第146話『選択肢』
『この『聖女』には生きてもらわねばならない。だからこれで良いのだ』
温もりが自身を包んでいるとはっきりわかった時、セリナは目を開けた。
見えた光景は……まずは仲間たちの心配そうな顔。
それから……
「なにを……しているの……?」
アルがセリナに生命力を送っている様子。
そのおかげで死にかけの体が治っていっているのがわかる。
だが代わりに、アルの体が少しずつ崩れていっている。
なにが起きている?
どうして子供たちもナツキも泣きながら立ったままでいる?
「どう、いう……っ?」
声が上手く出せない。喉がつぶれている。
そのせいか、誰もセリナの言葉に答えなかった。沈痛な面持ちのまま、全てを受け入れているようなそんな雰囲気だ。
ゆっくりと起き上がり、手を、体を見る。
血の跡は残ったまま。めまいは起きないし、震えるが動くことができる。
『私はもう古い種族。老兵はこのまま世界から退場だ』
アルが穏やかに笑う。
セリナの周りを囲む仲間も、アルの周りを囲むナツキたちも、なにもかもが。
セリナには異様に見えた。
「やめてよ……やめて……」
自身の体に喝を入れて起き上がり、ふらふらとよろめきながらアルに近づく。
リオナルドやライラがセリナの体を支えようとしたが、それを拒否した。
触らないでほしかった。
『なにをしているのです……?』
ようやくセリナはドラゴン語でアルに問いかけることができた。
だがアルは満足そうに笑い、今にも消えそうになっている。
『なにをしているのって聞いてるの!』
走り出した。アルの体にしがみつき、魔力をアルに送った。
『癒しの魔法』――これしかやり方を知らない。
『やめて! やめてくださいっ!』
『いいのだ。私よりも『聖女』のほうが、今の時代に似合う。遅すぎた贖罪だ……させてくれ』
アルがナツキたちを見る。
泣いている子供たち、二人の肩に手を置きながらアルを見つめるナツキ。
優しく笑うアルは、セリナを見ていない。別れがつらそうだが、納得している顔だ。
「………………っ!」
体の中から嫌悪感がこみ上げる。
気持ち悪い。なにかがこみ上げてきて、喉が焼けるように熱い。
『勝手なこと言わないで! 私を治して死ぬ気なのでしょう!?』
アルの体を拳で叩き、魔力をさらに注ぐ。
全身に痛みが走るが構わない。アルの力を返すことになんの問題がある?
『ふざけるな! 逃げるなっ!』
『……っ、逃げてなどいない。私の力を託したいだけだ』
『現実に絶望して逃げようとしているようにしか見えないのよっ! 許さないっ!』
何度も何度もアルを叩く。そうしなきゃ、怒りが抑えきれないだけだ。
『逃げられない現実と向き合う恐怖を味わってから死んでよっ! 勝手なことは許さないっ! 死なせない! 絶対に死なせないっ!』
がむしゃらに魔力を送るが、アルの体の崩壊が止まらない。
だが今のセリナに考える力なんてない。
拳の皮が破れ、口から血を吐き、ガクガクと今にも崩れ落ちそうな足がセリナの体を支えている。
でも絶対にやめない。やめてやるものか。
「セリナ……! もう……!」
手を伸ばしてやめさせようとしたリオナルドが……セリナの気持ちに負けてその場から動けずにいる。
それは、他の仲間も同じだった。
『正解なんて……ないのに……見つけたみたいな……顔をしないでよ……っ!』
『………………っ!』
アルの体がセリナの拳で赤く染まる。
崩れ落ちそうな太ももを無理やり叩いて足の震えを止め、魔力を送り続ける。
それだけじゃない。透明な雫が、しがみついて離れないセリナの頬から、アルの体を伝う。
『私は……自分に言い聞かせて……納得させたのだぞ……? なのに……否定するのか?』
セリナの体が少し重くなる。アルの力が弱まったからだ。
『死を……選ぶと……悲しむ人がいるのなら……そんなのを正解に……しないで……!』
かつて死のうとしていたセリナが、今のセリナを後ろから見ている気がした。
昔のセリナ。今のセリナ。追放されてからの少しの期間で劇的に変わっているわけじゃない。
だから……そんな恨みがましい目で見ないでよ……
『孤独はもう終わってる……』
アルがセリナに向けた手が、少しずつ重力に任せて落ちていく。
小さく首を横に振ったアルは、どこを見ていいのかわからなくなっている。
『やめてくれ……私は……私は……決死の思いで決めたのに』
『そんなのどうでもいい……っ! そんなの、残された人間の重荷にしかならない……っ!』
その時――
セリナの魔力が、いや、力の質が変わっていく。
優しくて、慈しみに溢れるような力に。
『生きてよ……生きてこの現実を自由に選んでよ……!』
セリナの拳を振る速度が落ちてきている。それと反比例して、力は増してきている。
崩壊しかけたアルの体が、ゆっくりだが治っていく。
魔法陣によって溢れていた魔力が……空気が違うものへと変化する。
『これは……っ!』
気づいたアルがセリナを持ち引きはがす。
『今すぐその力を収めろっ! その力は人間には過分な力だっ!』
だが、セリナは目を閉じたまま自分を持ち上げる手に愛おしそうに触り、力を送り続ける。
『命を削る力だっ!』
アルが叫んでも状況は変わらない。
『………………っ!』
とうとうアルは小さく首を横に振って、手の中のセリナを見ることしかできなくなった。
『わからない……『聖女』よ、みな納得してくれたのだぞ?』
『勘違いしないで。私は『聖女』じゃない……』
はっきりと言った。
全ての思いを込めて、この言葉を。
『私は『偽物の聖女』よ……っ!』
後ろのセリナがビクッと震えた。
そうだ。この言葉は私にとっての蔑称だ。
本物は他にいる。私は偽物にしかなれない。
――だけど、わかるでしょう?
