第八話:深夜の暗殺者は、秘密の暴露に耐えられない
草木も眠る丑三つ時。
スラムのボロ倉庫の空気は、昼間とは打って変わって氷点下に近い冷気に包まれていた。
床を突き破る青白い神代金の巨柱。
その直下の亀裂からは、ドス黒い瘴気がゆらゆらと立ち上り、耳を澄ませば地底深奥から『ドックン……ドックン……』と超巨大な心音が規則正しく響いてくる。
「……なあベルゼ。あいつ、寝返り打つたびに震度二くらいの揺れが来るんだけど」
『良かったじゃねえか。目覚まし時計要らずだぞ。……まあ、あいつが完全に目を覚ましたら、目覚ましどころか王都全土が永遠の眠りにつくがな』
倉庫の隅に敷いた薄汚い藁ベッドの上で、俺と黒猫は毛布にくるまっていた。
外にはクラリス率いる騎士団が見回りをしているはずだが、この時間帯は交代の隙間なのか、妙にしんと静まり返っている。
ガサリ。
トタン屋根の上で、かすかな擦過音が鳴った。
風の音ではない。完全に気配を押し殺した人間の体重移動の音だ。
『おいシオン、起きてるか』
「……ああ。屋根の上に三人、天窓の枠に二人、床下の通気口に四人だな」
『へえ、よく分かったじゃねえか。耳だけは小悪党らしく育ちやがって』
肩の上でベルゼが目を細め、暗闇を見つめる。
次の瞬間、梁の上から墨汁のような影がぽたぽたと滴り落ち、俺のベッドの周囲を隙間なく取り囲んだ。
サッ、ササッ。
姿を現したのは、全身を漆黒の防刃スーツで覆い、髑髏の金属面をつけた八名の刺客たち。
手には月明かりすら反射しない艶消しの漆黒短剣。
昼間のゴロツキや貴族の私兵とは、立ち姿の重心からして次元が違った。骨の髄まで人殺しの訓練を叩き込まれた、国家級の特務工作員だ。
リーダーとおぼしき長身の髑髏面が、音もなく短剣の切っ先を俺の眉間に突きつけてきた。
「……動くな。声を出せば頸動脈を裂く」
氷のように冷たい声。
クラリスの騎士団が張っていた厳重な外郭警戒網を、一切の物音を立てずにすり抜けて侵入してきた手際だった。
「シオン・クローデルだな。貴様が起こした一連の茶番劇……王都結界の変質、オリハルコン鉱脈の捏造、そして国王陛下の行幸の誘導。すべて宮廷の秩序を乱す反逆行為とみなされた」
「……誰の差し金だ?」
「貴様が知る必要はない。死人に教える名など持たぬ」
髑髏面は冷徹に言い放ち、一切の躊躇なく短剣を振り下ろそうとした。
問答無用の暗殺。この手合いに命乞いは通じない。
だが――。
「――我が主の寝所を穢す羽虫が」
虚空から、重なるように響いた百の声。
バシュッ!!
倉庫の闇全体が生き物のようにうねり、梁から、壁の影から、床の隙間から、鳥の仮面をつけた『夜啼鳥』の暗殺者たちが雪崩れ込んできた。
瞬き一つの間に、八人の髑髏面の背後、死角、関節の隙間へ、夜啼鳥の湾曲短剣が寸分の狂いもなく突き立てられる。
「なっ……何奴!?」
髑髏面のリーダーが息を呑み、わずかに刃を引いた。
互いの刃が皮膚一枚を挟んで拮抗する、完全な膠着状態。
夜啼鳥の頭領が、俺の枕元に音もなく跪く。
「我が主。不埒者の侵入を許した我らの不手際、万死に値します。……合図をいただければ、三秒でこの者らの骨を一本残らず砕きますが」
「ひっ……!?」
髑髏面の部下たちから、押し殺した動揺が漏れた。
彼らとて超一流の暗殺者。だからこそ、自分たちを完全に上回る技量と数で包囲している夜啼鳥の異常性を瞬時に理解してしまったのだ。
「……貴様ら、何者だ」
髑髏面のリーダーが、脂汗を流しながら呻く。
「宮廷直属の暗殺部隊『黒鴉』の精鋭を、ここまで容易く捕捉する部隊など大陸に存在するはずが――」
「黒鴉、ねえ」
俺は毛布を跳ね除け、わざとらしく大きく欠伸をしながらベッドから起き上がった。
千二百ペニーしか持たない無職のくせに、あたかも深夜のチェス盤を眺める老獪な黒幕のような顔を作って、髑髏面の男を見下ろす。
「おいおい、宰相バルフォア閣下も、随分と手癖の悪い連中を飼ってるもんだな」
「……なっ!?」
リーダーの髑髏面が微かに揺れた。図星だったらしい。
ノーザンバーグ伯爵の親玉であり、宮廷を牛耳る宰相バルフォア。そいつが明日の国王行幸を潰すために、証拠隠滅の暗殺部隊を差し向けたわけだ。
『おいシオン、夜啼鳥に命じてこいつらをミンチにしちまえよ』
肩の上のベルゼが小声で急かす。
(バカ、ここで死体を作ったら、明日の朝やってくる国王陛下に「スラムで大量殺人事件」として処理されるだろ! ここは全員生け捕りにして、宰相の首根っこを押さえる証拠を吐かせるんだよ!)
