第十七話:世界を滅ぼす超巨大邪龍は、定刻通りに運行する
温泉の湯気と焼きたてピザの香ばしい匂いが漂う王都中央広場。
その平穏を叩き割るように、大地が過去最大規模の鳴動を始めた。
ズズズズズズズズ……ッ!!
露天風呂の湯が激しく波打ち、ピザ窯の煙突からポッポと警告音が漏れる。
王都全土を覆う黄金の防護結界がビリビリと悲鳴を上げ、空の色が不吉な紫黒色へと塗り潰されていった。
「ひ、ひぃぃぃっ! 今度は何だァ!?」
「地面が……王都の地面が割れるぞォォォッ!!」
逃げ惑う十万の群衆。
広場の中央、神代金の結晶柱の直下の岩盤が、まるで薄氷のように粉々に弾け飛んだ。
ドガァァァァァァァァンッ!!
噴き上がったのは、空を覆い尽くすほどの漆黒の瘴気柱。
その深淵の底から、ゆっくりと這い上がってきたのは、山そのものが蠢いているかのような超巨大な影だった。
全長五百メートル。
夜空を遮る六枚の漆黒の翼。
城壁よりも太い四肢と、触れる大気をことごとく腐食させる神話の鱗。
二対の黄金の双眸が、広場に立つ人々を虫けらのように見下ろす。
終焉の黒龍――ヴォルガノス。
かつて世界を半壊させ、神話の彼方に封じられた滅びの現身が、完全な覚醒を果たして地上へと君臨した。
『――我が名はヴォルガノス』
地鳴りのような思念波が、王都中の生物の脳髄を直接揺るがした。
『脆弱なる人間どもよ。我が使徒たちを謀略で奪い、辱めた罪は重い。……我が吐息をもって、この大陸の文明を灰燼に帰し、久遠の静寂をくれてやろう』
龍の巨大な口腔の奥で、ドス黒い重力崩壊エネルギーが凝縮され始めた。
漏れ出る余波だけで空間が歪み、石畳が次々と蒸発していく。
直撃すれば、王都はおろか王国全土が一撃で消滅する神の暴力。
「シオン閣下……!」
クラリスが白銀の細剣を抜き、震える足で俺の前に立った。
「あやつは本物……神話の厄災そのものです! ここは私が命を捨てて時間を稼ぎます、どうか閣下はお逃げを――!」
「逃げられるわけねえだろ」
俺はため息をつきながらクラリスの肩を引き戻した。
あんな大陸消滅ビーム、王都の外へ逃げたところで余波で消し炭になるのがオチだ。
ポケットの中の千百五十ペニーも、もちろん原子に分解される。
『おいシオン!』
肩の上のベルゼが、毛を逆立てて耳元で叫ぶ。
『あいつは本物の神話生物だぞ! 使徒どもとは格が違う! お前の適当な口八丁が通じる相手じゃねえぞ!』
「知るか。通じなきゃ全員死ぬだけだ」
俺は総督マントを翻し、重力崩壊の光が満ちる黒龍の真正面へと大股で歩み出た。
千百五十ペニーの財布を弄び、天を仰いで鼻でせせら笑う。
「……くくっ、ははははは! おいおい、一万年も地底で寝てたトカゲの親玉が、随分と寝ぼけた寝言をほざいてるじゃねえか!」
『……何だと、塵芥が』
ヴォルガノスの黄金の双眸が、俺を一睨みする。視線だけで心臓が止まりそうな重圧。
「おい、終焉の黒龍だか何だか知らねえがな。あんた、自分が何の生き物か本気で分かってねえのか?」
『我が破壊の龍であることを疑う余地などない!』
「破壊? くくっ……笑わせるな! お前は怪獣なんかじゃない。太古の超文明が、大陸全土をわずか半日で結ぶために開発した【全自動・神代リニア超特急】なんだよ!」
王都全体が、息を呑んで静まり返った。
逃げ惑っていた市民も、迎撃態勢の騎士たちも、そして口を開けてエネルギーを溜めていた黒龍自身も、思考がフリーズして動きを止めた。
ベルゼが脳内で狂乱の悲鳴を上げる。
『リニア超特急だァ!? 全長五百メートルの邪龍を列車扱いする奴があるかァ!!』
俺は構わず、胸を張り、大音声で黒龍を指差して煽り倒した。
「いいか! お前の背中の六枚の翼はな、空気抵抗を極限まで減らして時速千キロで滑空するための可変式整流翼だ! お前の口から出る重力波は、大気中の魔力を吸い込んで推進力に変えるハイパー・リニアエンジン! そしてお前の腹の下の鱗は、線路なしで大地の上を浮上走行するための電磁シールドなんだよ!」
完全なる出任せ。
神話の破壊神に対する、史上最悪の工業的侮辱。
「お前が本気で走れば、王都から旧帝国帝都まで片道四十分! 車内では極上のピザと温泉が楽しめ、大陸全体の物流コストは一億分の一になる! ……まあ、ダイヤの時刻表すら守れねえ粗大ゴミトカゲには、定刻運行の美学なんて理解できねえだろうがなァ!」
沈黙。
王都の風が止まった。
ヴォルガノスの全身の黒鱗が、怒りと屈辱で真っ赤に発熱した。
口腔の重力波が暴走し、空を割らんばかりの大絶叫が炸裂する。
『嘘をつけェェェェェッ!!』
天地を揺るがす、純度百パーセントの「完全なる全否定」。
『我は世界を滅ぼす終焉の神ぞ! リニア超特急だとォ!? 我が神聖なる肉体が乗客を運ぶための列車なわけがなかろうがァ! 時速千キロで定刻運行するなど、神話の尊厳を冒涜した狂人の妄言だ! そんな都合のいい公共交通機関になるわけがなかろうがァァァッ!!』
一万年の誇りを持つ古代邪龍による、魂の底からの「絶対否定」。
――ガギィィィィィンッ!!
