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偽物の聖女  作者: ゆきもち
第五章『世界図書館』編
145/148

第145話『対話』

 温かい血が落ちていく。喘ぐように出る息が止まらない。指一本も動かせそうにない。

 なのに痛みも苦しさも感じない。勝手に『癒しの魔法』が発動しているからかもしれない。


 だけど今回こそ……


 この感覚、何度も味わった。こんな時に思った言葉が、頭の中で流れた。

 ――ここが私の死に場所かな……?


『お前たちの手を汚したかったんじゃないんだ……ただ……ただ……平和でいたかっただけなんだ……』


 意識を手放そうとしたセリナの耳に届いたのは、そんなアルの言葉だった。

 顔を少し横に動かす。見えたのは倒れている仲間の姿。

 動こうとしない。死んでいるのか気絶しているのか、セリナには分からない。


『そんな顔をしないでアル様っ』

『僕たちがんばったんだよ。アル様の笑顔のためなんだよっ』


 子供たちの声も聞こえてきた。

 そちらに目を向けようとしたが、セリナのほうが高い位置にいるようで見えなかった。

 見えたのは、震えているアルの姿。


『平和は犠牲の上に成り立つものではない。違うんだお前たち』

『わからないよ、アル様っ』

『やりたいからやっただけなんだよっ』


 アルの大きな指が動く。それは自分自身の体に向けて。


 ――そんなこと……


 セリナの体が動く。ぬるりと血で濡れた地面にしっかりと手をつけて起き上がる。


「セリ……ナ……様……」


 唯一、精霊の聖衣をまだ保ったままだったアルネスの声が届き、セリナはアルを見上げたままうなずいた。


『私が原因なのだというのなら、私などいらない……っ!』


 アルの鋭利な指がアル自身を突き刺そうとして。


『アルさまっ!?』

『いやあああっ!』


 アルネスの『大地の巫女衣装』が解け、その最後の力はセリナに向かった。


「頼みますっ!」


 アルネスの力は大きな砂埃を上げた。

 直後にアルネスは気を失ったが、その放たれた力は貰い受け操作するセリナをアルの元へと運ぶ。


 そして……


『え……?』


 砂がまだ空気を侵食している中。

 子供たちの声はセリナの真下、アルの足元から聞こえてきた。

 子供たちの頬に落ちて流れるセリナの血は、寝ているナツキの服をも赤く染める。


『なっ……!』

「そんなこと……させ、ませんよ……っ」


 アルが驚愕の顔をセリナに向ける。

 アルが自らを貫こうとしたその指で、一緒に貫かれたセリナに。

 アルの体にくっつき、手足はだらんと垂れたまま笑顔でいるセリナは、言葉を紡ぐ。


『うふふ……自分の頭の中、の平和……がなくなったら……自害ですか? よほど……堪えた、ようですね』

『なにをしている……!』

『なに……って? ご高説、垂れていた、脳内の、都合の良い花を抜きに来ただけですよ……』


 アルが動かない。クスクスと小さく笑うセリナに恐怖したのか、おののいているようだ。

 セリナは目の前にあるアルの体に触ろうと、腕を動かし……確認を終えて、また手を下げる。

 セリナがクッションになったおかげで、アルは傷ついていないようだ。


『どうですか……? 貴方の大切な人が、守ってきた、この手が血に染まる、様子は……?』

『アル様っ!』

『アル様大丈夫っ!?』


 足元で叫び声が聞こえる。アルの一大事だ。

 子供たちはアルが無傷なのは知らない。落ちてくるセリナの鮮血など、気にもしていないだろう。


『貴方の見てきた……ものなど、そのお花畑にしか、なかったなんてね……なんて滑稽……』

『なにが言いたい……!?』


 アルが声を少し荒げる。

 だがセリナは笑う。動くのなら、貫く指にもっと血を塗りたくりたい気分だ。

 ギリッ、と歯ぎしりをした音がセリナの上から聞こえてきた。


 そう。それで良い。

 届いている。セリナの、人間の声が届く。


 笑いがこみ上げる。

 喉が引きつり、いつもの『聖女』のような笑みができない。


 そもそも、なにがおかしいのか、わからない。

 なのに、笑いだけがこぼれる。


『同じなんですよ、みんな同じ。大切なものを、守りたいだけ』


 セリナの瞳から涙が流れた。

