Ep14 マスターの労いは甘味より来たりて ②
太田はさらに言葉を叩きつける
「お前はただ、『上の命令』や『予言』っていう
絶対的なものに従っていれば、自分で責任を取らなくて済むから
思考停止してロボットみたいに動いてるだけだろ!
俺は違う! そんな命令より、自分が正しいと思うことを、自分で考えてやる
皆の命を守るために、俺の意思で動くんだ!」
静かに睨みあう二人
しかし、この『カフェ・ウィルド』の店内において
いかなる理由があろうとも暴力行為は絶対に禁止
それを十分に理解している二人は
それ以上は言葉を重ねず、互いを睨みつけたまま口を閉ざした
再び、耳が痛くなるような沈黙が店を包み込む
やがて、その重圧に耐えかねたように
フレイがぽつりと声を漏らした
彼はテュールに向き直り
自らが招いた混乱について、静かに謝罪を口にする
「ごめん、テュール…僕の勝手な行動で皆を乱していたことは事実だ
…だけど、誰かの操り人形じゃなく、自主的な行動ができるようになって
それは、今の僕にとって素晴らしいことだと思っているんだ
だから、それが全体の混乱を招いていると思うと
どうすればいいのか、本当に複雑な気持ちになる……」
フレイは手元のエスプレッソを、一口飲んだ
だが、その味は今の彼の心を映すかのように
ただただ、ひたすらに苦かった
テュールはといえば
フレイの苦悩、そして現在の芳しくない戦況を思い返し
すっかり意気消沈してしまっていた
何より、太田から突きつけられた魔狼フェンリルとの事が
彼の胸の奥に眠る古い記憶を容赦なく えぐる
あの騙し討ちの瞬間、裏切りを悟ったフェンリルが見せた絶望の顔
完璧な規律のために切り捨てたはずの感傷が
今になって泥のように溢れ出してくる
――ラグナロクとは、一体何なのだろうか
テュールは、ポットに入れて注文していた紅茶をカップに注ぎ
気を紛らわせるように口に含んだ
しかし、長い時間放置された紅茶は
驚くほど渋く、不味くなっていた
一方、太田もまた、心の中でこぼしていた
(だけど…俺たちの上の連中
管理局の役人どもだって、結局はこのテュールと同じ
現場の戦いも知らないくせに、命令、規則、規律、工数…
そんなくだらない紙切ればかりを押し付けてきやがる
結局、最前線で命を張って戦っている俺たちは
組織の大きな流れの前には何もできない
最終的には全部無理やりやらされるんだ……)
太田のブレンドコーヒーはすっかり冷め
軽く蒸発した その味は、いつも以上に酷い苦みとなって
彼の舌を突き刺した
異なる理由で、暗く、深く、沈み込んでいく三人の男たち
店内の空気は、夕闇の訪れとともに、どこまでも重く落ちていく
だが、カウンターの向こうで
彼らを静かに見つめていたマスターは
そっと手元を動かす
やがて、カラン、と小さな音がして
それぞれの目の前に、新たな飲み物が差し出される
エスプレッソの苦みに震えていたフレイの前には
濃厚なバニラアイスに温かいエスプレッソをかけた
美しい『アフォガート』
渋くなった紅茶に沈んでいたテュールの前には
たっぷりのミルクと蜂蜜の甘い香りが湯気とともに立ち上る
香り高い『ロイヤルミルクティー』
そして、冷めたコーヒーにうなだれていた太田の前には
漆黒の液体の上に、純白のホイップクリームがこんもりと盛られた
豪快な『ウィンナーコーヒー』
「…サービスです」
マスターが静かに声をかけた
突然のことに驚いた三人
それぞれ顔を上げ、自分と他人の前に出されたメニューを不思議そうに見比べた
そして…ある一つの共通点に気がつく
出されたものはすべて
彼らが飲んでいた「苦くて渋いメニュー」をベースに
優しく包み込むような「甘さ」が
これでもかと加えられたメニューだった
張り詰めた空気がわずかに緩む
三人はそれぞれ、背筋を伸ばし 一口、一口と飲み始めた
フレイの口内で冷たいバニラの甘みとエスプレッソの苦みが絶妙に混ざり合う
テュールの喉を濃厚なミルクティーの温かさと甘みが、強張った心を解きほぐす
太田はスプーンでクリームをすくい取ると、その圧倒的な糖分を頬張った
いつもよりも、ずっと、ずっと…その甘さが強く感じられた
それは
この理不尽な最終戦争の最中で
それぞれの立場から必死にもがき、悩み、戦っている彼らに対する
マスターからの無言の労いのようにも思えた
しかし、それと同時に彼らは気づく
ただ苦いだけだったもの、ただ渋いだけだったものに
何か新しい要素――「甘さ」という全く異なる異物が加わることで
その本質は劇的に形を変えることがあるのだという事に
神の規律、人間の意地、そして自らの意思
凝り固まったお互いの主張に
ほんの少しの別の視点が加われば
今の状況を打破できるのではないか?
手元に広がる甘美な味わい
それはまるで
膠着し、破滅へと向かう世界の未来を変えるための
小さな…しかし確かなヒントのように
三人の胸の奥へ静かに染み渡っていった




