Ep11 軍神テュールと計算されたフルーツパフェ ①
ピキッ…、
静寂な空間に、不釣り合いな硬い音が響く
バベルの塔の中腹に、ひっそりと佇む 『カフェ・ウィルド』
カウンターの端に腰を下ろす 軍神テュールは
自身の右手に視線を落とした
かつて、魔狼フェンリルに喰いちぎられ
今は 鈍い赤褐色の光を放つ精巧な義手
そして、それが握りしめている純白のコーヒーカップ
カップの側面には
細く
しかし明確な亀裂が一本、稲妻のように走っていた
「…チッ」
テュールは静かに舌打ちをする
現実主義者であり、合理性の化身
一瞬とはいえ、感情を制御できなかった
今の彼は、それほどまでに苛立っていた
自らが立案し、完璧であるはずだった作戦が
ことごとく頓挫している
なぜ、あの脆弱な人間が、神々の軍勢を押し留めることができる?
ふと顔を上げると、カフェの大きな窓から見える東京の景色は
皮肉なほどに、どこまでも快晴
遠くの地平線まで見渡せるほど、澄み切った青空
それなのに、テュールの胸中は
暗雲と暴風の渦中にあった
カランコロンカランコロン
穏やかな音が、重苦しい空気を裂いて鳴り響く
扉を開けて入ってきたのは、二人の人間
どちらも、その身から放つ不穏な気配から
「眷属」であることは一目で分かった
そして妙なことに
その二人もまた、テュールに負けず劣らず
凄まじい不機嫌さを全身から漂わせている
「マジでやってられん…」
ドカッ、と椅子を引いてカウンターに座る、スルトの眷属、太田
その隣には、小柄な老人
ヨルムンガンドの眷属、五十嵐も、忌々しそうに腰を下ろす
二人は、先にいた テュールの存在に気づいていないのか
あるいは全く眼中にないのか、一瞥もくれることなく
ただ、己の苛立ちをぶつけるように正面を睨みつけていた
テュールとて、わざわざこの非戦闘区域で
人間どもに話しかけるつもりも
その汚い言葉を拝聴するつもりも毛頭ない
ただ気配を消して、彼も正面を見据えた
「いらっしゃいませ…おや、お二人とも、荒れてますね…」
マスターが、いつもの物静かな調子で声をかけるが
太田も五十嵐も、どうにか ぎこちなく笑うので精一杯だった
「何にされますか?」
五十嵐は、メニューを見ると眼光鋭く
「マスター、フルーツパフェじゃ!」
「おいおい、五十嵐のじいさん、大丈夫か?」
太田が呆れたような声を出すが
「…いや、じいさん、ごめん
確かに今は、脳が完全に糖分を欲してる、俺も」
「かしこまりました、では、なるべく急いでお作りしますね」
マスターは二人の苛立ちの理由に立ち入ることはせず
時間勝負と手際よくパフェの調理に取りかかった
しかし、テュールは内心で鼻で笑っていた
人間は戦いの最中に、果物と砂糖の塊を貪ろうというのか
くだらん…じつにくだらん、正に悪癖だ
それに引き換え…調理を始めたマスターの手さばきは
彼の厳しい目から見ても完璧に洗練されていた
細長いガラスのパフェグラスの底へ
丁寧にカットされた真っ赤なイチゴが降りる
そこへ、濃厚で艶やかなイチゴソースが隙間を埋め
美しい真紅のベースが完成する
続いて、マスターは数枚のビスケットをリズミカルに砕き
グラスへと投入した
カッカッカッ…小気味よい音が店内に響く
その上には、滑らかなカスタードプリンが丸ごと一つと
純白のホイップクリームが美しい螺旋を描いて降り重なる
仕上げとばかりに、上部には バニラアイスクリームと
爽やかなレモンシャーベットの球体が並べて鎮座
最後に、大ぶりにカットされた主役のフルーツたちが
王冠のように飾り付けられていく
完熟したイチゴ
鮮やかなグリーンのキウィ
みずみずしいメロン
太陽を思わせるオレンジ
そして大粒のブルーベリー
その頂点に小さなミントの葉が添えられ
サクサクとしたウエハースが一本、斜めに差し込まれた
「お待たせいたしました、フルーツパフェです…」
