第144話『感情論』
空間が歪む。
鍾乳洞にいるはずなのに、地に足がついているかもわからない感覚に酔いそうになったので、とっさにセリナは全員の防御魔法に『癒しの魔法』を付与し、感覚を戻す。
それでも少しマシになった程度。早期に決着をつけねば。
だが……
『人間ごときがどこまでできる!?』
アルが吼えるだけで足がすくむ。
ぎりっ、と歯ぎしりをするも、汗が止まらない。
この残存種相手になにができる……?
『サラっ! ここでならいけるよ!』
『うんっ! 今度こそやるよキアっ!』
気がつけば子供二人がセリナたちを囲むように左右に分かれて弓矢を宙に向けて構えていた。
「しまっ――」
アルの存在に気を取られて気がつかなかった!
そう思った時にはもう大量の弓が解き放たれ、セリナたちに襲いかかる!
……と思ったが、全てそれた。一発も届いていない。
いや違うっ。これは――
「魔法陣です! 弓を折ってっ!」
セリナが叫ぶと同時に、弓矢同士を繋げた瘴気で紐づけられた魔法陣が完成する。
この形はまさかっ、瘴気を生み出す魔法陣かっ!
セリナは防御魔法を強化し備えた時、力が襲いかかってきた。
「ぐっ……!」
視界が滲む。黒いモヤが全体に広がり見えにくい。
さらに内側から何かを削られるような感覚――こちらの魔力を吸い取る気か!
満足に身体が動かない……どうする……!
「アル様はこちらを試しているだけ……本気で来ないでしょう、そこをつきます……っ!」
アルネスが人間語で話す。
そう、セリナたちだけにわかるように。
そうか……ならば当面の敵は……
全員の目がそれぞれの敵を見据えた。
「おらぁっ!」
鎧エルンストが氷の斧を振って、近くの弓矢の一つを折ろうとしたその瞬間。
『駄目。させない』
ゴウッ! と音を残して、つらら石の弓矢が鎧エルンストを襲った。
「ちぃっ!」
氷の盾で防ぐも、勢いに負けて地面に押された足跡が残る。
そこにナツキがまたつらら石の弓矢を追撃しようと構える。
「させないっ!」
アルネスが突進し、弓矢を下から蹴って天井に突き刺した。
そのままナツキを拘束しようと後ろに回り、羽交い絞めにするが……
『無駄っ!』
ナツキが体中を覆うくらい瘴気を出し、筋肉を増幅させてアルネスの拘束を解いた。
瘴気に当てられないように宙を舞いながら、アルネスが着地する。
「敵ながら良い筋肉だ。うちの軍に欲しいくらいだ。女でなきゃな……っ」
「エルさん、それ性別差別」
「ちげぇよ。女禁制なんだよ、軍が」
鎧エルンストの横で、アルネスがポニーテールを揺らしながら構える。
「じゃあ文句は『北国』に言わなきゃだね」
「ケッ。できるもんならやってみろっ!」
鎧エルンストが盾を構えながら走り出す。
その後ろをアルネスが追った。
『なんで普通に走れるの!?』
『おかしいよっ! 魔力がなくなってるはずなのにっ!』
子供二人が叫ぶ。
鎧エルンストは鎧に守られてビクともしていないが、アルネスはセリナに守られてはいるが、いつもの調子には見えない。
だが、そんなことを教える必要などない。
『痛いのキライッ! オマエラキライッ!』
ライラが太くした三本のしっぽを振る。
無差別な攻撃に全員が避け……弓矢がその勢いで何本か取れた。
体が少し軽くなった瞬間、セリナは魔法陣を改めてしっかりと見た。
言っている通り魔力を吸う魔法陣だ。見たことのある形で、これは……
――そうか、これだっ。
