Ep16 さようなら、そして、またのご来店を ①
つい数日前
鈴木と課長は、神々の最高神であるオーディンへ
和平に向けての事前交渉をした
二人の予想を超え
次の日には具体的な話が最高神から持ちかけられた
そしてさらに数週間後…
その日、普段の 「カフェ・ウィルド」 には、いつもの静寂はなかった
カウンター席しか存在しなかった店内は
最高神オーディンの願いを受け
マスターのちょっとした粋な計らいという魔法が光り
パーティ会場ほどの広さへと拡張されていた
神々というのはとにかく話が早い
日本政府や世界各国の代表たちが、手続きの不透明さに右往左往し
神々の苛立ちを買いながらも
ようやくたどり着いた「一時停戦」から今日という日まで
保障や供与、期日の調整といった膨大な和平項目は
人間界が慌てふためくほどの速度で処理されていった
会場の隅、フロアの端に身を置きながら
フェンリルの眷属:鈴木は、これまでの長く苦しい戦いを思い出していた
「…終わるんだな、本当に」
ぽつりと呟いた鈴木の横では
スルトの眷属:太田が、マスター特製の焼き菓子を口に運んでいた
その隣、ガルムの眷属のマリもまた
派手なドレスの裾を揺らしながら、静かにコーヒーを飲んでいた
二人の瞳には、かつて戦場で神々に向けていたような
剥き出しの怒りや憎悪の光はない
ただ黙って、会場の中央に集う神々と人間の代表たちを見つめている
(…あの戦いは、一体何だったんだろうな)
鈴木の胸中に、安堵と、それ以上に複雑な、割り切れない思いが去来する
神々が単なる無慈悲な殺戮者ではないと最初に気づき
この和平の枠組みを提案した第一人者は間違いなく鈴木自身だった
しかし、いざ人類の存亡を賭けた終止符が目の前に置かれると
その境界線の曖昧さに目眩を覚える
「鈴木さん、なぜ、そんな端っこにいるの?」
振り返ると、いつもとは違うキッチリしたスーツ姿の課長が
いつものような笑顔を浮かべて立っていた
「この和平の立役者は君と私だ
もっと中央でふんぞり返っていても誰も文句は言わないよ?」
課長のそんな半分冗談の言葉に
「勘弁してください…僕はただ
常識的な落としどころを探りたかっただけですから」
鈴木が苦笑混じりにブレンドコーヒーを飲む
課長は 「そうだね」 と短く頷き、目を細めた
「役割を終えたなら、それでいい
サインする者たちへ綺麗にバトンを繋げられた
私の仕事も、そこまでさ」
そう語る課長の声には
これまで背負い続けてきた社会的制約と
フレイの殺害すらしようとした、冷徹な官僚としての重みが
静かに消えていくような感があった
会場後方、カウンターの内側では
マスターが全ての様子を静かな微笑みで見守っていた
その視線はどこまでも慈悲深く
そしてどこか、この世界の全てを見通しているかのよう
そんな会場の中央には
アースガルズの錚々たる顔ぶれ
最高神オーディン
雷神トール
豊穣の神、フレイ
女神フレイヤ
そして、軍神テュール
彼ら神族の代表と、日本政府、さらには世界各国の要人たちが並び
会場の空気が極限まで張り詰める
そして、厳選された数人の撮影クルーが
その歴史的な瞬間を全世界に向けて中継するため、カメラを構えていた
各国代表の形式的なスピーチが終わり
いよいよ、調印のその時が訪れた
しかし…
カフェの窓が震え、空間そのものがへし折れるような雷鳴が響き渡る
すると、会場中央の空間が、ぐにゃりと捻じ曲がり
その歪みの中心から
スッと、巨人族の王、ウートガルザが現れた
「な、何だ!?」
要人たちが ざわめき立ち
SPたちが一斉に銃を構える
オーディン達も即座に臨戦態勢になる
「ウートガルザ……!」
しかし、そんな神々の反応を冷ややかに見下ろし
ウートガルザは地鳴りのような声で告げた
「和平? 人間など、やはり役に立たん
脆く、利己的で、不確実な存在だ
我々はこれより、全眷属から 『力』 を取り上げる」
「――ッ!?」
その瞬間、鈴木は自身の内側から
急速に 「何かが抜けていく」 奇妙な感覚に襲われた
隣を見れば、太田もマリも
自身の拠り所であった超常の力が霧散していく感覚に驚愕し
己の手のひらを見つめ硬直している
ウートガルザの声は続く
「予言は成就される
やはり、我ら巨人族が立ち上がり、神族を討つ
さあ、ラグナロクの再開だ!」
「待て!それは約束が違うはずだ、ウートガルザ!」
叫びながらカウンターから飛び出してきたのは
他でもないマスターだった
いつも穏やかな彼が
これほどまでに感情を露わにして声を荒らげるのを
鈴木は初めて見た
だが、ウートガルザはその制止を無視し
並び立つ神々へ向けて明確な宣戦布告と言わんばかりの視線を放つと
再び捻じ曲がった空間の裂け目へと消え去った
その模様は、中継クルーのカメラを通じて
リアルタイムで全世界へと放映されていた
東京のとある家
テレビの画面を見つめていた
ヨルムンガンドの眷属:五十嵐は厳しい表情で呟いた
「…いよいよ、死地が向こうから歩いてきたかね」
同じく別の場所で中継を見ていた
スルトの眷属:かほるは静かに目を閉じる
「結局、戦う理由なんてそんなものですよね…」
会場は混乱と、軽いパニック状態に陥っていた
「眷属の力が消えただと!?」
「巨人族の襲撃に備えろ!」
「調印は白紙だ!」取り乱す要人たち
その醜態を前に、神々の間に蔑むような空気が流れかけたその時――
――ドゴォン!
耳を塞ぐほどの衝撃が
今度は会場の「内側」から轟いた
オーディンが放つ雷鳴だった




