第二十二話:美貌の査察天使は、極上の投資信託に眩惑される
空が割れた。
天界の次元の蓋が吹き飛び、原生林の頭上に黄金の天界情報ストリームが滝のように雪崩れ込んでくる。
ルミナリアの琥珀色の神眸が、信じられないものを見るように見開かれた。
「な……何が起きておりますの……!?」
凛々しい査察神の悲鳴。
彼女が手にしていた断罪の光剣が、チリチリと青白い火花を散らしながら溶けていく。
代わりにその手の中に握られたのは、純白の革で装丁された『全宇宙幸福アセットマネジメント運用報告書』と、天界最高峰の神聖金属で鋳造されたペンタブレット端末だった。
パラララララッ!!
ルミナリアの纏う白銀の神聖鎧が、神聖光の粒子となって剥がれ落ちる。
再構築されたのは、寸分の狂いもなくその肢体にフィットした、純白のスリーピース・レディーススーツ。胸元には黄金のネクタイピン、そして襟元には「天界第一アセット・筆頭ファンドマネージャー」の煌びやかな純金バッジ。
六枚の神聖翼は、まるで超高速アンテナのようにピコピコと電波を受信し始めた。
『――ピポン♪ 天界証券取引所、緊急特別取引セッションを開始します♪』
『下界発・新組成ファンド【信仰と幸福の兌換国債(愛称:シオン・ハッピーボンド)】、取引開始と同時に全宇宙の神々より買い注文が殺到! ストップ高を記録しました!』
「……は? 買い注文……? ストップ高……!?」
ルミナリアの口から、間抜けな声が漏れた。
背後の空間の裂け目――天界最高評議会の大神殿の様子が、ホログラムのように森の上空へ投影される。
そこには、これまで威厳たっぷりに宇宙の理を語っていたはずの、白髭を蓄えた大神や女神たちが映し出されていた。
彼らは神座を蹴倒し、血走った目で黄金の端末にかじりついている。
『おい! 我が雷霆神殿の余剰信仰エネルギー十億単位を、直ちにシオン・ハッピーボンドへ全額ぶち込め!』
『買いだ! いくらでも買い集めろ! ピザを食った民の笑顔から抽出される神聖配当が、年利三千パーセントを超えているぞ!』
『温泉利権担保の優先株を寄越せ! 我が愛と美の神殿の予算が十秒で五億倍に膨れ上がったわァァァッ!!』
天界中枢の狂乱。
神々が我先にと下界の幸福ファンドへ投資し、神殿の金庫に莫大な神力がジャラジャラと流れ込んでいる。
「ば……馬鹿な……!」
ルミナリアは手元のタブレットを落としかけ、ガタガタと震えた。
「民の幸福が……本当に……神力へと換金されている……!? 天界の数億年に及ぶ万年財政難が……下界のピザと温泉と鉄道によって……完全に黒字化している……!?」
『おいシオン、見たかよあれ』
俺の肩の上で、ベルゼが腹を抱えて転がり回った。
『神様どもが完全にデイトレーダーの顔になってやがるぞ! 神聖な祈りどこ行ったんだよ!』
「知るかよ。適当に言った単語がそのまま上場しちまったんだからしょうがねえだろ」
俺は冷え切った焼き魚を手に持ったまま、あえて尊大に鼻を鳴らした。
ここで怯めば、また連行だのなんだのと面倒な話になる。
神々の価値観が「信仰の強さ」から「資産運用の利回り」へと強制上書きされた今、俺が演じるべきは一つしかない。
「……どうだ、ルミナリア査察官。いや、筆頭ファンドマネージャーさんよ」
「……っ!」
ルミナリアがハッと我に返り、スーツの胸元を押さえて俺を見上げた。
「まだ俺を粉飾決算の罪人で連行したいかい? 俺を天界の牢獄に放り込めば、このハッピーボンドの運用責任者が不在になってファンドは即座に破綻。天界に降り注いでる莫大な配当金も、今すぐ紙屑に戻るが……あんた、全宇宙の神々を敵に回してその責任を一人で取れるのか?」
冷徹な脅し。
