第四話:借金の取り立てには、より巨大な借金の話をぶつけろ
人間、背負う借金の桁が一定を超えると、恐怖を通り越して笑いが込み上げてくるらしい。
「……なあベルゼ。八千二百万ペニーって、銀貨に換算すると何枚だ?」
『さあな。とりあえず、このボロ倉庫の床が抜けて全員圧死するくらいの重さにはなるんじゃねえか』
スラム街の外れにある黒犬商会の拠点――埃っぽいトタン屋根の倉庫で、俺はガタつく木箱に腰掛けて天井を仰いでいた。
肩の上では黒猫が、チンピラどもが差し出してきた干し肉を器用に前足で押さえ、優雅に咀嚼している。
倉庫の中には、神妙な面持ちで正座するバズら三十人のゴロツキ。
そして天井の梁や壁の物陰には、微動だにせず気配を消している百人の『夜啼鳥』の暗殺者たち。
絵面だけ見れば、裏社会の頂点に君臨する冷酷な若き支配者だ。
だが実態は、手持ち現金千二百ペニー、部下百三十人の飯代すら払えない極貧無職。
「お頭……いや、シオン様」
額に包帯を巻いたバズが、巨体を小さく丸めながら恐る恐る擦り寄ってきた。
「あの、そろそろ例の『刻限』でございまして……」
「刻限?」
「へい。我ら黒犬商会に三千二百万ペニーを貸し付けている、貴族街の大手金融『ゴールドマン商会』の主席徴収官・ヴァルガス様が、今月の利息五百万ペニーの集金にお見えになる時間でして……」
「五百万」
胃の奥がキュッと縮み上がる。
さっき家賃二千ペニーを払って歓喜していた男に、五百万。もはや異世界の呪文にしか聞こえない。
「払えなかったらどうなるんだ?」
「へい。構成員全員が北方の魔導銀鉱山に奴隷として売却され、死ぬまでタダ働きでございます」
バズはあっけらかんと言った。
スラムのチンピラが鉱山送りになるのは自業自得としても、今やその「組織のオーナー」として書類にサインしてしまった俺まで道連れにされるのは御免被る。
『おいシオン、夜啼鳥の連中にあの金貸しを暗殺させりゃいいじゃねえか』
「バカ言え。暗殺なんてしたら貴族街の私兵団と王室騎士団が総出でスラムを焼き払いに来るぞ。それに、あいつらへの月額維持費五千万ペニーはどうすんだよ」
『そうだった。あいつらも金食い虫だったな』
ヒソヒソと話していると、倉庫の重い鉄扉がドカリと蹴破られた。
「おい、薄汚い犬ども! 利息の五百万ペニーは用意できたんだろうな!」
土足で踏み込んできたのは、豪奢な毛皮の外套を羽織った痩身の男だった。
整えられた口髭に、指先にはめ込まれた悪趣味な宝石指輪の数々。背後には、揃いの革鎧で武装した十数人の私兵を従えている。
ゴールドマン商会の主席徴収官・ヴァルガス。
男はハンカチで鼻を覆い、倉庫内の空気をあからさまに嫌悪しながら見回した。
「相変わらずドブの臭いがする吹き溜まりだな。……ん? バズ、貴様どこに座っている。そこの薄汚いガキは誰だ」
「ひっ、ヴァルガス様! こ、こちらは我が商会の新たなる首領、シオン様で――」
「首領だァ?」
ヴァルガスは冷酷な細目をさらに細め、蔑むように俺を見下ろした。
「頭の挿げ替えごっこか。貴様らの内輪揉めなどどうでもいい。金だ。五百万ペニーを耳を揃えて出せ。出せないなら、契約書通り全員の首に鎖を繋いで鉱山へ出荷する」
私兵たちが一斉に抜剣し、金属の冷たい擦過音が倉庫に響く。
バズたちは怯えて床に伏せ、天井の夜啼鳥たちは無言のままシオンの「合図」を待っている。
(ここで夜啼鳥に皆殺しを命じたら破滅……。五百万を払う金なんて当然ない……)
選択肢は一つ。
この傲慢な金貸しを、俺のハッタリで完全に煙に巻くしかない。
『おいペテン野郎、どうする?』
ベルゼが耳元でニヤリと笑う。
『「五百万ペニーならこの壺の中に詰まってます」とか言うか?』
(ダメだ、そんなスケールの小さい嘘じゃあいつは疑うだけで金庫の小銭が増える程度で終わる。この場を根こそぎひっくり返すには、あいつの欲望の急所を突く超ド級のホラが必要だ)
俺はゆっくりと木箱から立ち上がり、わざとらしく冷ややかに笑ってみせた。
「おいおい、ヴァルガスとやら。たかが五百万ペニーの小銭で、朝から騒々しい男だな」
「……何だと?」
ヴァルガスの眉が吊り上がる。
俺は懐に手を入れて千二百ペニーの革袋を弄びながら、あたかも世界中の富を意のままに操っているかのような尊大な足取りで歩み出た。
「バズのような小悪党なら鉱山送りの脅しに怯えるだろうが、あいにく俺は金の桁が違う世界で生きてるんでね。……あんた、ゴールドマン商会の主席徴収官なら知ってるはずだろ? このスラムの地下に眠る『真の遺産』について」
