る。それに対して首を横に振って見せた。
だが……これがもしセリナの心に、命を削る神力に呼応したのだとしたら……
セリナは起きたライラを宙に浮かせて、ゆっくりと水晶に近づく。
煌々と光る水晶だが、目がやられるようなことはない。むしろ神聖な光が目だけではなく、全身を包み温めているような気さえしてくる。
そして、水晶の目の前に止まり見上げながらそっと手の平で触れる。
すると、勢いよく光がセリナの中に入るかのように巡り、腕が、全身が光りだした!
「セリナっ!」
全員が駆けだしセリナを救出する前に、光はセリナの中に吸い込まれ、溢れた光の束たちが床や壁を滑る。
やがてあのまぶしかった光は部屋全体に行き渡って、世界図書館の全貌を見せていた。
「一体なにが……?」
呆然とするセリナたちの前に、水晶が薄紫の光を発して佇んでいる。
そして……その『声』は水晶から聞こえてきたように感じた。
『私を起こしたのは貴女ですか? 私はこの世界図書館を管理するもの、通称『管理人』と呼ばれる存在です』