とある考えが浮かんだセリナは、ライラが抜いた弓矢を持ち走り出した。
子供の男――キアが一瞬セリナを見るが、怒っているライラがしっぽをバンバンと地面に叩きつけている方へとすぐに目線を変えた。
『こっちだって嫌いだ!』
『アルさまを傷つけるお前たちなんか嫌いだ! バーカッ!』
ライラの前後に立つ二人が同時に大量の弓矢を飛ばし、ライラが咆哮でそれを落とす。
しかし、落ちなかったいくつかがライラに向かう。
「まかせろっ!」
リオナルドがそれを全て落とし、ライラがまた咆哮する。
キアに向かって。
そして吹き飛ぶ……はずだったが、白いしっぽ、アルがそれを防いでいた。
『なにするのよっ!』
後方から放たれた矢を、ライラの背後に回っていたリオナルドがすべて叩き落とす。
部屋の中央ではライラがキアを抑え、その正面で子供の女――サラをリオナルドが牽制する。
洞窟の入口側では、鎧エルンストとアルネスがナツキを食い止めていた。
そして最奥――アルと精霊たち。
戦況を見極めながら駆けるセリナを、アルの目がとらえた。
「ぐっ……!」
『なにをしている?』
アルの圧が強まりセリナの足が止まりかけ、片膝が地に落ちる。
口の端を噛み、痛みで足を立たせるがうまく走ることができない。
その瞬間――
氷の粒がアルを囲み、セリナへの圧を妨害した。
『お前の相手はこちらだ』
アルが目をセリナから違う方へと向ける。
そう、かつて共存していたという精霊に……
『どうしてわからないのですかっ! 世界は前を見ていることを!』
『人間は過ちを繰り返すが、短い一生を尊く生きているじゃないか!』
『だからなんだ。その結果、人間だけが幸せな世界、いや、人間の醜さだけが残った世界となった』
『大地の精霊』たちが人間について説いているが、アルは反論する。
『精霊は世界のためだけに在るわけではない』
『人間に首を垂れるのが精霊の成すことか?』
『氷の精霊』が精霊について言うも、アルは挑発する。
どちらも間違えていないと思えた。
少なくとも、セリナは人間の醜さも良さも知っている。
セリナ自身だってそうだ。人間は皆同じ。尊く醜い存在。
「だから今を懸命に生きようとしているだけじゃないっ!」
走る。魔力を足に込めて全力で。
キアとサラがそんなセリナに向かって同時に弓を射る。
『オマエの相手はボクだってばっ!』
「セリナの邪魔はさせないっ!」
ライラとリオナルドが弓矢を全て落とす。
そして一瞬でサラに近づきリオナルドが剣を振るう。
『当たらないよバーカッ!』
しゃがんで避けるサラに、器用に剣を握り直したリオナルドの下からの薙ぎは避けられなかった。
『サラッ!』
キアが叫んだ間に、ライラの三本のしっぽがキアを捕まえる。
『離せっ!』
『ヤダッ!』
ライラがキアを壁にそのまま叩きつける。
その次の瞬間――
『ギャッ!』
ライラのしっぽから紫の血が出る。
ナツキの弓矢が当たり、しっぽはキアを解放した。
「こっちを見てくれよっ! なぁ、筋肉の素敵なレディよっ!」
鎧エルンストの氷の斧がナツキの頭上から振り落とされる。
それをつらら石の弓矢でしっかりと受け止める。
そこにアルネスは突進していく。
ナツキの腕を蹴り、弓矢を遠くに飛ばす。
そのときアルネスの足がナツキに掴まれ、勢い良く地面に叩きつけられた。
「失礼っ!」
叩きつけられたかと思ったアルネスは、両手で地面へのダメージを緩和させていた。
