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パラドクス・ライ~「そんなわけあるか」と怒鳴られたら現実になる能力のせいで、悪党になれない~  作者: 秋葉 詩
第3章:隣国侵攻・ハッタリ防衛編

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第二十五話:冥府を統べる死神は、予防医学の重要性を知らない

天界サミットの議事堂から、突如としてすべての光が消滅した。


ヒュオオオオオ……ッ!


吹き抜けたのは、魂の芯まで凍りつかせる冥府の絶対零度の風。

乳白色の大理石は霜で真っ白に凍りつき、宙に浮かんでいた銀河の星々が、まるで寿命を迎えたかのように次々と黒い穴となって消えていく。


「ひ……ひぃぃぃっ! あのお方が……冥界の門が開いてしまわれたァァッ!」

階段席に陣取っていた百柱の上位神たちが、椅子を蹴倒して逃げ惑い、議事堂の隅で折り重なるように震え上がった。


議場の中央、空間の裂け目から染み出してきたのは、底知れぬ漆黒の瘴気。

その闇を割って現れたのは、擦り切れた漆黒のボロ布を纏い、顔面を青白い骸骨の仮面で覆った異形の存在だった。

手にするのは、触れたものの命を無条件で刈り取るとされる、巨大な白銀の『死の巨鎌《きょれん》』。


全宇宙の寿命と輪廻転生を統治する絶対者――死神モルティス。


「モ……モルティス卿……!」

ルミナリアが顔面を蒼白にし、震える指先でスーツの胸元を押さえた。

「冥界の王が、なぜ神聖なる天界サミットへ……!」


『――シオン・クローデルよ』


墓の下から響くような、重苦しい死神の低音が議事堂を震わせた。

骸骨の双眸の奥で、青白い燐光が怨念のように揺らめく。


『貴様が下界に敷いた愚かしきインフラ……神代温泉、高機能ピザ、そしてリニア超特急……。あやつらのせいで、下界の生命が一人として病気にならず、怪我をせず、寿命すら尽きなくなった』


「……へ?」


『今月、下界から冥府へ落ちてきた死者の数――前月比九割九分九厘の減少! 三途の川の船頭は客が来ずに廃業し、地獄の釜は火が消え、閻魔《えんま》の庁舎は完全なゴーストタウンと化したわ!』


死神モルティスは巨大な鎌をガギィィィンと床に打ち鳴らし、激怒のあまり全身の黒布を波打たせた。


『冥界は今や、数億年ぶりの【完全失業危機】に直面しておる! これ以上の生者の氾濫は、宇宙の生と死の絶対バランスを崩壊させる! すべての元凶たるシオン……貴様の魂を我が鎌で刈り取り、天界もろとも久遠の冥府へと沈めてくれるわ!』


シャララララン……!


死の大鎌が宙を裂き、漆黒の死霊の鎖が議場全体を取り囲む。

絶対的な死の宣告。

金銭でも、軍事力でもない。存在そのものを「寿命切れ」として強制終了させる、神話すら超越した理の執行。


「シオン様、お逃げください!」

ルミナリアが光の翼を広げて前に立とうとするが、死神の冷気だけで翼がパラパラと凍りついて動けない。


『おいシオン、完全にお陀仏だぞ!』

膝の上のベルゼが、毛を逆立てて叫ぶ。

『あいつは本物の死神だ! 魂を直接刈り取りに来てやがる! 生きてる奴を殺すのが仕事の連中に、どんな理屈をぶつける気だ!?』


「生きてる奴を殺すのが仕事、ねえ……」


俺は冷え切った黄金の湯呑みを指先で弾き、ゆっくりと立ち上がった。

手持ち現金、完全なるゼロペニー。

だが、死神の嘆きを聞いて、俺の詐欺師としての直感がピピッと反応していた。


(こいつらが怒ってる本当の理由は、世界のバランスなんかじゃない。『死者が来なくて職場が暇になり、予算が削られて食いっぱぐれそうだから』だろ……!)