ドン、と太田と五十嵐の前に置かれたそれは、もはや芸術品
圧倒的な色彩とボリュームを誇る巨塔だった
しかし、それを見つめる二人の表情は
未だに硬く、険しいままだった
「いただきます」
太田が長いスプーンを掴み
凶器のようにパフェへと突き立てた
だが、その差し込み方が悪い
パフェの構造を無視して
いきなり中腹からスプーンを引っこ抜こうとした
当然、上部に盛られていたキウィとメロンがバランスを崩し
グラスの縁から滑り落ちそうになる
「あっと!危ねえ!」
太田は慌てて口で迎えにいき
無様に果物を吸い込んだ
それを見ていたテュールは、内心で冷ややかに断じる
(愚かな…全体の構造とバランスを計算せず
無計画に切り崩そうとするから、そうなるのだ…人間め)
だが、太田はそんなテュールの視線など知る由もなく
パフェのクリームをスプーンの先で突くと
スイーツの甘い香りに似合わない愚痴をこぼし始めた
「なぁ、五十嵐のじいさん、なんで俺たち『眷属』の人間が
お役所の 『稟議書』 なんていう、紙切れを作る必要があるんだ?」
五十嵐はメロンをシャクシャクと力強く噛み砕くと
「あんなもの、クソ食らえじゃ、無視して戦場に行けばよかろう」
「それが、俺みたいな中堅どころが上に反発すると
後々、管理局の予算の割り当てとか
装備の配給とかで嫌がらせを受けるんだよ」
太田はため息をつき
アイスクリームをごっそりと食べる
「それに、最近は 『時間あたりの工数』 とか言ってきやがる
戦闘報告書に 『制圧時間の工数、何人』 とかだぜ
頭おかしいだろ!戦いは時間単位じゃねえっつの!」
聞くともなしに会話を耳にしたテュールは、眉をひそめた
(稟議書? 工数? 何を言っている?
上の連中が気に入らないのであれば、首謀者を力で粛清し
組織の全権を奪い取れば済むのでは?)
一方、五十嵐は パフェ上層部のフルーツをガツガツ食べ
プリンと生クリームを頬張りながら喋る
「ワシが一番腹立たしいのは、最近やってきた
あの若いキャリア組の男じゃ
何をトチ狂ったか 『食事管理』 を始めようとしてる
戦闘効率を上げるための栄養配分だの
衛生面のガイドラインだの…余計なお世話じゃ!
ワシは食いたい時に、食いたいものを、好きなだけ食う!」
(兵糧攻めか)
テュールは心の中で腕を組んだ
(兵の糧食を制限し、管理することで統制を図ろうと…
分からんでもないが、嫌なら、その男の食料庫を焼き払えばいいのに)
その後も、二人の人間の愚痴は続いた
組織の縦割り構造、上司の無能さ、現場を無視した規則の変更――
彼らはイチゴやオレンジを口へ放り込み
延々と身内の組織に対する不満をぶちまけ合っていた
テュールは徐々に、奇妙な違和感を覚え始めていた
彼らは、一体誰と戦っているのだ?
天界から降り立つ我ら神々を排除するため
塔を登っているのではないのか
彼らにとって真に殲滅すべき敵は、神々ではなく
自分たちを縛り付ける 『組織』 ではないのか
なぜ、彼らは実力行使に出ない?
神の力を得ながら、なぜ、人間のルールに縛られ
耐え忍んでいる?
理解できん、実に理解し難い生き物だ
ティン…ティン
やがて、パフェは二人の胃袋へと収まると
スプーンの先端が、空になったガラスの底を二度、三度、叩いた
「…ふぅ、まぁ、食ったら少しスッキリした」
太田が、大きく息を吐き出した
「そうじゃな、甘未は、禍根を一時的に忘れさせてくれる」
五十嵐は立ち上がると、カウンターにお金を置いた
その二人の表情には、僅かながら笑顔が戻っていた
「ありがとうございました!」
マスターの見送りの声を受け
太田と五十嵐は、少しだけ軽くなった足取りで店を出た
扉が閉まり、再び静寂が店内に戻る
テュールはいぶかしげな視線を扉に向け
続けて、カウンターのマスターを睨みつけた