『このまま死なせるのが『聖女』なら、そんなものいらない……っ!』
セリナの体が揺れている。いや、違う。これは……
アルの体が震えている。
『わからない……お前はどうしてそんなに運命に抗う……!?』
その時、セリナの奥にいるナツキたちにアルの目線が自然と向いた。
泣いていた。さっきから。でも納得してくれた涙だ。別れの涙。
『アル様……! やだ……!』
『もっと一緒にいたい……!』
アルはこのとき気づいた――
子供たちの小さな言葉の抵抗に。ナツキの唇が震えていることに。
『ほら、正解なんてない……』
ポツリとこぼしたセリナの言葉が、アルの目の焦点を泳がせた。
『ならば……! どうしたら良いのだ! このままでは『聖女』は死ぬ! 私の命と引き換えにしないと……そなたは……!』
それはさっきまでの話でしょう。今は違う。
理屈なんてどうでもいい。
『使えているのだから、それでいい……』
『………………っ!』
確実にアルは治っていく。
しかし、アルの言う通りセリナはこのままでは死ぬ。
でもセリナは力を止める選択肢を選ばなかった。
なぜなら――
『大地の力を使い、二人を修復します』
『それなら、我は氷の力を使って崩壊を止めよう』
精霊たちの声がアルをさらに惑わせた。
『な、なにを……!』
『今の私たちは『聖女』、いや、セリナと契約し、力を貸す精霊』
『セリナの意志に従う。それだけだ』
精霊の言葉がまっすぐにアルに刺さる。
そしてそれが聞こえたのはアルだけではなかった。
『……あ、アル様を助けられるの? アル様死ななくていいの? それなら僕だってお手伝いしたい!』
『私もする! 嫌だよ、アル様いなくなるのは嫌っ!』
せきを切ったように子供たちが叫んだ時、ついにアルは動けなくなった。
『私は……』
一人では選択肢は限られている。
でも大切なものを守るための選択肢は、その人を必要としている分ある。
『一人じゃない……』
セリナは変わらずアルに力を送り込み、アルはただ受け止めるだけだった。
『一人じゃ……ない?』
アルはナツキたちを見た。
精霊に必死に訴える三人を見て……視線が外せなくなっていた。
同じ種族でもない。ただの気まぐれで拾った三人の魔物……
『元』人間の魔物たち……
アルの昔話を楽しく聞く子供たち。
自分よりもずっとちっぽけなのに、体を心配してくるナツキ。
三人の犠牲の上で行われていた仮初めの平和。
『この胸の痛みを……抱えて生きろだなんて……!』
アルの黒い空間から大きな水の玉がこぼれ落ちる。
同族を失ったあの日から、出ることがなくなったその透明な水滴が、アルの心に痛みをもたらした。
『これが贖罪なのだとしたら……なんてことをしてくれたのだ『聖女』よ……』
――それが生きるってことなんだと思いますよ。
セリナの言葉は声にならなかった。
だがきっとアルはもうわかっているだろう。
痛みが支配する。
体の痛みではない。心の痛みが。
その時、精霊の力が空間を支配した。
セリナにはわかった。精霊たちは待っていたのだ。アルの決断を。
精霊たちの力に、セリナとアルはゆっくりと包まれていく。
セリナはそれをもアルへ送り込み……
『これが……生きるか……』
アルは天を仰いだ。
久方ぶりの涙はアルの頬を伝い、地面へと落ちる。
それと同時に、遠くで天井に出来たつらら石を伝った水滴が、下の水たまりへと落ちて優しく音を立てた。