だったら、話は簡単だ。

命を刈り取るのが仕事だと思い込んでいる死神のプライドを、最も健全で、最も金になる「別の巨大産業」へ丸ごとすり替えてやればいい。


俺はポケットの粗塩を一粒ペロリと舐め、死神の鎌の切っ先を鼻先でせせら笑った。


「……くくっ、あっはっはっは! おいおい、冥界の絶対者ともあろう者が、随分とセコいリストラ怯えをしてるんだな!」


『何だと、死に損ないの虫ケラが……!』

モルティスの骸骨の奥の燐光が、殺気に濁る。


「おい、死神モルティスよ。あんた、自分の組織が何のために宇宙に存在してるか、本気で分かってねえのか?」


『我が冥府は死者を裁き、魂を刈り取るための絶対の監獄ぞ!』


「監獄? くくっ……笑わせるな! お前たちの冥府はな、死後の墓場なんかじゃない。太古の宇宙厚生労働機構が設立した【全宇宙・未病予防&終末期トータルヘルスケアセンター】なんだよ!」


議事堂全体が、ピキリと静まり返った。

震えていた神々も、固まっていたルミナリアも、そして鎌を振り上げていた死神自身も、ポカンと動きを止めた。


ベルゼが脳内で狂乱の悲鳴を上げる。

『トータルヘルスケアセンターだァ!? 全宇宙を恐怖させる冥界を、人間ドックの総合病院扱いする奴があるかァ!!』


俺は構わず、胸を張り、大音声で死神の大鎌を正面から指差した。


「いいか! お前のその大鎌はな、命を奪うための凶器じゃない! 生命の魂にこびりついた疲労物質や精神的ストレスを、ミリ単位の狂いもなく削ぎ落とす【超高精度・神聖生体レーザーメス】なんだよ!」


『な……我が鎌が、メス……!?』


「そうだ! そしてお前たちの三途の川はな、死者を渡す川じゃない! 地下三万メートルから湧き出る高濃度炭酸泉と超音波水流を組み合わせた、全身の血行を爆上げする【超次元デトックス・ジェットスパ】! 地獄の業火釜は、遠赤外線で老廃物を完全燃焼させる【フィンランド式・極楽マグマサウナ】なんだよ!」


完全なる出任せ。

全宇宙の死生観に対する、史上最悪のヘルスケア的侮辱。


「死者を待って小銭を稼ぐ時代は終わったんだよ! これからの冥界はな、生きてる全宇宙の神々と生命を呼び込み、定期健康診断とアンチエイジングで莫大な診療報酬を稼ぎ出す予防医学の最前線なんだ! ……まあ、死体の数しか数えられねえ無能なヤブ医者には、予防医学の尊さは理解できねえだろうがなァ!」


沈黙。

絶対零度の議事堂の空気が、急激に沸騰した。


死神モルティスの骸骨の仮面が、怒りと屈辱で真っ赤に発熱する。

巨大な鎌を天へと振り上げ、全天界の鼓膜を破らんばかりの大絶叫が炸裂した。


『嘘をつけェェェェェッ!!』


冥界の絶対者による、純度百パーセントの「完全なる全否定」。


『未病予防ヘルスケアセンターだとォ!? 我が神聖なる死の鎌がレーザーメスなわけがなかろうがァ! 三途の川が炭酸ジェットバスだと!? 地獄の釜がサウナなわけがあるかァ! 死神が健康診断をするなど、生と死の絶対法則を冒涜した狂人の妄言だ! そんな都合のいい総合病院になるわけがなかろうがァァァッ!!』


数億年にわたり死を司ってきた絶対神による、魂の底からの「絶対否定」。


――ビキビキビキィィィッ!!


因果律の鎖が、木っ端微塵に爆砕した。

世界の理が軋みを上げ、モルティスの「そんなわけがあるか」という全否定を力ずくでへし折るために、冥界の全歴史と施設の存在理由が過去から丸ごと書き換えられていく。


『グ……グオオオオオオッ!?』


モルティスが突如として大鎌を取り落とし、頭を抱えて激しく身悶えした。


ガシャン! シュルシュルシュルッ!


