第二十四話:全宇宙の武神は、即日配達の過酷さを知らない
天界の床というものは、やたらと滑る。
足元に広がるのは、磨き抜かれた乳白色の神聖大理石。
天井を見上げれば、無数の星々が渦を巻く銀河のドーム。
そして俺を取り囲む円形劇場の階段席には、百メートルを超える巨躯を誇る巨神から、無数の光輪を背負った精霊神まで、全宇宙の神話に名を残す上位神族数百柱がズラリと居並んでいた。
その神々の中心――最高議長の円卓に、俺は粗末なシャツと穴の空いたズボンで座らされていた。
「シオン様、お茶の用意が整いました。天界最高峰の神樹から採取した神聖茶葉でございます」
純白のレディーススーツを着たルミナリアが、恭しく黄金のティーカップを差し出してくる。
背後には、天界の全資産の七割を握る「神界格付け天秤」が、カタカタと音を立てて株価チャートを印刷し続けていた。
「……なあルミナリア。この茶菓子、外の売店で金に換えられるか?」
「滅相もございません! 神饌の三次元売買は宇宙神法第十二条により厳罰の対象です!」
即座の却下。
手持ち現金、完全なるゼロペニー。
ポケットの中には、森の小屋から持ってきた一握りの粗塩だけ。
『おいシオン、すげえ眺めだな』
膝の上のベルゼが、黄金のテーブルに前足を乗せてケラケラと笑う。
『神様どもが全員、お前の顔色を窺ってヒソヒソ話してやがるぞ。「あの小僧が主神ゼノを破産させた悪魔か」とよ』
見渡せば、神々の視線は畏怖と猜疑心で満ちていた。
議席の片隅では、前話で債務超過を暴かれた主神ゼノが、真っ白に燃え尽きた灰のような顔で縮こまっている。
だが、全員がシオンの財政掌握に屈したわけではなかった。
「――茶番はそこまでだァッ!!」
ドガァァァァン!!
議事堂の重厚な星鉄の扉が、一撃で粉砕された。
響き渡る轟音とともに踏み込んできたのは、燃え盛る紅蓮の神聖重装甲を纏った巨漢の偉丈夫だった。
身の丈三メートル。手には銀河を叩き割ると謳われる赤黒い神話の大斧。全身から立ち上る闘気だけで、大理石の床がメキメキとひび割れていく。
天界軍事力の頂点――軍神アレスティア。
「アレスティア閣下! サミット中の抜刀は固く禁じられております!」
ルミナリアが鋭く叫ぶ。
「黙れ、ペテン師の飼い犬が!」
アレスティアは大斧の石突きを床に叩きつけ、血走った眼光を俺へと突き刺した。
「我が神界第一軍団の次年度軍事演習予算【三千兆神力ポイント】が、そこのドブネズミの意向一つで全額凍結されたと聞いた! 貴様、下界の小細工で神々を脅し、天界の防衛力を削ぐ気か!」
「軍事演習予算」
またしても頭の痛い数字が出てきた。
ルミナリアが小声で耳打ちしてくる。
「シオン様、アレスティアの軍団は毎年無駄な模擬戦で星々を破壊し、莫大な予算を浪費する天界最大の赤字部門でございます。先ほど格付け天秤が、自動で全額削減処分を下しました」
(勝手に削ったのはあのハカリだろ! なんで俺が逆恨みされてんだ!)
アレスティアの大斧の切っ先が、俺の喉元へと突きつけられた。
絶対的な殺気。
一振りされれば、俺も、ベルゼも、議事堂ごと宇宙の塵だ。
「神界の法など知らん! 我ら武神の理は力のみ! シオンとやら、我が大斧を受け止めてみせよ! できねば貴様の首を刎ね、凍結された予算を力ずくで吐き出させるまで!」
「ひっ……!」
周囲の神々が悲鳴を上げて後退る。
『おいシオン、大ピンチだぞ』
ベルゼが耳元でヒソヒソと囁く。
『あの脳筋、言葉が通じるタイプじゃねえぞ。「お前の大斧は発泡スチロール製だ」とか言うか?』
(ダメだ、あいつは自分の武力と軍団に絶対の誇りを持ってる。武器を否定しても素手で殴り殺されるだけだ。あの軍神のプライドを、最も屈辱的かつ実用的な方向へへし折る特大のホラを叩き込む!)
