第143話『世界』
――人間の歴史は、魔族や魔物との戦争の連続とされている――
頭の中に、いつか読んだ一文が流れる。
だがその一文は、今のセリナにはどこか遠いものに思えた。
「私は……」
呼吸が荒くなった。
ナツキたちがセリナの邪魔となるのなら、もちろん敵として対峙する。
実際、子供たちとはすでに戦っている。
だが、それは誰かの大切な人。
そんなことはわかっていた。
はずなのに……どうしてこんなに言葉が出ない?
――もちろん、邪魔なものは全て殺します。
昔のセリナならそう言った。
でも、今のセリナは……
『セリナ……っ!』
ライラの声が後ろから聞こえる。
リオナルドの下で圧に負けながらも、セリナの心配をしている。
「私はっ……!」
どう答えたら良い? なにが正解だ? なにが正しい?
深呼吸ができない。どうしたらいい? ドラゴン語ってどういう発音だったっけ?
視界が揺れる。
わからない。
わからない……っ!
『………………』
その時アルの圧が急になくなり、全員が急に軽くなった体を持て余し、次には必死に呼吸を繰り返す。
『ここですぐに答えを言うのなら、まだ見込みはあると思ったんだがな……』
アルの眼光は厳しい。このままではここで殺される。
ならばどうしたら良い? そうだ、いつものように取りつくろえ。
誰の真似をしていた? 『聖女』の振る舞いをしたら良いんだ。
『聖女』とは、つまりリアナの真似を――
「通訳してくれ……アルネスっ……!」
咳き込みながらそれを言ったのは、リオナルドだった。
察したのか、首を押さえながらも、アルネスがコクンと力強くうなずいた。
「発言をお許しください、アル様。そしてドラゴン語がわからぬ未熟者故、人間語で失礼します」
リオナルドは両膝は地面につけたままだが、手を左胸に当て騎士の礼をする。
体が震えているのはダメージのせいか、恐怖のせいか、セリナにはわからない。
「譲れないものがあるのならぶつかるのが道理。そう教えこまれてきました。ですが、旅を通してその道理が正しいのか、答えが出なくなりました」
『………………』
「私たちは『聖女』ではなく、一人の女性を守るためにここにいます。そのためなら傷つくこともいとわない。わかっているのはこれだけです」
まっすぐアルを見つめていたリオナルドが頭を下げた。
「答えが出ないのが答え。これでどうか今はお許しいただけませんか?」
セリナの瞳から涙がこぼれた。
頭の中にいたリアナがどんどん遠ざかる。
『人形』だった自分が消えていく。
そうだ……もう一人じゃない。
わからなくてもいいんだ。頼りになる仲間がいるんだ。
それが……
大切な人なんだ……
『……なるほど。これで精霊たちをたらしこんだか』
アルがふぅむ、と指で顔を掻くと、白い砂が少しこぼれ落ちた。
『わかりますか? 我々に宿る精霊の力が』
そう言ったのは通訳をしていたアルネス自身だった。アルは首を小さく縦に振る。
『精霊の次に生まれた我ら、いわばこの世界で精霊に一番近い存在。あの頃は精霊も姿を現しどこにでもおったわ』
アルカイックサーペントはそんなに前から存在していたのか。
一千年前に絶滅したと聞いた時は、もっと新しい種族だと勘違いしてしまった。
どこか他人事のように思っていたセリナは、ハッ! と目を覚まし、涙を急いで拭う。
『今『氷の精霊』と『大地の精霊』が私に力を貸してくれています』
『なるほど。かつて人間に力を貸した精霊たちか』
アルがククク……と含み笑いをする。
そして全員を見下した。
『くだらんな。実にくだらん。人間にほだされた精霊など、精霊の恥だろう?』
その言葉に反応したのはセリナたちではなかった。
『訂正してもらおうか』
『その言葉は聞き捨てならないな』
『私たちを甘く見すぎではなくて?』
広い空間が激しい氷の粒と砂嵐で何も見えなくなる。
ごうごうと音を立て、セリナの魔力がみるみるうちに減っていく。
慌ててセリナはまた瓶を取り出し魔力を回復させるが、間に合わずその場にへたり込んだまま動けなくなった。
セリナの魔力を吸わずとも顕現できるのに……そんなことよりもプライドが勝ったか……?