「……真の遺産?」
「そうだ。この倉庫の直下三千メートルの岩盤にはな、旧帝国時代に封印された『純度百パーセントの神代金鉱脈』が眠っている。俺はその採掘権と発掘技術を独占するために、あえてこのボロ商会を買い取ったのさ」
倉庫内の空気がピシリと凍りつく。
ベルゼが脳内で拍手を送ってきた。
『出た! 小学生でも言わねえような絵空事! オリハルコン鉱脈だァ!?』
俺はさらに畳み掛ける。顎をしゃくり、ヴァルガスを憐れむような目で見つめた。
「五百万ペニーの利息など、明日掘り出されるオリハルコンの原石の破片一つで帳消しだ。……まあ、貴族の使い走りにすぎないあんたのような小物には、国家予算の百倍を超える大事業の価値なんて理解できないだろうがな?」
沈黙。
完璧な煽り、完璧な大風呂敷。
ヴァルガスの顔面が、屈辱と激怒で見る見るうちに紫黒色へと変色していった。
額に太い血管が浮き上がり、握りしめた革の書類入れがミシミシと音を立てる。
「……小僧」
絞り出すような怨嗟の声。
そして次の瞬間、ヴァルガスは狂ったように喉を震わせて絶叫した。
「嘘をつけェェェェェッ!!」
鼓膜を劈く全否定の怒声。
「神代金鉱脈だとォ!? この王都の下にそんな都合のいい古代遺産が埋まっているわけがなかろうがァ! スラムの餓鬼が国家予算百倍の大事業だと!? ハッタリも大概にしろ、そんな鉱脈など天地がひっくり返っても存在するものかァァァッ!!」
常識に囚われたエリート金貸しによる、百パーセント純度の「強烈な疑念」。
――ズ、ズズ……。
倉庫の床下、大地の最深部から、地鳴りのような重低音が響き渡った。
空気がねじれ、理が歪み、世界がヴァルガスの「存在するわけがない」という常識を力ずくでへし折るために、過去の地層の歴史を丸ごと書き換えていく。
「な、なんだ……!? 地震か!?」
私兵たちが慌てふためき、床を固める石畳が激しく跳ね上がった。
ドガァァァァン!!
倉庫の中央の地面が突如として大爆発を起こし、土煙とともに巨大な青白い結晶の柱が、床を突き破って天井へと突き刺さった。
光っている。
部屋全体を昼間のように照らし出す、神々しくも禍々しい虹色の魔力光。
結晶の表面には、現代の魔導工学では解読不可能な古代の神聖文字がびっしりと刻まれていた。
「ひ、ひぃっ!?」
ヴァルガスが尻餅をつき、ハンカチを取り落として震える指で結晶を指差した。
「な……なん、だこれは……!? 魔導波測定器が……振り切れている……!? 馬鹿な、伝説の……本物の神代金の原石柱だと……!?」
鑑定のプロであるヴァルガスだからこそ、目の前の物質が「絶対に偽造できない本物」であることを一瞬で理解してしまった。
「ほ、本当に埋まっていたのか……!? このボロ倉庫の地下に、一国を買い取れるほどの超古代鉱脈が……!?」
ヴァルガスの視線が、青白い光を浴びて佇む俺へと戻る。
その瞳にあったのは、先刻までの侮蔑ではなく、世界の神を目の当たりにした狂信者特有の戦慄だった。
「お、貴方様は……まさか、王立学術院の極秘調査員……いや、古代帝国の末裔であらせられるのか……!?」
「え、いや、俺はただの――」
「お許しくださいィィィッ!」
ヴァルガスは脱兎の勢いで床に滑り込み、額を血が滲むほど石畳に擦り付けた。
「五百万ペニーなどという端金を請求した私の無礼をお許しください! ゴールドマン商会は今すぐ貴方様の発掘事業へ全財産を投資いたします! 三千二百万ペニーの負債は全額帳消し! それどころか、当商会の準備資金二億ペニーを無利息で融資させてください!!」
「……は?」
「つきましては、採掘権の利権契約書を結んでいただきたく存じます! なお、この規模の神代金採掘には、王室への特別採掘許可税および環境魔力保全税として、着工前に【三億ペニー】の現金納付が帝国法で義務付けられておりますので、差額の一億ペニーのご用意をお願いできますでしょうか!!」
ヴァルガスは恍惚とした表情で、金文字の新たな公的納税請求書を差し出してきた。
「…………」
負債三千二百万ペニーが消えた。
そして代わりに、一億ペニーの納税義務が発生した。
『――ぶふっ!! ぎゃはははははははははッ!!』
肩の上で、ベルゼが倉庫の床を転げ回りながら狂ったように爆笑した。
『借金帳消しにした瞬間に、一億ペニーの税金背負っちまったぞォォォッ!! すげえよシオン! お前、世界一の納税者(予定)だ!!』
「嘘だろォォォォォォッ!?」
青白く輝く古代鉱脈の前で、俺の悲痛な叫びが再び虚しく木霊した。




