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マイルズ・ボーフォートの水死、ローレンスの拉致監禁事件、そしてオラトリア宮殿への爆弾テロ──を装ったロイヤルバンクの銀行強盗未遂事件と、繋がった一連の事件は、主犯である王子の元秘書ハリー・エイデンと実行犯である貸金業フランク・スミス以下四名が逮捕されたことで、一応の終結を迎えた。
取り調べが進んだことで明らかになった事件の概要は、ほぼローレンスが推理した通りだった。
フランクから金を借りていたハリーは、借金の取立てに悩まされる中で、オラトリア宮殿と地下でつながっているロイヤルバンクから金を盗むことを思いつき、それを自らフランクに持ちかけた。計画のすべてはハリーの発案だったというわけだ。
多少時期が前後してしまったが、マイルズを殺すところまではまだ彼らの計画通りだった。ロイヤルバンクの地下金庫に穴を開け、中から金塊を盗んだあとは、捜査の手が伸びない第三国へと出国し、そこで悠々自適の生活を送る予定であったらしい。だが結局彼らは金塊を目の前にして、一網打尽となってしまった。
事件を報じるセンセーショナルな見出しが新聞の一面を飾り、ローレンスはまたもや時の人となってしまった。
王子の秘書による犯行ということで様々な憶測を呼び、一時は王位継承問題にまで発展しそうになったが、王室は「ローレンスは事件に何ら関わり合いが無い」とのコメントを発表したのみだった。
関わり合いがないというのは少し語弊があるとジゼルは思っていたが、まさか事件を解決したのが彼自身であるとは大っぴらにできるはずもない。
そのローレンスのために数々の規律違反を犯したジゼルたちは、うやむやのうちに処分が下り、証拠品のマスクを勝手に持ち出したことについての始末書を提出するだけに終わった。
よかったのか悪かったのか、もちろん処分は食らわないに越したことはないのだが、ローレンスが絡むと処分が甘くなることに未だに釈然としないものを感じてしまう。
とは言っても、悪いことをしたわけではない、犯罪者を捕まえるためにやったことなのだから、「まあいいか」と自分を納得させた。
事件解決から一週間。
あれからローレンスには会っていない。犯人は逮捕されたのだし、会う必要もないので別にいいのだが──気がつくと彼の顔を目で追っている自分に気付いて愕然となる。
テレビに映る、ローレンスの顔。マドリガルを代表する画家の展覧会セレモニーに出席した彼の姿が何度も流されている。
テレビの中で大勢の紳士淑女に囲まれるローレンスと、薄暗い署内の自席で画面をぼんやりと眺めている自分。この距離感以上に、自分とローレンスの関係を示せるものがあるだろうか。
そんなことを考えながら、ジゼルはふと昔のことを思い出していた。
◇
「ローレンスってさ、ジゼルと付き合ってんの?」
廊下の向こうから男子生徒の声が聞こえてきて、ジゼルは慌てて自動販売機の陰に身を隠した。
男子が数人、廊下を歩きながら話しているようだ。盗み聞きをするつもりはないが、自分の話題を出されると出るに出られず、ついつい会話の内容に耳を傾けてしまう。
「まさかぁ」
「そうだよな。いくら最近の王室がリベラルだからって、スラム育ちの女じゃさすがに身分が違いすぎるもんな」
「学生時代の火遊びとしてならいいかもしれないけど」
誰かが下卑た笑い声を上げる。
「下手な金持ちの女よりは後腐れなさそうだよな」
「金の切れ目が縁の切れ目ってヤツ?」
笑い声が遠ざかっていく中、ジゼルはその場で呆然と立ち尽くしていた。
どのくらいそうしていただろうか。彼らの笑い声がすっかり聞こえなくなったところで、ジゼルは顔を上げた。気合を入れるように短く息を吐くと、一歩足を踏み出す。
「そんなところで何をしてるんだ」
急に声がして、ジゼルは飛び上がった。
「うぎゃっ!」
振り返ると、そこにいたのはローレンスだった。
「おおおお前! いつからそこにいたんだよ!」
ジゼルは焦った。彼らの下世話なウワサ話を聞いていたのではないだろうか。
「たった今だが?」
彼の顔からは相変わらず何の感情も見えない。今来たと言うのは本当なのだろう。
ジゼルはホッと胸をなでおろすのと同時に、彼が何故ここにいるのか不思議になってきた。
「お前、帰ったんじゃなかったの?」
「アンジェリーナ・ギランに呼び止められていた」
アンジェリーナは父が上院議員という名家の令嬢だ。学校一ともいわれる美貌の持ち主で、既にモデルとしても活動している。
それ故に彼女と付き合いたいという男子生徒は後を絶たないが、理想が高いのか、誰一人としてOKをもらった男はいないと評判だ。
「彼女、なんだって?」
「ずい分と冗長的な話だったが、要約すると、彼女は僕と恋人関係を結びたいようだ」
彼はどうやらアンジェリーナに告白されていたらしい。上昇志向の強い彼女のお眼鏡にかなったのは、やはり王子という最強の肩書きを持ったローレンスであったということか。
『あなたと私は結ばれる運命にあるのよ』
とはアンジェリーナの言らしい。彼女が言うと妙に説得力がある。
「ふーん……で、なんて答えたの?」