俺は薄暗い倉庫の中、腕を組んで髑髏面のリーダーへと歩み寄った。
「なあ、黒鴉の隊長さんよ。あんた、自分が何のために使い捨てられようとしてるか、知っててここに来たのか?」
「……何が言いたい」
「宰相バルフォアはな、あんたたちに俺を殺させた後、口封じのためにこの倉庫ごと『魔導爆破』で吹き飛ばす手筈を整えてるんだよ」
「……戯言を」
「戯言かどうか、あんたの胸ポケットに手を突っ込んでみりゃ分かるぜ」
俺は芝居がかった手つきで指をパチンと鳴らし、喉の奥から極上のハッタリを紡ぎ出した。
「あんたが今着てるその特務スーツの裏地にはな、宰相自らが署名した『黒鴉部隊・全員処刑命令書』と、明日の国王暗殺作戦の『全軍配置図』が、なぜか最初から縫い込まれてるのさ!」
完全なる出任せ。
暗殺者がそんな都合のいい機密文書を身につけて現場に来るわけがない。
ベルゼが脳内で狂ったように手を叩く。
『出たァァァッ! 敵の懐に極秘文書が最初から入ってる設定! 雑すぎるだろそのホラ!』
俺は構わず、冷笑を浮かべて髑髏面を睨みつけた。
「どうだ隊長? あんたは忠誠を尽くして使い捨てられるただの捨て駒だ。信じられないなら、今すぐ胸のポケットを探ってみな!」
髑髏面のリーダーの呼吸が荒くなる。
プロの暗殺者としての誇りと、主君への忠誠心が、俺のあまりにも突拍子もないハッタリを激しく拒絶した。
「……小僧」
金属面の下から、絞り出すような怒声が響いた。
「嘘をつけェェェェッ!!」
倉庫の闇を切り裂く、魂からの全否定。
「宰相閣下が我らを裏切るはずがない! 処刑命令書だと!? 国王暗殺の配置図だと!? そんな国家最高機密の原書を、一介の実行部隊のスーツに縫い込むような間抜けな真似、この世のどこにあるわけがなかろうがァァァッ!!」
百パーセントの確信。
一切の妥協のない「完全なる疑念」。
――パリィィィン……!
空気が凍りつき、因果律の裂け目から青白い火花が散った。
歴史が、空間が、物理が、暗殺部隊長の「あるわけがない」という常識をへし折るために、スーツの繊維の一本一本までを過去から書き換えていく。
「……ぐっ!?」
突然、髑髏面のリーダーが胸を押さえて呻いた。
漆黒スーツの左胸の内側が、不自然にボコりと盛り上がる。
バリバリと音を立てて防刃繊維の縫い目が弾け飛び、中から黄金の蝋封が施された二通の羊皮紙が、床へとハラリとこぼれ落ちた。
一通目――『特務部隊黒鴉・任務完了後の即時焼却処分に関する覚書(署名:宰相バルフォア)』。
二通目――『明朝・スラム行幸時における国王暗殺および政権掌握計画書(極秘)』。
「な……な、なんだ……これは……!?」
リーダーは震える手で羊皮紙を拾い上げ、宰相直筆の花押と王璽の刻印を目にした瞬間、膝から崩れ落ちた。
「ほ、本物だ……閣下の直筆署名……専用の暗号符まで……! 馬鹿な、なぜ私のスーツの裏に……!? 閣下は、本当に我らを使い捨てにするおつもりだったのか……!?」
背後の七名の暗殺者たちも、金属面越しに絶望と怒りの気配を露わにした。
信じていた主君からの死刑宣告と、国家転覆の全計画書。動かぬ証拠が、己の胸の中から飛び出してきたのだ。
「お、お前は……」
リーダーは髑髏面を外し、血走った目で俺を見上げた。
現れたのは、無数の刀傷が刻まれた歴戦の男の素顔。その瞳には、未来をすべて見通す超越者に対する、底知れない畏怖と戦慄が満ちていた。
「最初から……すべてを知っていたのか……? 我らがここへ来ることも、宰相の裏切りも、明日の暗殺計画も……すべて貴様の掌の上だったというのか……!?」
「え、いや、俺はただの――」
「お許しを……!」
男は愛用の漆黒短剣を両手で掲げ、石畳に額を叩きつけた。
「我ら『黒鴉』八名、これより命を捨てて貴方様に忠誠を誓います! この証拠文書、明朝の行幸にて国王陛下へ直接突きつけ、奸賊バルフォアの首を白日の下に晒してみせましょう!!」
「おう、よろしく頼むぜ……」
八人の凄腕暗殺者が、一瞬で俺の熱烈な私兵へと寝返った。
手元には、現職の宰相を国家反逆罪で一発死刑にできる決定的な証拠書類の束。
「…………」
手持ち現金、千二百ペニー。
増えたもの――暗殺部隊の忠誠、国家転覆クーデターの阻止義務、そして宰相との全面戦争フラグ。
『――ぶっ、ぎゃははははははははッ!!』
肩の上で、ベルゼが倉庫の梁から転がり落ちそうになりながら大爆笑した。
『最高だぞシオン! 寝込みを襲われただけで、夜が明ける前に現職の宰相を詰ませちまった! どうすんだよ王国史上最年少のフィクサー様ァ!!』
「嘘だろォォォォォォッ!?」
東の空が白み始める中、俺の悲痛な絶叫が四度、スラムの空へと吸い込まれていった。




