第145話『対話』
温かい血が落ちていく。喘ぐように出る息が止まらない。指一本も動かせそうにない。
なのに痛みも苦しさも感じない。勝手に『癒しの魔法』が発動しているからかもしれない。
だけど今回こそ……
この感覚、何度も味わった。こんな時に思った言葉が、頭の中で流れた。
――ここが私の死に場所かな……?
『お前たちの手を汚したかったんじゃないんだ……ただ……ただ……平和でいたかっただけなんだ……』
意識を手放そうとしたセリナの耳に届いたのは、そんなアルの言葉だった。
顔を少し横に動かす。見えたのは倒れている仲間の姿。
動こうとしない。死んでいるのか気絶しているのか、セリナには分からない。
『そんな顔をしないでアル様っ』
『僕たちがんばったんだよ。アル様の笑顔のためなんだよっ』
子供たちの声も聞こえてきた。
そちらに目を向けようとしたが、セリナのほうが高い位置にいるようで見えなかった。
見えたのは、震えているアルの姿。
『平和は犠牲の上に成り立つものではない。違うんだお前たち』
『わからないよ、アル様っ』
『やりたいからやっただけなんだよっ』
アルの大きな指が動く。それは自分自身の体に向けて。
――そんなこと……
セリナの体が動く。ぬるりと血で濡れた地面にしっかりと手をつけて起き上がる。
「セリ……ナ……様……」
唯一、精霊の聖衣をまだ保ったままだったアルネスの声が届き、セリナはアルを見上げたままうなずいた。
『私が原因なのだというのなら、私などいらない……っ!』
アルの鋭利な指がアル自身を突き刺そうとして。
『アルさまっ!?』
『いやあああっ!』
アルネスの『大地の巫女衣装』が解け、その最後の力はセリナに向かった。
「頼みますっ!」
アルネスの力は大きな砂埃を上げた。
直後にアルネスは気を失ったが、その放たれた力は貰い受け操作するセリナをアルの元へと運ぶ。
そして……
『え……?』
砂がまだ空気を侵食している中。
子供たちの声はセリナの真下、アルの足元から聞こえてきた。
子供たちの頬に落ちて流れるセリナの血は、寝ているナツキの服をも赤く染める。
『なっ……!』
「そんなこと……させ、ませんよ……っ」
アルが驚愕の顔をセリナに向ける。
アルが自らを貫こうとしたその指で、一緒に貫かれたセリナに。
アルの体にくっつき、手足はだらんと垂れたまま笑顔でいるセリナは、言葉を紡ぐ。
『うふふ……自分の頭の中、の平和……がなくなったら……自害ですか? よほど……堪えた、ようですね』
『なにをしている……!』
『なに……って? ご高説、垂れていた、脳内の、都合の良い花を抜きに来ただけですよ……』
アルが動かない。クスクスと小さく笑うセリナに恐怖したのか、おののいているようだ。
セリナは目の前にあるアルの体に触ろうと、腕を動かし……確認を終えて、また手を下げる。
セリナがクッションになったおかげで、アルは傷ついていないようだ。
『どうですか……? 貴方の大切な人が、守ってきた、この手が血に染まる、様子は……?』
『アル様っ!』
『アル様大丈夫っ!?』
足元で叫び声が聞こえる。アルの一大事だ。
子供たちはアルが無傷なのは知らない。落ちてくるセリナの鮮血など、気にもしていないだろう。
『貴方の見てきた……ものなど、そのお花畑にしか、なかったなんてね……なんて滑稽……』
『なにが言いたい……!?』
アルが声を少し荒げる。
だがセリナは笑う。動くのなら、貫く指にもっと血を塗りたくりたい気分だ。
ギリッ、と歯ぎしりをした音がセリナの上から聞こえてきた。
そう。それで良い。
届いている。セリナの、人間の声が届く。
笑いがこみ上げる。
喉が引きつり、いつもの『聖女』のような笑みができない。
そもそも、なにがおかしいのか、わからない。
なのに、笑いだけがこぼれる。
『同じなんですよ、みんな同じ。大切なものを、守りたいだけ』
セリナの瞳から涙が流れた。