「運命というものについて説明した」
「は?」
マヌケな顔を晒したジゼルとは対照的に、ローレンスは至極真面目に、おそらくアンジェリーナに語ったのと同じ内容をつぶやき始めた。
「そもそも運命とは何か。過去の姿が決まっているならば未来の姿も決まっているというのが運命論、全ての事象は全知全能の神によって決められているというものだ。『君』と『僕』という人間を粒子の塊としてとらえるならば、それらの挙動によって粒子の未来の位置は決定されており、結果人間の意思も行動も全て決定付けられている。それら全ての粒子の動きを把握しうる知性を持った存在、すなわち神を悪魔と言い換えたのがかの有名な『ラプラスの悪魔』だ。だが量子力学における不確定性原理によってラプラスの悪魔は万能ではないと否定された。一方でエヴェレット解釈では」
「──わかった。要するに、アンジーはキレたんだな」
呆れ顔のジゼルに対し、ローレンスはものすごく意外そうな顔をして見せた。
「……何故わかる?」
「わからないという可能性を微塵でも持っていたお前の神経がわからない」
こんな話を延々と聞かされて、キレないほうがおかしい。運命論は理解できても、愛や恋といった感情はまだ理解できないのかもしれない。まったく、めんどくさい男である。
今までにもローレンスに告白した女子生徒は何人かいた。だが遠まわしな言い方は全く通用せず、またストレートに言えたとしても顔色一つ変えないローレンスにいたたまれず、皆彼の答えを待たずに波が引くように去っていった。
そんな中でアンジェリーナはさすがに気骨があった。一度はキレながらも、ローレンスとのデートの約束を取り付けたらしい。タダでは転ばないその根性は賞賛に値するものだ。
妙な胸のざわつきを覚えて、ジゼルは吐き出すようにため息をついた。
「まあ、勉強の一環だと思って、一度くらいデートしてみるのもいいんじゃない? 男女の人間関係学ぶのも、学校の役割の一つだと思うけど」
「ふむ……君がそう言うのならデートしてみることにしよう」
ジゼルに責任があるような言い方だが、彼の更なる成長のためにこのぐらいは目をつぶることにする。
「それでアンジーが気に入ったんなら付き合ってみればいいし、合わないと思ったんなら断ればいいだけの話さ。今のうちに女のあしらい方ぐらい覚えとかないと将来苦労するよ」
「そういうものなのか」
「自分の立場よく考えろよ。スキャンダル撮られたいのか? 世の中の女がお前をどう見てるか、ゴシップ誌でも読んで勉強しろ」
ローレンスはしばらく思案していたが、ふと思いついたように顔を上げた。
「──君はどうなんだ」
ローレンスの瞳がたじろぐジゼルを捉えた。
「君も女性だろう。君は僕のことをどう想ってるんだ?」
彼に問われて、ジゼルは答えを探すようにうつむいた。
目に入ったのは、自分の履くボロボロのスニーカーと、ローレンスのピカピカの革靴。
「あたしにとって……お前は大事な友達だよ。それ以上でもそれ以下でもない」
ジゼルは目を伏せたまま答えた。何故か、ローレンスの顔を見ることができなかった。
「そうか」
彼はそう言っただけだった。顔を上げて表情を確かめても、特段変わった様子はない。
ホッとしたようなガッカリしたような、どっちともつかない複雑な感情がジゼルの胸に広がった。
かくしてアンジェリーナとのデートに臨んだローレンスだったが、その結果は惨憺たるものだった。
当事者ではないジゼルが、何故それを知っているかというと──その日、ハンバーガーショップでのアルバイトに勤しんでいたジゼルのもとに、二人がやってきたからだ。
カウンターで営業スマイルを振りまいていたジゼルは、黒服集団に囲まれたローレンスと、これ以上ないふくれっ面のアンジェリーナが店に入ってくるのを見て思わず噴き出した。
「ななななんでこんなとこに!」
「一度ここのハンバーガーを食べてみたかったんだ」
カウンター越しにしれっと言うローレンスに、ジゼルは激しいめまいを覚えた。
「……お前な」
「アンジェリーナ、君もどうだ」
彼女はどう見ても怒り心頭といった顔だ。王子様との食事で、まさか安いハンバーガーショップに連れてこられるとは夢にも思わなかったに違いない。
「……あたし帰る!」
アンジェリーナは踵を返して店を出て行った。足音からして怒っているようだ。その背中を呆然と見送って、ローレンスが吐き出した言葉は。
「──何故だ?」
「……お前やっぱダメだわ」
ジゼルは呆れて肩をすくめた。
◇
グラヴィア王立区、オーレスン川にかかるバーデ橋。
橋の下の暗い遊歩道を、時折雲の隙間からもれる月明かりだけが照らしていた。冷たい空っ風が走るように通り抜け、風切り音が不気味に響いている。
暗闇の中で、何かがキラリと光った。
ナイフの刃だった。血に濡れた刃は月光を反射し、妖しくも剣呑な光を放っている。
そのナイフの柄を握る若い男──ニールの手は細かく震えていた。
死んでる──アスファルトの上に力なく転がったその身体はピクリとも動かず、生気は全く感じられない。大きく見開かれた目はまるで自分が死んだことに驚いているようだ。
その濁った瞳に映る自分に気がついて、ニールは恐れ戦いた。