そのまま両手で逆立ちを思い切りし、ナツキの顔を蹴り上げ……空振る。
「つれねぇなあっ! ご主人様と同じで人間には興味ねぇってかっ!?」
そこを鎧エルンストがナツキの首を狙って横に薙ぎ払う……が、首はなんと氷の斧を受け止めていた。
思わず口笛をエルンストは吹く。
そこでセリナは、ようやくたどり着いた。
「これでっ!」
魔法陣の弓矢を置き直していたセリナが、最後の弓矢を地面に突き刺す。
そして弓を掴んだそのまま、魔力を大量に注ぎ込んだ。
空間が光り、セリナは一瞬目を閉じる。
そして――
『なっ!』
『ああああああああああっ!』
『やああああああああっ!』
歪んでいた景色が正常に戻り、とたんに呻きだすナツキと子供たち。
『なにをしたっ!?』
アルが精霊から目を離し、三人を大事そうに自分の懐に持っていき、両手で抱え込む。
三人が意識を失っているのを、瓶を飲み干し、地面に叩きつけながらセリナは確認した。
口元を乱暴に拭いて、荒くなった息を整える。
『なにって……私なりの戦いをしただけです』
リオナルドたちに目が向いている隙に魔法陣を組み替えて、瘴気が出る魔法陣から魔力が出る魔法陣に変えた。
結果、セリナたちを苦しめていた瘴気はなくなり、逆に魔力が満ちる場所へと変化したのだ。
——これならいける。
『見せてもらいましょうか。貴方が大切な者を守りながらなにを成すのか』
『貴様……っ!』
全員が集まる。
その中心の人間、セリナの笑みをアルは睨みつける。
まさか、試している側が試されると思わなかっただろう。
それも人間なんかに。
『驕るな人間っ!』
アルが叫ぶと、それだけで風圧がセリナたちを襲い後ろに押される。
「テラっ! フロストっ! 力を貸してっ!」
「フロスト! 来いっ!」
「テラ様っ! お力をお貸しくださいっ!」
セリナ、アルネスがそれぞれの聖衣に身を包む。鎧エルンストは鎧の中に、さらに着ているのかわからないが、氷の鎧の力を感じた。
大地と氷の鎧、盾で全員を前方から守るエルンストの後ろで、セリナは『大地の聖衣』と胸元のギンバイカの力を借りて、鍾乳洞にある草花が集まり壁を作る。
アルネスは地面に魔法陣を描きさらに補強、その後ろでリオナルドとライラが迎撃準備をしている。
だが……
『この程度の力で! 成せることなどなにもない! 繰り返すだけだ! くだらない歴史をっ!』
精霊たちがセリナたちを守る盾を作る。
それでもセリナたちは押された。魔力をありったけ込めても変わらない。
見ると、精霊たちの力が今まで見てきた中でも一番弱かった。ここはそれぞれの領域内にいないからか?
いや、そんなことを考えている場合では……っ!
「いっ……!」
『セリナっ!』
ライラがセリナの背中に回り押す。
その小さい前足の温かさが、セリナの心に何かをもたらした。
「なにも……かわらない、じゃない……っ!」
『なんだ?』
草花の壁が壊される。それと同時にセリナが前に出していた両手が、弾かれるように後ろに飛ばされる。
そのままちぎれるかと思った両腕を、リオナルドが掴む。
「アルネスっ! もっと力出せっ! 気合いと筋肉だっ!」
「エルさんのそういうところ好きだよっ!」
魔法陣にヒビが入り、その中にある氷の盾からカケラがこぼれ落ちる。
耳鳴りがし、ガンガンと響く頭痛が思考の邪魔をする。ここに居たくない。逃げたい。
だけど私は……!