「ぐぅっ!」
鎧エルンストがセリナを守ってくれたおかげで、セリナに傷一つない。
やがて、その嵐のような光景が晴れ渡りキラキラと粒たちが輝く空間が広がる。
『ほう……』
アルが感嘆にも似た声をあげた。
そこには『氷の精霊』フロスト、『大地の精霊』オルドとオルティナが、アルと対峙するかのように宙に顕現していた。
『久しい光景だ』
アルが目を細めて、精霊たちを少しまぶしそうに見ている。
しかし、精霊たちはそんなアルに対して好戦的な態度だ。
『蛇ごときが私たちに説教とは、ずいぶん偉くなったものだね』
『訂正なさい、今すぐに』
オルドとオルティナが言うが、アルはなにも言わない。
その間にリオナルドがセリナの体を起こし、ライラがセリナに瓶を次々と渡す。
アルネスは魔法陣を描いてセリナの体力回復に努め、鎧エルンストは前に出て氷の盾を構えている。
『この貧弱な種族になにを期待する? なにを求める? そこがくだらないと言っている』
『人間には可能性がある』
フロストが答えると、アルは鼻で笑った。
『かつて『勇者』と呼ばれた人間が世界を変えたのは事実。だが忘れてはおらぬよな? 世界を滅亡させようとした『魔王』と呼ばれた者も、元人間が魔物になり果てた姿だと』
「え? 魔王が元人間……?」
アルの言葉に驚いたアルネスだったが、急いでリオナルドたちに通訳する。
そして、同じく驚愕の顔を見せた。
そのままリオナルドは肩で息をするセリナを見つめるが、セリナはリオナルドを視界に入れていない。
『そんな人間に力を貸したのは他でもない、精霊たちだ。人間ごときが世界を変えられたのはそれ故のもの。またその過ちを繰り返すか?』
『それは過ちではない。進化だ』
『人間に都合が良い、な』
フロストが言い返してもアルはまた鼻で笑う程度。
『この大陸を見ればわかるだろう? 人間が作り上げた魔法陣の外でしか生きられない者がいる。明確な排除だ。これが進化? 笑わせるな』
魔法陣内部が平和かというと……違う。国同士の摩擦、争い、いざこざが絶えない過去と今しかない。
アルのような全てを見てきた古代種からしたら、進化だなんだと滑稽にしか見えないだろう。
だけど……!
『人間はっ、綺麗に生きられないんですよっ』
セリナが会話をさえぎるかのように叫んだ。叫んでしまった。
黙ってなどいられない。
『未来を見る力もないっ、過去を反省しても繰り返すっ、そんな愚かな種族ですっ! でもだからって、そこにある意志をひとまとめにして吐き捨てるのは暴論が過ぎるっ!』
アルがようやくセリナのほうを見る。その体格差だけではなく、完全に見下したままで。
苛立ったセリナはライラからもらった瓶の中身を飲み干し、それを力を込めて投げた。パリンッとこの場に似合わない音が鳴り響き、瓶は四散した。
『ならばどうする? なにを成す?』
『そんなのわからない……だけどなんとかしたいっ、それだけよっ!』
『話にならんな』
『ならないのは貴方のほうでしょう!? 最初から決めつけて聞こうともしていない! 本当に今まで見てきたの!? ここで勝手な妄想を脳内に作って、世界を見た気分になっているだけでしょう!?』
アルの瞳に当たる黒い空間がピクリと動いた。
再び圧がかかり始め……!
『させませんよ』
オルティナが手を広げ、セリナたちが大地の力で守られる。
そんな中、セリナはまっすぐに見た。
ちっぽけな存在が、はるか彼方にいる大きい存在を。
少しの沈黙。
やがて……アルが口を開いた。
『ならば、見せてもらおうか。その世界とやらをなっ!』
そうしてアルは勢い良く起き上がり、戦闘態勢に入った――