俺は黄金の湯呑みをカチャリと置き、わざとらしく大きく欠伸をしてみせた。
千ペニーも持たない無職のくせに、あたかも愚鈍な部下を見下ろす老獪な総帥のような冷笑を浮かべる。
「……くくっ、ははははは! おいおい、天界の軍神ともあろう者が、随分と時代遅れのチャンバラごっこに執着してるんだな」
「何だと……!?」
アレスティアの額に青筋が浮かぶ。
「軍事演習? 星々を破壊する模擬戦? くくっ……笑わせるな! あんた、自分の軍団が何のために編成された組織か、本気で分かってないのかい?」
「我が神界軍団は全宇宙の混沌を平定する無敵の軍勢ぞ!」
「無敵? 寝言は寝て言えよ!」
俺は机をバンと叩いて立ち上がり、大斧を構える軍神の鼻先を正面から指差した。
「お前たちの軍団はな、戦争をするための軍隊なんかじゃない! 太古の宇宙流通連盟が、全銀河の物流遅延をゼロにするために設立した【全宇宙・即日配達神速デリバリー特務部隊】なんだよ!」
静寂。
銀河のドームの下、全天界の上位神族数百柱が、一斉にポカンと口を開けた。
ベルゼが脳内で狂乱のツッコミを叫ぶ。
『即日配達デリバリー特務部隊だァ!? 天界最強の軍勢をバイク便のアンちゃん扱いする奴があるかァ!!』
俺は構わず、胸を張り、大音声で議事堂全体に響かせた。
「いいか! お前たちの光速を超える行軍速度はな、敵を討つためじゃない! 注文から十分以内に宇宙の果てまで『アツアツの焼きたてピザ』と『採れたてキャベツ』を届けるための神速ステップだ! お前の背中の大斧は、玄関先の頑丈な梱包を開封するための巨大なハサミ! そしてお前の軍事予算三千兆ポイントは、配達員全員に支給される『安全ヘルメットと保温保冷バックパック』の購入費用なんだよ!」
完全なる出任せ。
全宇宙の軍事神話に対する、史上最悪のロジスティクス的侮辱。
アレスティアの顔面が、人間の限界を超えたドス黒い怒りで沸騰した。
紅蓮の神聖甲冑が火花を散らして軋み、大斧を天へと振り上げる。
「……貴様ァァァッ!!」
議事堂の星々を震わせる、魂の底からの大絶叫が炸裂した。
「嘘をつけェェェェェッ!!」
全天界の軍神による、純度百パーセントの「絶対否定」。
「即日配達デリバリー部隊だとォ!? 我が無敵の神界軍団がピザを届ける使い走りなわけがなかろうがァ! 神話の大斧が開梱用のハサミなわけがあるかァ! 全宇宙の神兵が配達員になるなど、軍神の誇りを冒涜した狂人の妄言だ! そんな都合のいい運送業者になるわけがなかろうがァァァッ!!」
数億年の武名を誇る軍神による、一切の妥協なき「完全なる疑念」。
――ガギィィィィィンッ!!
因果律の天蓋が、音を立てて砕け散った。
世界の理が軋みを上げ、アレスティアの「そんなわけがあるか」という全否定を力ずくで叩き折るために、天界軍の全歴史と装備体系が過去から丸ごと書き換えられていく。
『グ……グオオオオオオッ!?』
アレスティアが突如として大斧を取り落とし、頭を抱えて激しく身悶えした。
ガシャン! ギギギギギッ!
