第二十三話:絶対真理の天秤は、過積載に耐えられない
人里離れた原生林のボロ小屋は、わずか半日で「天界第一アセット地上支社」へと変貌を遂げていた。
「シオン様、本日のポートフォリオ速報でございます。下界の温泉利権から得られた幸福エネルギーの再投資により、天界証券取引所の全銘柄が連日のストップ高を記録しております。本日の総運用益は、二十兆神力ポイントを突破いたしました」
純白のレディーススーツに身を包んだルミナリアが、六枚の神聖翼を優雅に畳み、恭しくタブレット端末を差し出してくる。
その神々しい美貌には、昨日までの冷徹な敵意など微塵もない。敏腕ファンドマネージャー特有の、数字への熱狂と顧客(俺)への狂信的な敬意だけが満ち溢れていた。
「……なあルミナリア。その二十兆ポイントで、街の肉屋のベーコンは買えるのか?」
「滅相もございません! 神力ポイントは高次元資産ですので、下界の三次元物質への直接両替は宇宙会計法第三条により厳格に禁じられております!」
即答だった。
手持ち現金、完全なるゼロペニー。
数十兆の神の資産を動かす男が、今朝も焚き火の煙で燻しただけの野草をボリボリと噛んでいる。
『ぎゃはは! 草がうまいか大富豪様! 今日も元気に塩分補給だけしてろ!』
肩の上のベルゼが、俺のポケットに残った一握りの粗塩を前足で小突きながら大爆笑する。
その時だった。
穏やかな木漏れ日を切り裂いて、空全体が鉛色の重苦しい雷雲で覆い尽くされた。
ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
空間が激しく歪み、原生林の木々が突風になぎ倒される。
天頂の雲が渦を巻き、黄金の稲妻とともに、巨大な神の影が虚空へと投影された。
白銀の長髪をなびかせ、黄金の法衣を纏った冷酷無比な偉丈夫――天界最高評議会の主神、ゼノ・ヴァルキリアス。
『――下界の浅ましき詐欺師、シオン・クローデルよ』
大地を直接叩き割るような神の威厳が、天から降り注ぐ。
『我が特務査察官を誑かし、神々の神聖なる信仰を金銭の亡者のごとき下劣な博打へと堕落させた罪、万死に値する。貴様の吐く出任せの化けの皮を剥ぎ、宇宙の秩序を正すために参った』
ドガァァァァン!!
雷鳴とともに天から落ちてきたのは、山一つ分ほどもある巨大な黄金の天秤だった。
空中に浮かぶその天秤は、触れた大気を純白の炎で焼き尽くし、絶対不可侵の神聖文字が無数に輝いている。
「あ、あれは……!」
ルミナリアが顔色を変え、タブレットを取り落とした。
「主神直属の最高神宝――【絶対真理の天秤】……!?」
『然り』
主神ゼノが冷酷に宣告する。
『この天秤は、対象の言動と魂の質量を直接計量する。貴様の言葉に一ミリでも虚偽があれば、左の皿が即座に沈み、神罰の業火が貴様の魂を根源から焼き尽くす。真実のみを述べよ、シオン! 貴様は真に神界の救世主か、それともただのペテン師か!』
巨大な黄金の皿が、俺の頭上へと音を立てて迫る。
逃げ場はない。天秤の神聖結界が小屋の周囲数キロを完全に封鎖していた。
「シオン様、絶対にお口を開いてはなりません!」
ルミナリアが青ざめた顔で俺の前に立ちはだかる。
「あの天秤は宇宙開闢以来、一つの嘘も通したことがありません! 事実以外の言葉を一度でも口走れば、その瞬間に消滅いたします!」
『おいシオン、完全にお陀仏だぞ』
ベルゼが耳元で耳をペタリと伏せる。
『お前の口から出る言葉なんて、九割九分九厘が出任せだ。「俺は人間です」って言っただけでも、今までのハッタリのせいで魂が嘘判定食らって即死するぞ!』
冷や汗が背中を伝う。
事実を言って助かる道はない。
俺の正体は「ただの無職の小悪党」だ。それを認めた瞬間に、これまでの全改変が嘘と断定されて主神の雷で消し炭にされる。
ならば――どうする?
