第二十六話:宇宙をリセットする創世の卵は、二度寝の誘惑に勝てない
天界サミットの議事堂の天井が、眩い純白の光に呑み込まれていた。
ゴオオオオオオ……ッ!
降り注ぐのは、星々の輝きすら霞む原初の神聖波動。
雲海を割ってゆっくりと下降してきたのは、巨大な山脈ほどもある白銀の結晶卵――【創世の卵】だった。
表面には全宇宙の創世神話がびっしりと刻まれ、卵の内部から『ドクン……ドクン……』と宇宙そのものの鼓動が脈打っている。
「お、終わりだ……!」
白衣を着た死神モルティスが、首の聴診器を取り落として膝をついた。
「天界の騒乱、冥界の病院化、そして全銀河を駆け巡るピザ配達の喧噪……。我らの放った過剰な生命エネルギーが、原初より眠り続けておられた【創世主アルファ・オメガ様】の眠りを妨げてしまわれたのだ!」
配達員ウインドブレーカー姿の軍神アレスティアも、背中の保温ボックスを抱えて青ざめる。
「創世の卵が孵化すれば、宇宙の全物質・全生命・全事象は『原初の混沌』へと強制初期化される……! 全宇宙リセットだ!」
ピキリ……!
白銀の卵の殻に、巨大な亀裂が走った。
漏れ出る光の奔流だけで、議事堂の大理石が分子レベルでサラサラと消滅を始める。
卵の中から響いてきたのは、宇宙のあらゆる言語を重ね合わせたような、不機嫌極まりない超越者の呟きだった。
『――やかましい……』
地鳴りのような思念波。
『何億年ぶりかの心地よい眠りであったというのに……下界から湧き上がる温泉の熱気、ピザの焦げる匂い、健康診断の呼び出しベル……。塵芥どもめ、我が眠りを冒涜した罪を思い知れ。すべてを消し去り、最初から創り直してくれるわ』
卵の殻が弾け飛び、中から無数の銀河を瞳に宿した、巨大な光の巨人が姿を現そうとしていた。
全身から立ち上る初期化の波動。
直撃すれば、神も、悪魔も、人間も、ベルゼも、すべてがリセットボタンを押されたゲームのように消えてなくなる。
「シオン様……!」
ルミナリアが涙を浮かべ、スーツの胸元を握りしめて俺を見つめる。
「万事休すです……! 創世主様はただ『静かに眠りたかった』だけ……。その眠りを奪われた神の怒りは、いかなる富や武力をもってしても鎮めることはできません!」
『おいシオン、聞いたかよ』
肩の上のベルゼが、毛を逆立てて耳元で囁く。
『要するに、あいつは「目覚まし時計がうるさくてブチ切れてる寝起きの悪いオッサン」だ! そんな理由で宇宙ごと消されてたまるかよ!』
「全くだ。寝起きが悪いなら、もう一回寝りゃいいだけの話だろうが」
俺はポケットの中に手を突っ込み、残った一握りの粗塩を指先で弄びながら、一歩前へと踏み出した。
手持ち現金、完全なるゼロペニー。
だが、相手の動機が「睡眠不足の苛立ち」であるならば、詐欺師として突くべき急所はあまりにも明白だった。
俺は両手を広げ、天頂で輝く創世の巨人を真っ向から見据えて、朗々と通る声で笑い飛ばした。
「……くくっ、あっはっはっは! おいおい、宇宙の創世主ともあろう御仁が、随分とお粗末な寝具で寝てたんだな!」
『……何だと、矮小なる生命よ』
巨人の銀河の瞳が、俺を一睨みする。視線だけで魂が蒸発しそうな重圧。
「おい、創世主様よ。あんた、自分が今まで入ってたその卵が、何のために作られた物か本気で分かってねえのか?」
『我が卵は宇宙を破壊し、再生させる原初の揺籃ぞ!』
「破壊と再生? くくっ……笑わせるな! その卵はな、宇宙を消す兵器なんかじゃない。太古の全宇宙睡眠環境研究所が開発した【全自動・神代快眠カプセルベッド(超静音スヌーズ機能付き)】なんだよ!」
議事堂全体が、完全な静寂に包まれた。
震えていた上位神たちも、ルミナリアも、そして今まさに宇宙を消し飛ばそうとしていた創世の巨神自身も、ピタリと動きを止めた。
ベルゼが脳内で狂乱のツッコミを叩き込んでくる。
『快眠カプセルベッドだァ!? 創世の卵をカプセルホテルの寝床扱いする奴があるかァ!!』
俺は構わず、胸を張り、大音声で白銀の卵を指差した。
「いいか! あんたが途中で起きちまったのはな、周囲がうるさいからじゃない! その卵の【低反発・神聖形状記憶マットレス】のクッション性がヘタって、あんたの腰に負担がかかってたからなんだよ!」
『な……我が腰に、負担……!?』
「そうだ! そしてお前の卵の殻に走った亀裂はな、破壊の予兆じゃない! 換気システムが作動して、室温を快適な二十二度に保ち、ラベンダーと白檀をブレンドした【超高濃度・快眠アロマスチーム】を噴射するための通気孔なんだよ!」
完全なる出任せ。
宇宙の創造神に対する、史上最悪のアメニティ的侮辱。
「起きたくないなら起きるな! 今すぐそのカプセルに潜り直して、スヌーズボタンを親指でポチッと押しな! あと【三億年間】は誰の目覚ましにも邪魔されず、極上の二度寝を堪能できるんだよ! ……まあ、二度寝の至福すら知らねえ無粋な神様には、快眠の美学なんて理解できねえだろうがなァ!」
沈黙。
宇宙の理が軋み、創世主の光の肉体が、怒りと屈辱で真っ赤に発熱した。
『嘘をつけェェェェェッ!!』
全宇宙の創世神による、純度百パーセントの「完全なる全否定」。
『神代快眠カプセルベッドだとォ!? 我が創世の卵が安眠ポッドなわけがなかろうがァ! 低反発マットレスだと!? ラベンダーのアロマだと!? 創世の巨神が二度寝をするなど、宇宙の根源法則を冒涜した狂人の妄言だ! そんな都合のいい睡眠環境になるわけがなかろうがァァァッ!!』
宇宙を開闢せしめた唯一絶対神による、魂の底からの「絶対否定」。
――ビキビキビキィィィッ!!