 大切なもの。その言葉を言っただけで、頭の中にたくさんの顔が浮かんだからだ。


『醜く足掻いても、みっともなく見えても、それが心の奥の……一番の気持ち、だから……』


 赤黒く染まる視界。世界。

 セリナの命の灯火が消えていく。


『回避できない、争いを……少しでも最小限にする……そのために私は……対話をやめない……』


 これは『偽物』だったセリナにできなかったこと。


『貴方も……私も……同じ……この世界に生まれ、自由を願っているだけのちっぽけな存在……なんですよ……?』


 閉じたセリナの目からまた涙が流れ、血と混ざりあう。

 口からもごぽりと流れ出た時、もう話せないと悟ったセリナはそのまま意識を手放そうとした。


『違う……』


 アルの声は低く、だがはっきりしていた。


『人間と同じ、だと? そんなはずがない』


 その瞳には、まだ確かな拒絶があった。

 認めたくないという意思が、認めてしまいたくないという揺らぎが。


『私は見てきた。何度も、何度も……同じ過ちを繰り返す姿を』


 アルの指先がワナワナと動く。

 先ほどのセリナへの恐怖とは違う、拒絶の震えだ。


『奪い、壊し、踏みにじり、それでもなお正当化する――そんなものと、私が同じなはずがない……!』


 そんなアルに、もう返答ができないセリナの代わりに声が聞こえる。


『守ることも、変えようとすることも、全ては自由意志。それだけだ』

『それを選択するのが種族たちだ』

『一番選択しようとしたのが、人間なんです』


 フロスト、オルド、オルティナの声が順番にセリナの耳に届く。

 だが、もう遠い場所で起こっている出来事のように感じた。


『アル様……もう手を汚さないで。僕たちがやるから』

『もう言うな。もういい。』


 制したはずの言葉が、子供たちには届かない。


『ごめんなさい! 先に殺しておけば良かった……っ! 私たちのしていることがバレなければ良かったんだっ!』

『不覚……私が連れてこなければ……』


 言葉では止まらないからか、アルの手が動き……ピタリと止まった。


『これはなんだ……?』


 自身の手を見ているアルが錯乱したように乱れる。


『なぜ……こんなに汚れている? なぜこんなに血が……!?』


 そちらにはセリナの血はついていない。

 だが()()()のだろう。

 セリナではない。昔つけてしまったどこかの種族の鮮血が。


『あぁ……私は……私は……っ!』


 この結果は、果たしてアルの自由な心をどう動かしたのか……

 アルが遠吠えのような深い声を出した時、セリナの意識は真っ黒になった。







 夢を見た。久しぶりに。

 いつもの夢だ。


『お姉様大好きっ』


 リアナが可愛らしいその顔で愛を囁く。

 それをにこりと『聖女』の笑みでセリナは返す。そうするとリアナは喜ぶからだ。


『もっとちゃんとできないのかっ!』


『教育係』の女がヒステリックに叫び、鞭で叩いてくる。

 セリナは泣き叫んで体を縮こませる。そうすると女は満足するからだ。


『死ねばいいんだっ!』


 暗殺者が襲ってくる。

 返り討ちに遭わせる。そうするとセリナは生き残れるからだ。


『セリナっ。大丈夫か?』


 リオナルドが聞いてくる。

 ライラがくっついてくる。

 エルンストが後ろで眉をひそめて心配そうにしている。

 アルネスが魔法陣で回復してくる。


「大丈夫……」


 セリナは返す。セリナなりの笑みを携えて。

 そうすると、みんなホッとするからだ。

 心配している顔を見たくない、安心している顔にしたい、笑っていてほしい。


 セリナがそうしたいと思ったから……






『今度の『聖女』はやることが無茶苦茶だな』

『だからこそ、私たちが支えてやらねば』

『そうですね。今度こそ私たちは間違えるわけにはいきませんから』


 暗闇の中で精霊たちの声が聞こえる。

 これは夢? それとも……?


『私の負けだ』


 アルのこの言葉も、夢だろうか……?


 心地良い空気がセリナを包んでいるようだ。

 その気持ち良さを味わいたくて、また考えるのをやめる。

 そのまま……セリナはまた意識を手放したのだった。

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