Ep11 軍神テュールと計算されたフルーツパフェ ②
「…マスター、人間は、いつもあのような無駄な話を?」
マスターは、ヒビの入ったテュールのカップをそっと下げると
「ええ、人間は、あのように言葉で毒を吐き出し
折り合いをつけながら生きているのです…
彼らも、戦場だけが戦いではありませんから」
「理解できん…無能な上役など
粛清すればいいものを、なぜ生かしておく」
「それをしないのが、人間の 『社会』 という構造なのです」
マスターは苦笑いしながら続ける
「それよりも、テュールさん…ご自身の手元を損ねるほど
何か、苛立っておいででしょう…どうですか?
敵の心理を知るためにも、彼らと同じことをしてみては?」
「…同じこと、だと?」
「ええ、彼らが食べていた、フルーツパフェです
甘いものは、心を落ち着かせますよ」
テュールは、先ほどのカップのヒビを思い出し
少しだけ気まずそうに視線を逸らした
「…カップの件は、すまなかった、弁償しよう
だが、私は あのような大盛りの甘味など――」
言いかけたテュールであったが
思い返せば、あのパフェ、実に見事な階層構造だった
秩序正しく、計算された配置…崩してみたい!
「……いや、そこまで言うなら、一つ、お願いしよう」
マスターは嬉しそうに目元を和ませ
「ありがとうございます」と、再びグラスを掲げた
数分後、テュールの前に
あの、フルーツパフェが静かに置かれた
テュールは、長いスプーンを厳かに握りしめた
そして、先ほどの太田の失態を思い出す
軍神が、無様な崩落を引き起こすわけにはいかない
テュールは、まず、最上部のアイスクリームの傾斜を測り
トッピングされたウエハースを支点として利用し
パフェ全体を絶対に崩さぬよう
完璧で、計画的な順序で、スプーンを動かしていく
そして、一口、口へ運ぶ濃厚なバニラの甘みと
冷徹なレモンシャーベットの酸味が
驚くほど滑らかに舌の上で調和した
(美味い…な)
彼は無言で、しかし正確に
まるで、写経を行う僧侶のようにパフェを掘り進める
一段、また一段と、地層を切り崩していくその作業は
不思議と、暴風のようだった彼の心を凪へと導いていった
そして、それは、冷たいアイスの感覚と共に
古い過去の記憶が、濁流のように脳裏へ蘇ってきた
――それは、魔狼フェンリルとの記憶
ースガルズを脅かす存在として
神々が総力を挙げ、拘束しようとした巨大な狼
そのフェンリルを縛り付けるため
テュールは、右手をフェンリルの鋭い牙の間に差し出した
「これが騙し討ちであれば、この手を噛みちぎるがいい」
そう告げて、魔法の鎖『グレイプニル』で捕縛した瞬間
フェンリルは裏切りを悟り
テュールの腕を食いちぎった
その犠牲の元、作戦は成功した
完璧で合理的な勝利のはず
だが…それは本当に、最善の選択だったのか?
テュールは、ビスケットの層を砕きながら、目を伏せた
あの狼は、神々の誰も信用していなかった
だが、私が毎日運ぶ食事だけは
疑うこともなく
実においしそうに食べていた
フェンリルと私の間には
確かに、ある種の 『信頼』 が存在していた
あいつがまだ小さな仔狼だった頃から
神々が恐れるほどの巨体になるまで
近くで時間を過ごしたのは、他でもない私だ
捕縛は、完全なる騙し討ちだった
私に裏切られたとき
あの狼は、どれほどの衝撃と絶望を?
テュールは、甘いはずのパフェの中に
微かな苦味を感じたような気がした
その後、紆余曲折を経て
フェンリルの捕縛は解かれ
奴は今、どこかに潜み、人間に力を貸している
(今、あいつは…何を考えているのだろうか)
友、飼い主、感傷
ふと、そんな思考が脳裏をよぎった
(…少し、会いたくなってしまったな)
いやいや、違う!
テュールは小さく首を振った
今は…最終戦争の真っ只中
神族の存亡が掛かっている
会ってどうする?
それでも、彼の胸に去来する問いは消えなかった
あいつは今、私をどう思っているのだろう
ティン…ティン
いつしか、器の中は完全に空に
テュールが気づかぬうちに
完璧な計算のもとに食べ尽くされたガラスの底で
長いスプーンの先端が、硬い音を立てて鳴り響く
その澄んだ硝子の音が
かつて フェンリルを縛り付けた
魔法の鎖 『グレイプニル』 の金属音と
酷く重なって聞こえた
テュールはスプーンを置き
ゆっくりと立ち上がる
「報復」という二文字が
脳裏をぼんやりと、しかし重く支配していく
「ごちそうさま、マスター、…不思議な味だった」
「ありがとうございました、またのお越しを」
マスターの穏やかな微笑みに背を向け
軍神は静かにカフェの扉を開けた
カランコロンカランコロン…
再び響いた鈴の音の先
バベルの塔の外は いつの間にか
先ほどまでの快晴が嘘のような
重々しい曇天へと姿を変えていた