因果律の天井が粉砕された。
世界の理が軋みを上げ、ヴォルガノスの「そんなわけがあるか」という否定を力ずくでへし折るために、古代神話の全歴史と龍の肉体構造が丸ごと書き換えられていく。
『グ……グオオオオオオッ!?』
ヴォルガノスが空中で激しく身悶えした。
ガシャン! ギギギギギッ!
その全長五百メートルの巨躯が、滑らかな流線型の漆黒装甲列車へと急速に変形。
六枚の翼は完璧な整流ウイングへと折り畳まれ、口腔の重力波はクリーンな青白いプラズマ推進光へと転換された。
胴体の側面には無数の展望窓がズラリと開き、腹部からは柔らかな磁気浮上フィールドが展開される。
ファァァァァァァン!!
口元から放たれたのは、破壊の咆哮ではなく――大陸中に響き渡る、極めて澄んだ美しい『発車ホーン』の音色だった。
『――ピンポンパンポーン♪ 大陸横断超特急ヴォルガノス号、まもなく一番ホームより発車いたします。本日の運行は王都発・帝都行きノンストップ特急です。全席指定席、車内では名物ピザと足湯をご利用いただけます♪』
愛らしい車内アナウンスが響き、巨大な乗降扉がプシューッと音を立てて開いた。
「…………」
静まり返る王都中央広場。
破壊の気配は完全に消滅し、そこには超豪華・超巨大な最新鋭リニア列車が一編成、静かに浮上待機していた。
市民の一人が恐る恐る乗り込み、窓から顔を出して叫んだ。
「す、すげえ! シートが最高級の革張りでフカフカだ!」
「帝都まで四十分で行けるのか!? 商売の荷物が一瞬で運べるぞ!」
「運賃も安い! 大陸中の物流革命だァァァッ!!」
広場全体から地鳴りのような大歓声が沸き起こった。
超特急と化した邪龍は、誇らしげに『フォォォン!』とホーンを鳴らし、完璧な秒単位のスケジュールで発車準備を整えている。
「…………」
クラリスが感涙にむせび、両手を天に掲げた。
「お、恐るべき神算……! 世界を滅ぼす邪龍すらも手懐け、大陸全土を一つに結ぶ物流の大動脈へと昇華されるとは……! 閣下、この鉄道利権による年間経済効果は【百億ペニー】を超えます!」
エルンストも膝をつき、号泣しながら叫んだ。
「直ちに全大陸鉄道網を統合し、閣下を【大陸統一鉄道最高総裁】に任命いたします!!」
「また肩書きが増えたァァァッ!?」
「…………」
手持ち現金、千百五十ペニー。
消えたもの――世界滅亡の危機。
増えたもの――大陸鉄道の運行責任と、邪龍列車の車体清掃義務。
『――ぶっ、ぎゃはははははははははははッ!!』
肩の上で、ベルゼが列車の屋根に飛び移りながら狂乱の爆笑をあげていた。
『最高だ! 最高すぎるぞシオン! 終末の邪龍を新幹線に改造しやがったァァァッ! どうすんだよ世界一の駅長様ァ!!』
「嘘だろォォォォォォッ!?」
定刻通りに発車した超特急の汽笛にかき消されるように、俺の悲痛な絶叫が王都の空へ響き渡った。