真実を言えば死ぬ。
嘘を言えば天秤が傾いて死ぬ。
だったら、やるべきことはただ一つ。
あの傲慢な天秤の「計測機能そのもの」を根底から破壊する、測定不能の規格外デタラメを皿の上に山積みにすること。
俺は野草を吐き捨て、総督マントの代わりに粗末なシャツの裾を整え、両手を広げて天を仰いだ。
「……くくっ、あっはっはっは! おいおい、天界の主神ともあろう者が、随分と骨董品じみた粗大ゴミを大事に抱えてるんだな!」
『何だと……!?』
ゼノの雷雲が怒りに波打つ。
「おい、ゼノ閣下よ。あんた、その天秤が何のために作られた道具か、本気で知らねえのか?」
『我が天秤は宇宙の真理を測る神聖不可侵の秤ぞ!』
「真理? くくっ……笑わせるな! その天秤はな、嘘を測る道具なんかじゃない。太古の宇宙開発機構が、全銀河の焦げ付き案件を査定するために開発した【全宇宙・不良債権担保評価バランサー】なんだよ!」
原生林が凍りついた。
主神ゼノも、ルミナリアも、天秤自身すらも、ピタリと動きを止めた。
ベルゼが脳内で絶叫する。
『不良債権バランサーだァ!? 絶対真理の天秤を中古の質屋のハカリ扱いする奴があるかァ!!』
俺は構わず、胸を張って黄金の天秤を正面から指差した。
「いいか! その天秤の右の皿は『天界の不良債権』を乗せる皿、左の皿は『下界の回収可能資産』を乗せる皿だ! お前たち神々が数億年かけて隠蔽してきた裏金、焦げ付き融資、無駄な神殿建設の負債――総額【八千兆神力ポイント】の不良債権を今すぐ右の皿にぶち撒けてみろ! 一秒で帳尻を合わせて適正価格を叩き出してやるよ!」
完全なる出任せ。
天界の最高神宝に対する、史上最悪の財政的侮辱。
主神ゼノの顔面が、屈辱と激怒で真っ青に沸騰した。
雷雲が真っ赤にスパークし、天界全土を揺るがす大絶叫が炸裂する。
『嘘をつけェェェェェッ!!』
主神の喉奥から放たれた、純度百パーセントの「絶対否定」。
『不良債権担保評価バランサーだとォ!? 我が絶対真理の天秤が借金の査定器なわけがなかろうがァ! 神界に八千兆の焦げ付き負債があるなど、天地神明を冒涜した狂人の妄言だ! そんな都合のいい回収機関になるわけがなかろうがァァァッ!!』
宇宙の最高権力者による、一片の疑念の余地もない完全なる全否定。
――ビキビキビキィィィッ!!
空間が軋んだ。
因果律の鎖が爆砕し、世界の理がゼノの「そんなわけがあるか」という否定を力ずくでへし折るために、天界の全歴史と天秤の存在構造を丸ごと書き換えていく。
『ギ……ギギギギギギッ!?』
山ほどもある黄金の天秤が、突如として激しく悲鳴を上げた。
ガシャン! ボボボボボッ!
天秤の中央支柱から、巨大な電光掲示板と紙テープ印刷機が飛び出した。
左右の黄金の皿には、天界の秘密金庫から強制転送されてきた「数億年分の神界裏帳簿」と「焦げ付き神殿融資の借用書」が、ドサドサと津波のような勢いで積み上がっていく。
『――ピポパポポポン♪ 担保査定モード起動。過積載を検知しました。現在、右皿の不良債権重量:八千二百兆神力ポイント。……計量限界を突破。緊急自動買い取りプログラムを開始します♪』
「な……ななな、何が起きておるのだァァァッ!?」
ゼノのホログラムが腰を抜かしかけた。
ドスゥゥゥン!!
天秤の右皿が、天文学的な借金の重みに耐えきれずに地面へと激突。
天秤の針が火花を散らして千切れ飛び、電光掲示板に巨大な黄金の文字が表示された。
『【判定結果】:天界主神派閥の全資産を「債務超過・格下げ(トリプルD)」と認定。救済措置として、シオン名誉顧問のファンドが全債権を一括買い取りします』
「ば……馬鹿なァァァッ!?」
ゼノが頭を抱えて絶叫した。
「わ、我が主神派閥の隠し口座が……全宇宙に公開されただとォ!? あまつさえ、あの小僧に全債権の差し押さえ権を握られたというのか……!?」
ルミナリアが歓喜の涙を流し、タブレットを激しくタップした。
「す、素晴らしいですシオン様! 主神派閥が抱え込んでいた不良債権を底値で強制回収し、天界の全資産の七割がシオン様の運用管理下に置かれました! これにて天界の格付け評価は史上最高のクリーンさを達成いたしました!」
「…………」
天秤はすっかり落ち着き、針の代わりに「AAA」と誇らしげに電光表示を灯しながら、カタカタと清算レシートを吐き出している。
主神ゼノの雷雲は、自らの不正を暴かれた恐怖と恥辱でみるみる縮み上がり、這々の体で天界へと逃げ帰っていった。
「…………」
手持ち現金、完全なるゼロペニー。
消えたもの――主神からの処刑の危機。
増えたもの――天界の全不良債権の回収責任と、「神界最高格付け委員長」の肩書き。
『――ぶっ、ぎゃははははははははははッ!!』
肩の上で、ベルゼが森の草むらに転がり落ちて涙を流しながら大爆笑した。
『最高だ! 最高すぎるぞシオン! 嘘を暴く神宝に借金の山を食わせてショートさせやがったァァァッ! お前、手持ちゼロペニーのくせに主神の全財産の差し押さえ権を握っちまったぞォォォッ!!』
「嘘だろォォォォォォッ!?」
木々のざわめきを切り裂いて、俺の悲痛な絶叫が青空へ吸い込まれていった。