大切なもの。その言葉を言っただけで、頭の中にたくさんの顔が浮かんだからだ。
『醜く足掻いても、みっともなく見えても、それが心の奥の……一番の気持ち、だから……』
赤黒く染まる視界。世界。
セリナの命の灯火が消えていく。
『回避できない、争いを……少しでも最小限にする……そのために私は……対話をやめない……』
これは『偽物』だったセリナにできなかったこと。
『貴方も……私も……同じ……この世界に生まれ、自由を願っているだけのちっぽけな存在……なんですよ……?』
閉じたセリナの目からまた涙が流れ、血と混ざりあう。
口からもごぽりと流れ出た時、もう話せないと悟ったセリナはそのまま意識を手放そうとした。
『違う……』
アルの声は低く、だがはっきりしていた。
『人間と同じ、だと? そんなはずがない』
その瞳には、まだ確かな拒絶があった。
認めたくないという意思が、認めてしまいたくないという揺らぎが。
『私は見てきた。何度も、何度も……同じ過ちを繰り返す姿を』
アルの指先がワナワナと動く。
先ほどのセリナへの恐怖とは違う、拒絶の震えだ。
『奪い、壊し、踏みにじり、それでもなお正当化する――そんなものと、私が同じなはずがない……!』
そんなアルに、もう返答ができないセリナの代わりに声が聞こえる。
『守ることも、変えようとすることも、全ては自由意志。それだけだ』
『それを選択するのが種族たちだ』
『一番選択しようとしたのが、人間なんです』
フロスト、オルド、オルティナの声が順番にセリナの耳に届く。
だが、もう遠い場所で起こっている出来事のように感じた。
『アル様……もう手を汚さないで。僕たちがやるから』
『もう言うな。もういい。』
制したはずの言葉が、子供たちには届かない。
『ごめんなさい! 先に殺しておけば良かった……っ! 私たちのしていることがバレなければ良かったんだっ!』
『不覚……私が連れてこなければ……』
言葉では止まらないからか、アルの手が動き……ピタリと止まった。
『これはなんだ……?』
自身の手を見ているアルが錯乱したように乱れる。
『なぜ……こんなに汚れている? なぜこんなに血が……!?』
そちらにはセリナの血はついていない。
だが見えるのだろう。
セリナではない。昔つけてしまったどこかの種族の鮮血が。
『あぁ……私は……私は……っ!』
この結果は、果たしてアルの自由な心をどう動かしたのか……
アルが遠吠えのような深い声を出した時、セリナの意識は真っ黒になった。
夢を見た。久しぶりに。
いつもの夢だ。
『お姉様大好きっ』
リアナが可愛らしいその顔で愛を囁く。
それをにこりと『聖女』の笑みでセリナは返す。そうするとリアナは喜ぶからだ。
『もっとちゃんとできないのかっ!』
『教育係』の女がヒステリックに叫び、鞭で叩いてくる。
セリナは泣き叫んで体を縮こませる。そうすると女は満足するからだ。
『死ねばいいんだっ!』
暗殺者が襲ってくる。
返り討ちに遭わせる。そうするとセリナは生き残れるからだ。
『セリナっ。大丈夫か?』
リオナルドが聞いてくる。
ライラがくっついてくる。
エルンストが後ろで眉をひそめて心配そうにしている。
アルネスが魔法陣で回復してくる。
「大丈夫……」
セリナは返す。セリナなりの笑みを携えて。
そうすると、みんなホッとするからだ。
心配している顔を見たくない、安心している顔にしたい、笑っていてほしい。
セリナがそうしたいと思ったから……
『今度の『聖女』はやることが無茶苦茶だな』
『だからこそ、私たちが支えてやらねば』
『そうですね。今度こそ私たちは間違えるわけにはいきませんから』
暗闇の中で精霊たちの声が聞こえる。
これは夢? それとも……?
『私の負けだ』
アルのこの言葉も、夢だろうか……?
心地良い空気がセリナを包んでいるようだ。
その気持ち良さを味わいたくて、また考えるのをやめる。
そのまま……セリナはまた意識を手放したのだった。