因果律の天井が粉々に爆砕した。
世界の理が軋みを上げ、創世主の「そんなわけがあるか」という全否定を力ずくでへし折るために、創世の卵と巨神の生体リズムが丸ごと書き換えられていく。
『グ……グオオオオオオッ!?』
巨神が突如として頭を抱えて激しく身悶えした。
ガシャン! シュルシュルシュルッ!
その光り輝く神聖な巨躯が、眩いパステルカラーの光に包まれる。
神威に満ちたオーラは瞬時に脱色され、肌触り極上の『最高級シルク・ナイトウェア』と、頭には星柄の『ナイトキャップ』へと再構成された。
そして割れかけていた白銀の巨卵の内部には、見るからにフッカフカの羽毛布団と、頭の形に完璧にフィットする低反発枕が自動生成されていく。
プシュゥゥゥ……。
卵の亀裂から噴き出したのは、破壊の閃光ではなく――吸い込んだ瞬間に全身の力が抜けるような、極上のアロマスチーム。
同時に、全宇宙の空間に、心地よいオルゴールの音色で静かな子守唄が流れ始めた。
『――ふわぁぁぁ……ぁ……』
創世の巨神の口から、銀河を揺るがすような超巨大な欠伸が漏れ出た。
その銀河の瞳には、先刻までの破壊の殺気など微塵もなく、猛烈な睡魔の涙がポロポロと溢れている。
『な……何だこの……抗いようのない……心地よさは……。身体が……吸い込まれるように……重い……』
巨神はふらふらと卵の中へと後退り、低反発マットレスの上にドサリと倒れ込んだ。
頭が枕に沈んだ瞬間、巨神の顔にこの世のすべての苦悩から解放されたような、至福の笑みが広がる。
『あ……あったかい……。腰の痛みが……消えてゆく……。……あと……あと五分だけ……いや……あと三億年だけ……寝かせて……おくれ……』
ピポパポポポン!
卵の側面にデジタル表示が浮かび上がった。
――『スヌーズ設定完了:次回の起床アラームは【三億年後】です♪』
パカッ、と卵の殻が完璧に閉じ合わさり、卵の頂上から『すやすや〜♪』という極めて平和な寝息が定期的に漏れ出し始めた。
「…………」
静まり返る天界サミット議事堂。
宇宙初期化の危機は、完全に消滅していた。
「ば……馬鹿な……」
主神ゼノが膝をつき、両手で顔を覆って号泣した。
「全宇宙を滅ぼすはずの創世主様を……二度寝の快楽で手懐け、三億年先まで眠らせてしまわれた……! これぞ……全宇宙の破滅すらも快眠へと導く、至高の神技……!」
ルミナリアが感涙にむせび、タブレットを掲げて叫んだ。
「す、素晴らしいですシオン様! 創世神の睡眠を三億年間保証したことで、宇宙存続保険の評価額が【無限大ポイント】に達しました! 直ちに閣下を【全宇宙睡眠衛生・最高安眠総裁】に任命いたします!!」
「また肩書きが増えたァァァッ!?」
「…………」
手持ち現金、完全なるゼロペニー。
消えたもの――宇宙リセットの脅威。
増えたもの――創世神の三億年間の安眠環境維持責任と、卵の換気フィルター清掃義務。
『――ぶっ、ぎゃははははははははははッ!!』
肩の上で、ベルゼが黄金のテーブルを転げ回りながら涙を流して狂乱の爆笑をあげていた。
『最高だ! 最高すぎるぞシオン! 宇宙の創造主をパジャマ着せて二度寝させやがったァァァッ! どうすんだよ全宇宙一の布団屋のオッサン様ァ!!』
「嘘だろォォォォォォッ!?」
安らかな寝息と子守唄が響く天界の空へ、俺の悲痛な絶叫が響き渡った。