その紅蓮の神聖重装甲が、眩い閃光とともに変形を開始。
重苦しい鉄の鎧は、通気性と伸縮性に優れた『超高機能・神聖ウインドブレーカー』へと再構成され、背中には巨大な立方体の『超次元保温保冷デリバリーボックス』がガッチリと装着された。
手元に落ちた神話の大斧は、シュルシュルと縮んで――極めて切れ味の鋭い、安全カバー付きの『神聖段ボールカッター』へと変貌を遂げた。
ピポパポポポン!
議事堂の外、天界の平原に駐屯していた十万の神界軍兵士たちから、一斉に電子音が鳴り響いた。
『――ピンポンパンポーン♪ 全宇宙神速デリバリーシステム起動。下界のピザプラントおよび温泉郷より、新規配達リクエスト十万件を受信しました♪』
『制限時間は各銀河系まで十分以内。ただちに全軍、神速突撃行軍(配達)を開始してください♪』
「な……何だこの通信はァ!? おい、身体が……勝手に動くぞ!?」
「閣下! 背中のボックスに、焼きたてのマルゲリータが自動充填されております!」
「足が……光速の三倍でアンドロメダ銀河へ向かって走り出しておりますぅぅぅっ!!」
ドガガガガガガガッ!!
十万の屈強な神兵たちが、笑顔でピザボックスを背負い、全宇宙の空へと凄まじいスピードで散開していった。
「ば……馬鹿なァァァッ!?」
アレスティアは床に膝をつき、変わり果てたウインドブレーカーの胸元を見下ろした。
そこには、誇らしげに輝く純金のロゴマーク。
――『神速イーツ・天界総本店・最高配達主任アレスティア』。
「わ、我が神界軍が……一兵も戦わずして……全銀河のシェア九割を誇る巨大物流網になってしまった……!?」
アレスティアは震える手で段ボールカッターを握りしめ、青ざめた顔で俺を見上げた。
その瞳には、敗北の屈辱を超えた、神話の軍隊を瞬時に実体経済の生命線へと再編した「神域の経営感覚」に対する底知れぬ畏怖が宿っていた。
「参った……! 無駄な戦争で富を浪費するのではなく、圧倒的な機動力をもって全宇宙の民に幸福と物資を即座に届ける……これぞ、武神の力ある者が真に果たすべき『平和の防衛』であったのか……!」
ドサリ。
三メートルの巨漢軍神が、ウインドブレーカーのまま俺の足元へ深々と平伏した。
「シオン閣下! 我が軍団の無礼をお許しいただきたい! これより我が神界軍は貴方様の傘下に入り、全宇宙の物流とピザの温度を命がけでお守りいたします!!」
「いや、ピザの温度とか命がけで守らなくていいから立って――」
ルミナリアが感涙にむせび、タブレットを掲げて叫んだ。
「す、素晴らしいですシオン様! 軍事費という最大の財政赤字を、一日あたり【百兆神力ポイント】の純利益を生み出す超優良物流ビジネスへと転換されました! 直ちに閣下を【全宇宙ロジスティクス最高総裁】に任命いたします!!」
「また肩書きが増えたァァァッ!?」
「…………」
手持ち現金、完全なるゼロペニー。
消えたもの――軍神アレスティアによる暗殺・決闘の危機。
増えたもの――全宇宙のピザ配達の遅延損害賠償責任と、十万人の配達員の労務管理義務。
『――ぶっ、ぎゃははははははははははッ!!』
肩の上で、ベルゼが黄金のテーブルを転げ回りながら涙を流して狂乱の爆笑をあげていた。
『最高だ! 最高すぎるぞシオン! 天界最強の軍団をまるごと配達員に転職させやがったァァァッ! どうすんだよ全宇宙一の出前館長様ァ!!』
「嘘だろォォォォォォッ!?」
銀河の星々が瞬く議事堂に、俺の悲痛な絶叫が木霊した。




