第8話 伝わって来た噂
「ねえねえ、イリスさん」
東の冒険者ギルドでミラと遅い昼食をとっていたところ、ミラが思い出したように口を開きました。
わたくしは慌てず騒がず頬張っているパンをごくんと飲み込み、ミラを見つめます。
「どうしました? ミラ」
「うん……その、イリスさんの元婚約者って、リチャードって名前だよね?」
「……ええ、そうですけど……」
ミラからリチャードの名前が出たことに少しびっくりしたわたくし。
まさか、彼がまた何かやらかしたのでしょうか?
「この前会った北の冒険者ギルドの友達から聞いたんだけどさ。そのリチャードって人が北の冒険者ギルドに来たらしいよ」
「え?」
「なんでも、一緒に遺跡に行く冒険者を募っていたんだとか……それでなんだかトラブルを起こしたとかなんとか……」
「そ、そうだったのですか……」
予感が的中してしまい、何とも言えない顔になります。
あの日以来リチャードとは会っていませんでしたが、まさか本当に遺跡を目指しているということでしょうか。
西の冒険者ギルドではなく北の冒険者ギルドに行ったのは、この前のいさかいもあるのでしょうけど。
一番の理由は、仮面の女エリス――要するにわたくしのことですが――に初めて会う時、遺跡で手に入れた奏呪の力を見せて自分を認めさせたいのでしょうね。
そうすればきっとあのエリスさんは僕になびく! みたいなことを考えているに違いありませんわ。
……そんなことあるわけないでしょう! まったく、イライラしてきますわね。
「イ、イリスさん、怖い顔してるよ? やっぱりこんな話は無神経だった? ごめんね?」
「あ、い、いえ! ミラがリチャードの名を出したことに怒ったわけではありませんから! わたくしの中ではもうあれは終わったことですし! ……今でも向かい合ってお茶を飲む程度のつきあいはあるんですよ」
ええ、決して嘘ではありません。
わたくしの言葉に、ミラがほっとした顔をします。
わたくしも誤解が解けたことに安堵しました。
「……ただそれとは別に、ちょっと気になることがありまして、そのことを考えたせいで怖い顔になってしまったのだと思います」
「気になること?」
別に隠すようなことでもないし、話しても構いませんよね。
「ミラは、奏呪というものをご存じでしょうか?」
「奏呪……? ううん、知らないよ」
「そうですか……いえ、そのリチャードが言っていたのですよ。奏呪というのは大昔に使われていた魔法のような力を持つ歌や曲のことで、どこかの遺跡にはその奏呪が眠っている、と……」
「へえ……じゃあリチャードさんはその奏呪っていうのを探すつもりなのかな?」
「おそらく……でも博識のミラが知らないのなら、やはり眉唾なのかもしれませんわね」
斥候であるミラは、わたくしが知らないようなことを多く知っており、遺跡の構造やそこに隠されているアイテムについての知識もわたくしの比ではありません。
「うーん……イリスさんも知らないってことだよね?」
「ええ。リチャードから聞くまで、奏呪のその字も聞いたことがありませんでした」
「本当だったら凄いよね。でも遺跡なら……あっても不思議じゃない……のかな」
一人で想像の翼を広げ始めたミラ。
わたくしも、考えたくはないのですが自然とリチャードのことが頭に浮かんでしまいます。
まさか、あの温室育ちのリチャードが、本当にそんな思い切った行動に出るとは思ってもみませんでした。
遺跡は、素人のリチャードの手に負える場所ではありません。遺跡のことを調べたなら、そんなことだって分かるはずなのですが……。
ただまあ、冒険者たちもおそらく真面目に取り合うことはないでしょう。奏呪が隠されているなど、あまりに怪しい話ですし。きっと西での出来事のように、つっけんどんに断られていると思いますが。
それよりも、リチャードが西の冒険者ギルドに来なくなったということが、わたくしにとっての朗報です。
あの場所はわたくしの聖域。リチャードに踏み入れて欲しくはありませんもの。




