1
「ジゼル、オレはうれしいんだよ」
夜の闇に煌々と光るネオンの下、ほろ酔い加減のジャックが後ろから話しかけてきた。酔いつぶれる寸前のユージンを肩で支えながら、ジゼルはめんどくさそうに振り返った。
「なんだよ、もう」
「まともな恋愛もできないだろうって思ってたお前が、まさかあの王子とデキてたとはな」
ジャックは一人大声を上げて笑い出した。
ジャックは酔うとこの通り笑い上戸になるし、ユージンは酒に弱いくせに飲むしで、三人で飲みに行くと自分が酔うヒマがないのでイヤなのだ。
だが例の事件で怖い思いをしたユージンを労おうとジャックがいうので、ジゼルも渋々付き合っていた。
あの日、ローレンスに成りすましたユージンは、ジゼルたちが迎えに行った朝まで、スイートルームのベッドでブランケットを被って一晩中震えていたのだ。
「何べん言ったらわかるんだよ。あんな性格悪いやつ、こっちから願い下げだよ」
突然、ユージンが足を止め、ろれつの回ってない声で夜空に吼えた。
「ジゼルさーん、僕は応援しますよっ! たとえあの王子が二重人格の変人でも、世界中がジゼルさんとローレンス王子の交際に反対したとしても、僕と先輩はお二人の仲を」
「お前は黙ってろ」
ユージンのみぞおちに一発。このデカイ身体を担いで歩くだけでも大変なのに、大声を出されたら迷惑以外の何物でもない。
「またまたぁ、王子に会えないからってイライラしちゃってぇ」
ジゼルのブチギレ寸前の視線を受けて、ジャックは口をつぐんだ。
「──事件は解決してないよ」
歩きながら吐き出すように言ったジゼルのセリフに、ジャックは意外そうな顔をした。
「なーに言ってんだ。犯人は捕まっただろ?」
「まだ一つ──謎が残ってる」
「謎?」
「ローレンスの指輪だよ」
ジゼルはジャックを振り返った。その指輪はまだポケットの中に入っている。
「指輪がどうしてなくなったのか、どうやってマイルズの手に渡ったのか。まだ何もわかってないだろ」
事件のとっかかりとなった、指輪の流れについては全くつかめていない。犯人グループを一通り尋問した中でも、彼らは指輪については何一つ知らなかった。
「あー……でも指輪は見つかってるんだし、もうその件はいいだろ」
「よくねーよ。立派な事件だろ」
「王子はそれについて何か言ってきてるのか?」
「いや……別に……」
あれ以来、ローレンスから連絡はない。
気まぐれに探偵の真似事をやっていたのがおかしな話で、元々は公務に研究に忙しい人間だ。大きな事件が解決した今になって、そのツケを払っているのかもしれない。
だが、あのローレンスが謎を謎のままで終わらせるだろうか。
自分が気になったことはとことん、周りの迷惑も省みずに調べつくす男である。忙しいという理由だけでそれを放り出すとはとても思えない。ましてや自分の指輪である。あの男が何も言ってこないなんて、不気味以外の何物でもない。
「あ……」
ジゼルはふと思い出した。
「どした?」
「指輪といえば、気になること言ってたヤツがいたなって」
リーラの事務所で座談会メンバーに事情聴取したとき、アベル・シートンが耳打ちしてきたことを思い出していたのだ。
『その死んだヤツって──本当に事故だったのか?』
今にして思えば、犯人を知っていたかのような言動だ。何かを隠していたような印象も受けた。
そのあとのゴタゴタで結局それっきりになっていたが、彼は指輪について何かを知っているのだろうか。
「もう一度話聞いてみるか」
アベルの連絡先ならリーラが知っているはず。明日の朝一で電話をかけてみよう。
「それはいいけどよ、指輪早く王子に返しちまえよ。お前が責任もって返すんだ。ほら、王子に会える口実ができた」
ニヤニヤとするジャックに、ジゼルは顔をしかめた。
ようやくオーレスン川を渡る橋に差し掛かった。ここを過ぎれはユージンの住むアパートがある。橋を中ほどまで渡ったところで、ジゼルの目に上流側の真っ暗な橋の下にたたずむ人影が写った。
「なんだあいつ……」
ジャックも一緒になって上流側を見つめる。
「ん? 何にも見えないぞ?」
徐々に目が慣れて、人影の形がハッキリしてきた。立ち尽くす人影の向こうに、地面に横たわる物体も見える。そして人影の手にキラリと光るものを見つけた瞬間。
ジゼルはユージンの身体を放って走り出した。
「ちょっ……ジゼル!」
追いすがるジャックの声も振り払って、ジゼルは全速力で橋を駆け抜け、遊歩道へ下りる階段を飛び降りた。
不思議なことに、人影は駆け寄るこちらに全く気がついていないようだ。ジゼルはその背中に銃口を向けた。
「動くな!」
ジゼルの大声に、人影がビクリとして振り返った。
「お前、そこで何をやっている!」
暗がりの中で目を凝らすと、彼の右手にはナイフ、左手には長財布が握られていた。
彼の後ろにうつぶせで横たわっていたのはやはり人であった。全く動く気配がない。周りのアスファルトには黒い水たまりのようなものができている。