ルミナリアの白い額から、タラリと冷や汗が伝い落ちた。
タブレットの画面には、すでに「解約されたら天界破産」の警告アラートが赤く点滅している。
「そ、そんな……。私が……全宇宙の神々の資産を……吹き飛ばす……?」
「嫌なら話は簡単だ」
俺は冷笑を浮かべ、一歩前へ踏み出した。
「査察報告書にはこう書くんだ。『下界の黒字は極めて健全かつ革新的な新時代の神聖経済モデルであり、即刻推進すべし』とな」
ルミナリアの琥珀色の神眸が、激しく揺らいだ。
清廉潔白を誇り、不正を何よりも憎んできたエリート天使。
その矜持と、目の前に突きつけられた「全天界を救済する圧倒的な数字」の狭間で、彼女の頭脳が過熱し、ショートしかける。
そして――。
スウゥゥ……と深呼吸を一つ。
ルミナリアはスーツの裾を正すと、神聖な静寂を纏いながら、俺の足元へと音もなく片膝をついた。
「……完敗でございます、シオン様」
「へ?」
「私は……自らの狭小な規約に囚われ、貴方様が描かれた『全宇宙共栄の神聖ビジョン』を理解できずに暴言を吐いてしまいました。民を潤し、世界を繋ぎ、その余波で天界の神々すらも豊かにする……これこそ、真の創造神すら成し得なかった至高の救済でございます」
「いや、救済とかじゃなくて、俺はただ魚を食ってただけで――」
「なんという謙虚さ……! 巨万の神力を意のままに操りながら、自らはボロ小屋で粗食を食す……まさに清貧の極み、生ける投資の絶対神であられます!」
ルミナリアは感涙を浮かべ、タブレットを両手で高く掲げた。
「直ちに天界最高評議会へ報告書を提出いたします! そして、貴方様を天界中央統括評議会の【終身最高投資名誉顧問】として推戴し、天界の全余剰資産――【百兆神力ポイント】の運用権限をすべて貴方様へ委譲するよう、私が命に代えて上奏いたします!!」
「運用権限……?」
またしても、俺の背骨をへし折るような重すぎる単語が飛び出してきた。
「百兆の神力ポイントって、俺のポケットの現金に換金できるのか?」
「滅相もございません! 神力ポイントは高次元資産ですので、三次元の物質通貨への直接両替は宇宙法により固く禁じられております! 閣下の清廉なる魂に、下界の汚れた硬貨など一ペニーたりとも触れさせはいたしません!」
「…………」
手持ち現金、完全なるゼロペニー。
消えたもの――天界からの差し押さえと投獄の危機。
増えたもの――天界全土の百兆神力ポイントの運用責任と、最高投資名誉顧問の激務。
『――ぶっ、ぎゃはははははははははははッ!!』
肩の上で、ベルゼが森の苔の上へ転がり落ちて泥まみれになりながら大爆笑した。
『最高だ! 最高すぎるぞシオン! 百兆ポイントの神の金を動かす男が、今夜のパン一個すら買えねえェェェッ!! どうすんだよ全宇宙一の超絶ド貧乏カリスマファンドマネージャー様ァ!!』
「嘘だろォォォォォォッ!?」
原生林の木々を揺るがし、俺の悲痛な絶叫が青空へ吸い込まれていった。
――その頃。
天界最高峰、雲海の上にそびえる『神話創世の至高玉座』。
光り輝く玉座の間で、天界最高評議会の頂点に君臨する男――主神ゼノ・ヴァルキリアスが、手元の黄金のチャートを見つめて低く呻いていた。
「……ルミナリアが屈服し、下界の小僧に百兆の資産運用を丸投げしただと?」
主神の双眸に、冷酷な神罰の閃光が走る。
「下界のネズミ一匹に、天界の富の首根っこを握らせておくわけにはゆかん。……神界軍第一神聖師団へ通達せよ。あの男の『神威の化けの皮』を剥ぐべく、天界最強の【絶対真理の天秤】を地上へ降ろすのだ」
神々の欲望と猜疑心が渦巻く中、シオンを巡る次なる神界の嵐が、急速に胎動を始めていた。




