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偽物の聖女  作者: ゆきもち
第五章『世界図書館』編
146/148

第146話『選択肢』

『この『聖女』には生きてもらわねばならない。だからこれで良いのだ』


 温もりが自身を包んでいるとはっきりわかった時、セリナは目を開けた。

 見えた光景は……まずは仲間たちの心配そうな顔。

 それから……


「なにを……しているの……?」


 アルがセリナに生命力を送っている様子。

 そのおかげで死にかけの体が治っていっているのがわかる。

 だが代わりに、アルの体が少しずつ崩れていっている。


 なにが起きている?

 どうして子供たちもナツキも泣きながら立ったままでいる?


「どう、いう……っ?」


 声が上手く出せない。喉がつぶれている。

 そのせいか、誰もセリナの言葉に答えなかった。沈痛な面持ちのまま、全てを受け入れているようなそんな雰囲気だ。


 ゆっくりと起き上がり、手を、体を見る。

 血の跡は残ったまま。めまいは起きないし、震えるが動くことができる。


『私はもう古い種族。老兵はこのまま世界から退場だ』


 アルが穏やかに笑う。

 セリナの周りを囲む仲間も、アルの周りを囲むナツキたちも、なにもかもが。


 セリナには異様に見えた。


「やめてよ……やめて……」


 自身の体に喝を入れて起き上がり、ふらふらとよろめきながらアルに近づく。

 リオナルドやライラがセリナの体を支えようとしたが、それを拒否した。

 触らないでほしかった。


『なにをしているのです……?』


 ようやくセリナはドラゴン語でアルに問いかけることができた。

 だがアルは満足そうに笑い、今にも消えそうになっている。


『なにをしているのって聞いてるの!』


 走り出した。アルの体にしがみつき、魔力をアルに送った。

『癒しの魔法』――これしかやり方を知らない。


『やめて! やめてくださいっ!』

『いいのだ。私よりも『聖女』のほうが、今の時代に似合う。遅すぎた贖罪だ……させてくれ』


 アルがナツキたちを見る。

 泣いている子供たち、二人の肩に手を置きながらアルを見つめるナツキ。

 優しく笑うアルは、セリナを見ていない。別れがつらそうだが、納得している顔だ。


「………………っ!」


 体の中から嫌悪感がこみ上げる。

 気持ち悪い。なにかがこみ上げてきて、喉が焼けるように熱い。


『勝手なこと言わないで! 私を治して死ぬ気なのでしょう!?』


 アルの体を拳で叩き、魔力をさらに注ぐ。

 全身に痛みが走るが構わない。アルの力を返すことになんの問題がある?