『貴方が今やっていることと人間のなにが違うのよっ! 力を行使して、偉ぶっているだけじゃないっ!』
『な……っ!』
言葉にならない感情で、セリナの瞳に涙がたまる。
だが、声はしっかりと出た。
いつもの『聖女』のような声ではない。凛とした、セリナの声が。
『結果だけを見て全てをわかった気になって、人間を見下して、貴方こそなにをしてきたのよっ! 誰かが喜べば誰かが悲しむ世界なのよここはっ!』
口から血が出る。喉が痛む。
それでもセリナは叫ぶことをやめなかった。
『偽物』として育ったセリナ。
そこで学んだ人間の醜さ。
追放されて旅を始めたセリナ。
そこで学んだ人間の温かさ。
どちらも知っている世界の中で、セリナが望んだのはただ一つ――
「私は自由に生きたいだけよっ!」
『黙れっ!』
アルが圧をさらに高める。
「うおおおおおおっ!」
鎧エルンストの氷の盾が壊れる。
とっさに手を広げて守ろうとしたが、鎧はアルの圧に耐えられずビキビキと音を立てて壊れ始める。
「舐めんなよっ! 俺の守るって思いをよぉっ!」
鎧が壊れても、服が破れても、鍛えてきた筋肉でエルンストは仲間を守ろうとした。
「エルさん……っ!」
アルネスが急いで魔法陣を描き……描こうとした指は、地面からも溢れるアルの力によって皮膚を焦がした。
「もう……っ!」
それでもセリナは耐えようとした。だが……ついに全ての防御が壊れた。
「がっ!」
「ぐああっ!」
『ぅぐっ!』
壁に背中を叩きつけられる者、その場にいることには成功したが地面に倒れこむ者。
それぞれが動けず沈黙する中、アルの白い手は転がるセリナを握りしめようとし……反射的に腕を引っ込める。
「セリナ……っ!」
アルの手を引かせたリオナルドは、その剣を杖になんとか立ち上がろうとするが、できたのは膝を地面につけるまでだった。
だが、魔力を込めた強い瞳はアルを逃がさない。
『ク……クク……人間ごときが説教してくるとはな』
「ぐあっ!」
アルが鬱陶しそうにリオナルドを手で払い、改めてセリナに手を伸ばし掴む。
ギリギリと力が入る中、セリナは抵抗できずその身に全てを受けるしかできなかった。
それでも……
『……なんだその目は……!』
セリナはアルをまっすぐに見る。
身体が悲鳴を上げても、瞳の奥にある大切な気持ちは負けてはいない。
『なぜだ……! なぜその目ができる……!?』
アルが動揺しても、セリナは睨み続けた。
『やめろおおおおおっ!』
セリナを思い切り投げて叩きつけようと、アルが振りかぶった。
そのときだった――
『アル……様……』
アルのふところにいたサラが、落ちたセリナの血が頬に偶然当たり目を覚ましていた。
アルがなにかを言おうとしたが、サラは悲しそうな瞳をアルに向けていた。
『アル様……やだよ……アル様が……醜くなるのは……』
魔力で溢れる空間でダメージを引きずるサラは、ぽつりぽつりと声を出す。
『私たちが……やるから……アル様は……昔が大好きな……自由で平和が大好きな……アル様で……いて……』
アルの顔がワナワナと震える。
『なにを言っている?』
アルの手から力がなくなり、地面に近くなったところでセリナを落とした。
アルの目は、もうセリナを捉えていない。ふところの小さな存在だけを映していた。
『そんなことをさせたかったわけじゃない。お前たちには自由に生きてほしかった。それだけなんだ。そんな……そんなことを考えていたのか……?』
サラの頬についたセリナの血を丁寧に拭うアルの大きな指が震えている。
キアが気づき、両手でその指を握った。
『だって……アル様の、お話、大好きだから。平和でいられたらきっと、アル様、幸せな気持ちに……なれるって思って……』
サラが小さくうなずく。
『アル様大好き』
キアがにこりと笑う。
『だから自由でいて……』
アルがゆっくりと首を左右に振る。
小さく『違う……』と言うが、子供たちには届かない。
『そんな世界は……そんなものは違う……間違っているんだ……っ!』
そのとき、ナツキも目を覚ましてアルを見た。
子供たちの制御ができていないことに対し、アルがナツキを怒ろうとしたのか、アルの顔が歪み……動かなくなった。
ナツキは笑う。
子供たちと同じ気持ちだと。
ただ大切な人を守るために、ずっと手を汚してきたのを肯定する。
『なんて……』
ワナワナと震えるアルは天を仰いだ。
『なんて……ことだ……』
ゆっくりと下を見たアルは、そのまま三人を大事そうに抱えた。
醜いと吐き捨てた感情を愛おしそうに、慈しむように。
精霊たちだけがいつまでも見ていた……




