罠に落ちる
だが、少年はニコニコと微笑みながらデジカメを弄っているだけで、何も答えない。まるで、何の事? もっと具体的に言ってもらわないと分からないと、言っているような態度だ。
健吾は隙を見計らって、少年の手からデジカメを奪おうとするが、予想されていたのかひらりとかわされる。つい、舌打ちをしてしまう。
もう一度、デジカメに手を伸ばす。やっぱりかわされる。そのやり取りを何度繰り返しても、デジカメがその手に来る事は無かった。
「くっ! 分かったよ! そんな写真を撮ったからには、オレにして欲しい事があるんだろ? 言えよ! データを消してもらうためなら、何だってやってやるぜ!」
もうヤケクソだった。とにかくデータを消してもらえさえすれば、それ以上は望まない。こんな女のような男の言いなりになるのは癪だが、それ以上に大切なものがかかっている。
これからの三年間、不名誉な爵位と共に生きていく苦痛と比べれば、どうと言う事は無いはずだ。
「そうですね。私は何も言って無いのですが、そこまで言うのなら、仕方が無いですね」
少年は満面の笑みを浮かべる。思い通りに事が進んでさぞ気分がいい事だろう。だが、甘い。勝利を掴んだその瞬間こそが、最大の隙が生まれる!
健吾は先程とは比較にならないスピードで、デジカメを奪い取る。流石に油断していたのか、少年の手からあっさりと奪う事がきた。
「ふんっ! 形勢逆転だな。いくら先輩だからって、やっていい事と悪い事が……」
健吾はそこまで喋ってから、少年の余裕が崩れない事を不思議に思う。どう考えてもこの反応はおかしい。最大の切り札を失った今、拳の一つ飛んできてもおかしくないというのに、この余裕は一体なんだ。
その時、健吾はデジカメに何かのケーブルが繋がっている事に気付いた。そのケーブルは少年のポケットに繋がっていた。
健吾の視線に気付いたのか、少年はポケットからあるものを取り出す。
それは、携帯電話。間違いなくデジカメとその携帯電話は、コードで繋がっていた。健吾は最悪な未来を想像する。
「さっきのデータですけど、既に自宅のPCに送ってあります。ですので、デジカメを壊しても無駄ですよ。勿体無いので、出来れば壊さないでもしいのですけど?」
逆転したと思った立場は何も変わっていなかった。健吾はうな垂れて、膝をつく。もう、勝ち目は無い。入学してから一月も経っていないというのに、こんな少年のパシリ決定。不幸にも程がある。
「ごめんなさい。調子に乗ってマジですいませんでした」
こんなにマジ謝罪をするのは、随分と久しぶりだ。昔は姉と妹に毎日のようにしていたのが懐かし……くもない。アレはただの地獄だ。
「あ、デジカメ返して下さい。結構高かったんですよコレ」
健吾はデジカメを地面に叩きつけて、踏み潰したい衝動を必死に堪えて少年にデジカメを手渡す。それを受け取った少年は、ニコニコとしながらポケットに仕舞う。
きっと、ポケットに仕舞わずにずっと手に持っていたのは、自分に最大限の敗北感を植えつける為だったに違いない。
「うん。素直なのはいいことですよ」
「それで、何を要求するんだよ?」
もう、本当にヤケクソになるしかなかった。まな板の上の鯉であっても、跳ねて少しでも抵抗したいものなのだ。
「いえ、実はある同好会を立ち上げようと思っていたのですが、予想以上に人が集まらなくて困っているのです。本当に困りました。どこかに、部活に所属してなくて、入会する気満々な人はいないのでしょうか?」
少年の視線は確実に健吾を捕らえて放さない。
だが、今の言葉に一筋の逃げ道を見た。策士、策に溺れるとは正にこの事!
「そうか、残念だけどオレもう部活に所属してるんだよね。だから、入会は難しいな。入ったばかりで、いきなり退部なんて出来ないし……」
「そうですか、それは残念ですね。ちなみに何部ですか?」
先程までニコニコしていた少年の顔が、一瞬にしてガッカリした悲壮な表情へと変わる。しめしめと思いつつ、笑うのを堪えてもう少し嘘を吐く。
「オレ、ガタイいいだろ? サッカー部に入ってんだよ」
「あれ? おかしいですね。うちにはサッカー部なんて、ありませんよ?」
少年の言葉に、健吾は愕然とする。
グランドにサッカーゴールがあったし、十分なスペースもあったように見えた。それに、今までにサッカー部のような人物を見た覚えもあったのに、失敗したというのだろうか?
「――嘘ですよ。ちゃんと、サッカー部はあります」
その少年の言葉にハッとする。
こいつカマかけやがった。今の反応で、確実に自分がサッカー部に入部していないのがバレてしまった。何といやらしいやり方をしてくるというのだ。
「どうしたのですか? そんな恐い顔しないで下さいよ。君が部活に所属していない事は、最初から分かってましたから」
本当に、心底、性質が悪い。今なら虐められている人の気持ちが痛いほど分かる。この少年は一体何処までオレを虐めたら気が済むというのだろうか。
「ごめんなさい。オレが悪かったです。お願いだから許して下さい。会員の勧誘を手伝わせていただきます」
腰を直角に曲げて頭を下げる。これ以上の謝罪は土下座ぐらいしか思いつかない。ちなみに、焼き土下座は謝罪だとは思っていない。
「協力だけですか? 五月中にあと四人も集めなくてはいけないというのに、随分と冷たいですね。そんな事を言われると、家に帰った後、パソコンのデータを色々とインターネットに流してしまいそうです」
どんな同好会か知らないが、入会すると言ってしまえばもう後戻りは出来ない。こいつの事だから、ボイスレコーダーに録音される恐れは十分にある。それでも、ある程度は譲歩しないと、本当にあのデータを流されそうである。
目の前の少年は予行演習のつもりか、右手でマウス操作のイメージトレーニングをしている。このままでは確実に流される。それはもう間違いない確率で。
「条件付で入会してやる。つまり、お前は四人集めて、同好会を設立したい。そうだな?」
「はい。その通りです」
「で、四人揃えばオレである必要はない。そうだろ?」
「その通りですね」
「四人集められなかったら、オレが入会してやる。だが、四人集める事が出来たら、データを削除し、オレを解放すると約束してくれ」
この少年が約束を守るとは思えないが、それでも一縷の望みにすがるしかなかった。