『ふざけるな! 逃げるなっ!』

『……っ、逃げてなどいない。私の力を託したいだけだ』

『現実に絶望して逃げようとしているようにしか見えないのよっ! 許さないっ!』


 何度も何度もアルを叩く。そうしなきゃ、怒りが抑えきれないだけだ。


『逃げられない現実と向き合う恐怖を味わってから死んでよっ! 勝手なことは許さないっ! 死なせない! 絶対に死なせないっ!』


 がむしゃらに魔力を送るが、アルの体の崩壊が止まらない。

 だが今のセリナに考える力なんてない。

 拳の皮が破れ、口から血を吐き、ガクガクと今にも崩れ落ちそうな足がセリナの体を支えている。

 でも絶対にやめない。やめてやるものか。


「セリナ……! もう……!」


 手を伸ばしてやめさせようとしたリオナルドが……セリナの気持ちに負けてその場から動けずにいる。

 それは、他の仲間も同じだった。


『正解なんて……ないのに……見つけたみたいな……顔をしないでよ……っ!』

『………………っ!』


 アルの体がセリナの拳で赤く染まる。

 崩れ落ちそうな太ももを無理やり叩いて足の震えを止め、魔力を送り続ける。

 それだけじゃない。透明な雫が、しがみついて離れないセリナの頬から、アルの体を伝う。


『私は……自分に言い聞かせて……納得させたのだぞ……? なのに……否定するのか?』


 セリナの体が少し重くなる。アルの力が弱まったからだ。


『死を……選ぶと……悲しむ人がいるのなら……そんなのを正解に……しないで……!』


 かつて死のうとしていたセリナが、今のセリナを後ろから見ている気がした。

 昔のセリナ。今のセリナ。追放されてからの少しの期間で劇的に変わっているわけじゃない。


 だから……そんな恨みがましい目で見ないでよ……


『孤独はもう終わってる……』


 アルがセリナに向けた手が、少しずつ重力に任せて落ちていく。

 小さく首を横に振ったアルは、どこを見ていいのかわからなくなっている。


『やめてくれ……私は……私は……決死の思いで決めたのに』

『そんなのどうでもいい……っ! そんなの、残された人間の重荷にしかならない……っ!』


 その時――

 セリナの魔力が、いや、力の質が変わっていく。

 優しくて、慈しみに溢れるような力に。


『生きてよ……生きてこの現実を自由に選んでよ……!』


 セリナの拳を振る速度が落ちてきている。それと反比例して、力は増してきている。

 崩壊しかけたアルの体が、ゆっくりだが治っていく。

 魔法陣によって溢れていた魔力が……空気が違うものへと変化する。


『これは……っ!』


 気づいたアルがセリナを持ち引きはがす。


『今すぐその力を収めろっ! その力は人間には過分な力だっ!』


 だが、セリナは目を閉じたまま自分を持ち上げる手に愛おしそうに触り、力を送り続ける。


『命を削る力だっ!』


 アルが叫んでも状況は変わらない。


『………………っ!』


 とうとうアルは小さく首を横に振って、手の中のセリナを見ることしかできなくなった。


『わからない……『聖女』よ、みな納得してくれたのだぞ?』

『勘違いしないで。私は『聖女』じゃない……』


 はっきりと言った。

 全ての思いを込めて、この言葉を。


『私は『偽物の聖女』よ……っ!』


 後ろのセリナがビクッと震えた。

 そうだ。この言葉は私にとっての蔑称だ。

 本物は他にいる。私は偽物にしかなれない。


 ――だけど、わかるでしょう?


『このまま死なせるのが『聖女』なら、そんなものいらない……っ!』


 セリナの体が揺れている。いや、違う。これは……

 アルの体が震えている。


『わからない……お前はどうしてそんなに運命に抗う……!?』


 その時、セリナの奥にいるナツキたちにアルの目線が自然と向いた。

 泣いていた。さっきから。でも納得してくれた涙だ。別れの涙。


『アル様……! やだ……!』

『もっと一緒にいたい……!』


 アルはこのとき気づいた――

 子供たちの小さな言葉の抵抗に。ナツキの唇が震えていることに。


『ほら、正解なんてない……』


 ポツリとこぼしたセリナの言葉が、アルの目の焦点を泳がせた。


『ならば……! どうしたら良いのだ! このままでは『聖女』は死ぬ! 私の命と引き換えにしないと……そなたは……!』


 それはさっきまでの話でしょう。今は違う。

 理屈なんてどうでもいい。


『使えているのだから、それでいい……』

『………………っ!』


 確実にアルは治っていく。

 しかし、アルの言う通りセリナはこのままでは死ぬ。

 でもセリナは力を止める選択肢を選ばなかった。


 なぜなら――


『大地の力を使い、二人を修復します』

『それなら、我は氷の力を使って崩壊を止めよう』


 精霊たちの声がアルをさらに惑わせた。


『な、なにを……!』

『今の私たちは『聖女』、いや、セリナと契約し、力を貸す精霊』

『セリナの意志に従う。それだけだ』


 精霊の言葉がまっすぐにアルに刺さる。

 そしてそれが聞こえたのはアルだけではなかった。


『……あ、アル様を助けられるの? アル様死ななくていいの? それなら僕だってお手伝いしたい!』

『私もする! 嫌だよ、アル様いなくなるのは嫌っ!』


 せきを切ったように子供たちが叫んだ時、ついにアルは動けなくなった。


『私は……』


 一人では選択肢は限られている。

 でも大切なものを守るための選択肢は、その人を必要としている分ある。


『一人じゃない……』


 セリナは変わらずアルに力を送り込み、アルはただ受け止めるだけだった。


『一人じゃ……ない?』


 アルはナツキたちを見た。

 精霊に必死に訴える三人を見て……視線が外せなくなっていた。


 同じ種族でもない。ただの気まぐれで拾った三人の魔物……

『元』人間の魔物たち……


 アルの昔話を楽しく聞く子供たち。

 自分よりもずっとちっぽけなのに、体を心配してくるナツキ。

 三人の犠牲の上で行われていた仮初めの平和。


『この胸の痛みを……抱えて生きろだなんて……!』


 アルの黒い空間から大きな水の玉がこぼれ落ちる。

 同族を失ったあの日から、出ることがなくなったその透明な水滴が、アルの心に痛みをもたらした。


『これが贖罪なのだとしたら……なんてことをしてくれたのだ『聖女』よ……』


 ――それが生きるってことなんだと思いますよ。


 セリナの言葉は声にならなかった。

 だがきっとアルはもうわかっているだろう。


 痛みが支配する。

 体の痛みではない。心の痛みが。


 その時、精霊の力が空間を支配した。

 セリナにはわかった。精霊たちは待っていたのだ。アルの決断を。


 精霊たちの力に、セリナとアルはゆっくりと包まれていく。

 セリナはそれをもアルへ送り込み……


『これが……生きるか……』


 アルは天を仰いだ。

 久方ぶりの涙はアルの頬を伝い、地面へと落ちる。

 それと同時に、遠くで天井に出来たつらら石を伝った水滴が、下の水たまりへと落ちて優しく音を立てた。

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