「両手を挙げて地面に伏せろ!」
カッとなって怒鳴ると、彼は弾かれたようにナイフと財布を落とした。両手をそろそろと上げるが、同時に首を横に振っている。
「……オ、オレは殺してない」
その顔は引きつり今にも泣き出しそうだ。だがその言葉をそのまま信じるわけにはいかない。
「伏せろ!」
ジゼルは右手で拳銃を突きつけながらも、左手で彼の腕をつかみ、地面に引きずり倒した。
「強盗殺人の容疑で逮捕する!」
彼の身体をアスファルトに押し付け、手錠をかける。その頃になってやっとジャックが千鳥足のユージンを引っ張るようにしてやってきた。
「どうした!」
「見てのとおりだよ」
横たわる血まみれの人間と、アスファルトの上でもがく容疑者を見て、ジャックとユージンもようやく事の重大さに気付いたようだ。
すっかり酔いが醒めた二人に容疑者の身柄を任せ、ジゼルは倒れている人間に駆け寄った。
黒のウールコートを着込んだ男性のようである。背後からナイフで一突きされたのだろう。背中から流れ出る血がコートを伝い地面に広がっていた。
肩をつかんで揺すってみたが反応はなく、その身体は熱を失い始めていた。ジゼルが首を横に振るのを見て、ジャックは救急車よりも分署からの応援要請の電話を優先した。
「……ん?」
ふと、鼻の奥で何か異質な香りを感じた。コートから漂うようである。確かめようとコートに鼻を近づけて嗅いでみたが、よくわからない。だが血の匂いとも川の匂いとも違う何か別なものを確かに感じたのだ。
「あっ」
月明かりに照らされた男の顔を一目見て、ジゼルは凍りついた。
「アベル……」
ジゼルは目を見開き、その名をつぶやいた。
血の気のない、蝋細工みたいな顔ではあるが、この顔は間違いなくあのアベル・シートンだ。
「……知り合いか?」
ジャックの問いかけにも、ただうなずくことしかできない。腹を殴られたかのような、重い衝撃がジゼルの身体を打った。
程なく二十五分署からの応援がやってきて、現場は一気に慌しくなった。非常線が張られた中を、鑑識が地べたを這うようにして証拠集めに奔走している。
ジゼルはその様子を遠目に眺めながら、ただ立ち尽くしていた。
こういう仕事をしていれば、少なからず見知った顔の死体に出くわすこともある。だが元同級生、しかもついこの間会って話した相手が物言わぬ死体となって横たわっているというのは、思った以上にショッキングな光景であった。
パトカーからユージンが駆け寄ってくるのが見えた。先ほど捕まえた容疑者の情報を仕入れてくれたようだ。ジゼルは憂鬱な気分を振り払った。
「ニール・ベケット、二十二歳。スリでの前科がありますが、証拠不十分で釈放されてます。今回も窃盗目的で被害者に近づいたそうですが……」
「……本人は『殺してない』って?」
「一点張りです。倒れてる被害者を酔っ払いだと思って財布を盗んだところで、背中に刺さってたナイフをつかんでしまったと」
「ヤツがこの財布を取った時点で、被害者は既に死んでたって言うのか?」
ジャックが証拠品の財布を掲げながら聞くと、ユージンは呆れたように笑った。
「ヤツはそう言い張ってますけどね。でもそんな話信じられませんよねぇ」
確かにできすぎた話だ。可能性が全くないとは言わないが、作り話にしてはあまりにもお粗末である。
「それにしてもこの財布……ずい分と重くないか?」
「え、そう?」
確かに、ジャックから受け取ったときに感じた財布の厚みと重さに違和感を覚えた。そして中を開いて見せると。
「なんだ、これ……」
「被害者は確かブライス校の教師って言ったよな……こんなにもうかるものなのか?」
横から覗き込んだジャックが、そう言いたくなるのもよくわかる。
札入れの部分には明らかな大金──百クロルの札束、およそ一万クロルが詰め込まれていたのだ。安っぽい財布にはおよそ似つかわしくない額だ。
三人は顔を上げ、互いの顔を見合わせた。ジャックもユージンも何かを感じ取った目をしている。
「ようジゼル。またまたご活躍じゃないか」
呼びかけられて振り返ると、ルーファスがいた。いつもなら身構えるところだが、今日はそんな気分ではない。それを知っているのか、彼はそっと耳打ちしてきた。
「被害者、お前の知り合いって本当か?」
「うん……まあね」
ジゼルが疲れた笑みを見せると、ルーファスは黙って背中をポンポンと叩いてくれた。彼なりに元気付けてくれているのだろう。こういう優しさがあるからこそ、セクハラされても憎めない男なのである。
仕事に戻ろうとする彼を、ジゼルは呼び止めた。
「あ、ルーファス。被害者のコート、よく調べてくれないか」
「どうかしたか?」
「いや……ちょっと気になるニオイがして。頼むよ」
「わかった」
ジゼルはアベルの遺体を振り返った。
彼とは特別仲が良かったわけではないが、それでも全く知らぬわけではない。共に机を並べ学んだ仲なのだ。
突然殺されてしまった彼の無念を少しでも晴らせればと、ジゼルは気持ちを新たにした。