その身を包んでいた漆黒のボロ布が、眩い純白の光を放ちながら再構成を開始。

糊のきいた清潔極まりない『最高級・純白ドクター白衣』へと変貌を遂げ、胸ポケットには極細の『神聖生体ペンライト』と『電子カルテ端末』が差し込まれた。

そして床に落ちた巨大な死の大鎌は、キュルキュルと縮んで――首から提げる白銀の『超高感度・全宇宙神聖聴診器』へと変形した。


ピポパポポポン!


虚空に開いた冥界の門の向こうから、場違いに軽快な癒しのBGMと電子アナウンスが響き渡る。


『――ピンポンパンポーン♪ 全宇宙メディカルヘルスケア冥府センター、午後の診療を開始します♪』

『三途の川デトックス炭酸泉、ただいま水温四十一・五度。マグマサウナのロウリュサービスは十五分後となります。健康診断を受診される神々は、第一待合室へお越しください♪』


「な……何だこの放送はァ!? おい、冥府の釜から……極上のアロマの香りが漂ってくるぞ!?」

「閣下! 下界と天界の神々から、人間ドックの予約が三千万件殺到しております!」

「一秒で……一秒で年間の冥界運営予算が全額回収されましたァァァッ!!」


門の向こうで、鬼の獄卒たちが純白のナース服と白衣を着て、笑顔で予約表を捌いている光景が広がっていた。


「ば……馬鹿なァァァッ!?」


モルティスは床に膝をつき、白衣の胸元に輝くネームプレートを見つめた。

そこには、誇らしげに刻まれた黄金の称号。

――『全宇宙予防医学センター・院長モルティス(医学博士)』。


「わ、我が冥府が……死を待つ墓場から……全宇宙の生命が押し寄せる予約制超高級総合メディカルリゾートになってしまった……!?」


モルティスは震える手で聴診器を握りしめ、青ざめた骸骨の顔で俺を見上げた。

その瞳には、敗北の屈辱を超えた、死の概念そのものを巨大なウェルネス産業へと昇華させた「神域の公衆衛生改革」に対する底知れぬ畏怖が宿っていた。


「参った……! 命を奪うことしか能のなかった我らに、命を輝かせ、健康を守るという真の至福の職務を与えてくださるとは……! これぞ、死神が真に目指すべき『魂の救済』であったのか……!」


ドサリ。

冥界の絶対者が、白衣のまま俺の足元へ深々と平伏した。


「シオン閣下! 我が愚行をお許しいただきたい! これより冥府の全職員は貴方様の傘下に入り、全宇宙の生命の血圧、コレステロール値、ならびに日々の生活習慣病予防を命がけで指導・管理いたします!!」


「いや、コレステロール値とか命がけで管理しなくていいから立って――」


ルミナリアが歓喜の涙を流し、タブレットを激しくタップした。

「す、素晴らしいですシオン様! 死という宇宙最大の恐怖を、全宇宙の生命が喜んで健康保険料を納める【年間一京神力ポイント】の超巨大ヘルスケア事業へと転換されました! 直ちに閣下を【全宇宙統合医療最高総監】に任命いたします!!」


「また肩書きが増えたァァァッ!?」


「…………」


手持ち現金、完全なるゼロペニー。

消えたもの――死神モルティスによる魂の刈り取りの危機。

増えたもの――全宇宙の生命のメタボ検診受診率向上義務と、三途の川の湯加減チェック責任。


『――ぶっ、ぎゃははははははははははッ!!』


肩の上で、ベルゼが黄金のテーブルを転げ回りながら涙を流して狂乱の爆笑をあげていた。


『最高だ! 最高すぎるぞシオン! 死神をまるごとヤブ医者……いや名医に転職させやがったァァァッ! どうすんだよ全宇宙一の保健室の先生様ァ!!』


「嘘だろォォォォォォッ!?」


アロマの香りが漂い始めた天界議事堂に、俺の悲痛な絶叫が響き渡った。

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