第十五話:終焉を呼ぶ古代の魔獣は、極上の湯加減を知っている
豪奢な大理石の壇上から見渡す王都中央広場は、十万人を超える群衆の熱気で埋め尽くされていた。
「シオン総督閣下万歳! 大陸の偉大なる統合者万歳!!」
鳴り止まぬ大歓声。
俺の隣には、純白のドレスに身を包んだクラリスと、白装束から正装に着替えた帝国元宰相エルンスト、そして首から下げられた数十個の国家栄誉勲章。
絵に描いたような栄華の極み。
だが、俺のポケットの中にある全財産は、相変わらず千百五十ペニーだった。
「……なあベルゼ。壇上の花飾りに金貨が一個くらい混ざってねえかな」
『ねえよ。あったとしても、最高総督様が式典中に花壇を漁ったら一発でニュースになるぞ』
肩の上の黒猫が、退屈そうに前足で欠伸を噛み殺す。
国家予算百億ペニーを動かす男が、壇上で落とし物を探す始末。世の中の不条理を煮詰めたような光景だった。
だが、その茶番劇を打ち破るように、大地が底から激しく軋んだ。
ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
震度四を優に超える激震。
広場の大理石に一筋の亀裂が走り、隙間からドス黒い紫煙が噴水のように噴き上がった。
鼻を突く硫黄の臭気と、肌を焼くような濃密な瘴気。
「な、何事だ!?」
「地震か!? いや、あの黒い煙は……!」
逃げ惑う群衆。
近衛騎士団が即座に抜剣して壇上を取り囲み、エルンストが蒼白な顔で叫ぶ。
「閣下! 以前王都地下に封印されたという『終焉の黒龍』……その封印に綻びが生じたのでは!?」
ドガァァァァン!!
広場の中央が粉砕され、土煙の中から巨大な影が飛び出した。
全長十五メートル。漆黒の鱗に覆われたトカゲのような巨躯、真紅に発光する三対の複眼、そして背中から無数に生えた毒針の触手。
漏れ出る咆哮一撃で、周囲の街路樹が一瞬で炭化して崩れ落ちる。
『――ギシャアアアアアアアッ!!』
怪物の頭上から、禍々しい人語の響きが広場全体に轟いた。
『我は終焉の黒龍ヴォルガノス様が第一の眷属――地獄の瘴気獣・ベヒモス! 我が主の眠りを妨げる脆弱なる人間どもよ、この都ごと腐敗の泥濘に沈むがいい!』
「ひ、ひぃぃっ! 神話の魔獣だァァァッ!」
「お終いだ、王都が滅ぼされる!」
阿鼻叫喚の地獄絵図。
だが、取り乱す群衆の中で、クラリスだけは凛とした瞳で俺を見つめていた。
「シオン閣下……! あのようなトカゲの羽虫、閣下の神威の前には塵芥にすぎませんね。どうか、あやつに天誅をお下しください!」
「天誅」
またしても胃が握り潰されるようなプレッシャー。
あんな体長十五メートルの毒トカゲ、俺の細腕で殴った瞬間に腕が粉砕骨折して即死だ。夜啼鳥の短剣も、あの分厚い鱗の前には爪楊枝だろう。
『おいシオン、大ピンチじゃねえか』
ベルゼが耳元でニヤリと笑う。
『相手は知性のある魔獣だぞ。「お前の鱗はダンボール製だ」とか言って紙屑にするか?』
(ダメだ、そんな安っぽい嘘じゃあいつは怒り狂って毒ガスを撒き散らすだけだ。この状況を完全に平和的かつ実利的にひっくり返す特大のホラを叩き込む!)
俺は総督マントを翻し、壇上の最前列へと歩み出た。
両手を広げ、広場中の人々、そして巨大魔獣を見下ろして、朗々と通る声で鼻先で笑ってみせた。
「……くくっ、ははははは! おいおい、随分と可愛らしいペットが地下から這い出してきたもんだな」
『……何だと、矮小な人間が!』
魔獣ベヒモスが三対の目を血走らせ、俺を睨みつける。
「おい、地獄の瘴気獣だか何だか知らねえがな。あんた、自分が何の生き物か勘違いしてないかい?」
『我が勘違いだと……!?』
「そうだ。お前は破壊の魔獣なんかじゃない。太古の昔、神々が極上のリラクゼーションを楽しむために品種改良された【全自動・神代温泉掘削モグラ】なんだよ!」
広場全体が静まり返った。
逃げ惑っていた市民も、剣を構えていた騎士も、そして魔獣自身もポカンと口を開けた。
ベルゼが脳内で激しく痙攣する。
『ぶっ……! 温泉掘削モグラだァ!? あんな毒針まみれのトカゲがモグラに見えるわけねえだろ!』
俺は構わず、芝居がかった手つきで魔獣を指差し、堂々と煽り立てた。
「お前の背中の触手はな、地下三千メートルの天然温泉脈を感知するための高精度ダウジングロッドだ! そしてお前の口から出る息は、万病を治し美肌効果抜群の【天然硫黄スチーム】! お前が本気で地面を掘り進めば、この広場の地下から毎分十万リットルの極上濁り湯が湧き出し、王都全体が大陸最高峰の温泉リゾート地に生まれ変わるのさ!」
沈黙。
完全なる出任せ、狂気のデタラメ。
魔獣ベヒモスの全身の鱗が、怒りと屈辱で逆立った。
背中の毒針がバチバチと紫色の火花を散らし、広場を揺るがす大絶叫が炸裂した。
『嘘をつけェェェェェッ!!』
魔獣の喉奥から放たれた、魂からの全否定。
『我は大地を腐らせる滅びの使徒ぞ! 温泉掘削モグラだとォ!? 我が息が美肌スチームなわけがなかろうがァ! 地下から温泉が湧き出すなど、神話の魔導生物を冒涜した狂人の妄言だ! そんな都合のいいリゾート施設になるわけがなかろうがァァァッ!!』
数千年の誇りを持つ古代眷属による、純度百パーセントの「絶対否定」。
――ズバババババッ!!
空間が激しく明滅した。
因果律の鎖が千切れ飛び、ベヒモスの「そんなわけがあるか」という否定を力ずくで叩き折るために、魔獣の生体構造と王都の地下水脈の歴史が丸ごと書き換えられていく。
「ギ……ギャアアアッ!?」
ベヒモスが突如として頭を抱えてのたうち回った。
キュルルルルルッ!
その凶悪な爪が、超高速で回転する円形ドリルへと変形。
背中の毒針触手は、ピコピコと愛らしく揺れるダウジングロッドへと軟化し、口から立ち上っていたドス黒い瘴気が――ふわりと心地よいヒノキと硫黄の香りを帯びた純白の湯けむりへと変化した。
『――キュイィィィッ!』
愛らしい鳴き声を上げた巨大モグラ(元・魔獣)は、ものすごい勢いで広場の石畳を円形に掘削開始。
わずか三十秒で深さ五十メートルの巨大な露天風呂の浴槽を掘り抜いた。
ドッバァァァァァァァァンッ!!
掘り抜かれた底から、乳白色に輝く極上の熱湯が滝のように噴き上がった。
立ち込める湯気、漂う極上の薬効。
広場を覆い尽くしていた冷気と瘴気は一瞬でかき消され、王都全体がポカポカとした極楽の温もりに包まれる。
「……あ、あったかい……?」
「なんだこの湯気……長年痛んでいた腰痛が一瞬で消えたぞ!?」
「肌が……肌がつるつるスベスベになっていく……!」
市民たちが歓喜の声を上げ、露天風呂の周りに集まり始めた。
ドリルで完璧な石組みの浴槽を完成させた巨大モグラは、満足げに『キュフ〜』と息を吐き、湯船の端っこに浸かって気持ちよさそうに目を細めている。
「…………」
静まり返る壇上。
クラリスは感涙にむせび、両手を組んで俺を崇めた。
「お、恐るべき神算……! 邪龍の眷属すらも手懐け、無尽蔵の健康と富を生み出す神代温泉を開湯されるとは……! 閣下、この温泉の入湯料と観光利権だけで、年間三十億ペニーの経済効果が見込めます!」
エルンストも膝をつき、感極まった声で叫んだ。
「直ちにこの特区を『シオン極楽温泉郷』と命名し、閣下を【神代温泉リゾート最高経営責任者】に推戴いたします!!」
「また肩書きが増えたァ!?」
「…………」
手持ち現金、千百五十ペニー。
消えたもの――古代魔獣の脅威。
増えたもの――温泉リゾートの経営責任と、巨大モグラへの一日三食の餌やり義務。
『――ぶっ、ぎゃはははははははははははッ!!』
肩の上で、ベルゼが湯気を浴びて毛をフカフカに膨らませながら大爆笑した。
『最高だ! 最高すぎるぞシオン! 滅びの使徒を湯もみ係に転職させやがったァァァッ! どうすんだよ大陸一の温泉王様ァ!!』
「嘘だろォォォォォォッ!?」
立ち上る湯けむりの向こうへ、俺の悲痛な絶叫が木霊した。




