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第8話 消える太陽、震えるマント

 私の仕事は、聖女様のナナメ後ろに立つことである。

 右でも左でもなく、正面でもなく、ナナメ後ろ。

 この位置には意味がある。

 聖女様の視界には入らないが、聖女様がほんの少し首を傾ければ目が合う。


 例えば、むき出しの土と汗の匂いが交差する騒がしい建築現場の手前で。

 興味津々で目を輝かせる聖女様が、舞い上がった土埃を吸い込んで小さなくしゃみをするコンマ一秒前。

 私はすかさず清潔なハンカチを彼女の口元に差し出し、同時に現場の飛び石から防衛するための日傘の角度を完璧に調整することができる。

 それが、ナナメ後ろに控えるメイドの業務である。


 ***


 本格的な春を迎えた街は、現在、凄まじい活気に包まれていた。

 元々はただの中継都市に過ぎなかったこの街だが、聖女様が滞在するようになって以来、人や物が集まる交易都市としての急激な発展を遂げている。


 それに伴う最大の変化が、街のインフラ整備だった。

 街をぐるりと囲んでいた古く簡素な木の杭の防壁が取り払われ、重厚で背の高い石壁へと作り替えられる大規模な改修工事があちこちで進められているのだ。


 午後のお茶会までの空き時間。

「職人さんたちがいっぱい集まってて楽しそう!」という純度100%の好奇心に引かれ、私たちは街の外縁部にあたる巨大な石壁の工区へと視察という名のお散歩に訪れていた。


 無数の足場が組まれ、石工たちが滑車とロープで巨大な石材を引き上げている。

 その現場のド真ん中で、ひときわ通る大きな声が響いていた。


「なーっははは!もっと高く積まんか!この交易都市の威信を、そして偉大なる私の圧倒的指導力を国中に示すのだ!」


 威風堂々たる豪奢なマントをバサァッと翻し、職人たちに大げさな身振りで指示を出しているのは、この街を治める若き女性領主、ヴェロアだった。


 軍服風の衣装を着崩し、自信に満ち溢れた態度で仁王立ちするその姿はいかにも「絵に描いたような権力者」だが、よく見るとマントの裾がペンキの入ったバケツに浸かりそうになっており、防衛面での隙が多すぎる。


「あ!ヴェロア様!」

「えっ」


 聖女様が無邪気に手を振って声をかけると、ヴェロアの肩がびくっと大きく跳ねた。

 彼女はバサァッ!と効果音がつきそうな勢いで振り返り、聖女様の姿を認めるや否や、ものすごい形相で駆け寄ってきた。


「せ、聖女殿!何故このような砂埃と危険に塗れたむさ苦しい現場に!?ええい、民ども!石を下ろせ!聖女殿に万が一のことがあったら私がただではおかぬぞ!」


 怒鳴り散らしながら職人たちを遠ざけるその態度は横暴に見えるが、実際のところ彼女は自分の体で聖女様を飛び石から庇うように立っている。

 ただの過保護だ。職人たちもそれを完全に理解しているらしく、「はいはい、領主様」「気いつけますよー」と笑いながら作業の手を止めている。


「ごきげんよう、ヴェロア様。大きな壁、素晴らしいですね」

「ふ、ふはは!そうであろう!この強固な石壁があれば、いかなる外敵からもこの街を……ち、違うぞ!べ、別に聖女殿を危険から守るために急ピッチで工事を進めさせているわけではないからな!」


 聞いてもいないのに、見事な自白である。

 聖女様にこの街で少しでも安全に過ごしてほしい。

 それが彼女が石壁工事に莫大な予算をつぎ込み、自ら現場監督までしている最大の理由だった。


「領主様。本日はご機嫌うるわしく」

「おお、メイド。お前もだ。ただの無学なメイドの分際で聖女様をこのような危険な場所に連れ出すとは何事だ。この偉大なるヴェロア様が自ら護衛をしてやらねばならぬではないか!」


 私は淡々と一礼した。

 ヴェロアはいつもの大柄な態度をとるが、街の周辺では足らない分の石材の買い付けルートの調整を私が手伝っていることなど、一切気づいていない。

 私にとってヴェロアは、根が誠実で扱いやすい領主だ。


 だが、大プロジェクトには常に横槍がつきものである。

 ヴェロアが聖女様に石積みの解説をして良い気分に浸っていると、背後から鼻につく声が響いた。


「——相変わらず、無駄なものに予算をつぎ込んでいるようですな、若き領主殿」


 ぬっと現れたのは、派手な装飾品を身につけた中年の男だった。

 私はコンマ二秒で相手をスキャンする。


 高価だが趣味の悪い絨毯生地の外套。馬車の長旅を思わせる埃のつき方。この街の人間ではない。

 王都方面から来た視察官か、あるいは石壁の工事の利権に絡めず、ヴェロアに恨みを持っている近隣の悪徳業者といったところか。


「なんだ貴様。この街の決定に首を突っ込む気か?」

「ふん。私は神と王都の威信を重んじる者。ただの中継都市の分際でこのような分不相応な石壁を築くなど、天に対する傲慢ですぞ!そんな金があるなら王都の教会へ寄付すべきだ。自然の調和を乱すその工事、必ずや神の怒りを買うことになるでしょうな!」


 男が唾を飛ばしてまくしたてる。

 ヴェロアは「うるさいわ!」と一蹴しようとしたが、その時だった。


 スゥ……と、急激に肌を撫でる風が冷たくなった。

 春のぽかぽかとした空気が、不自然なほど急速にその熱を失っていく。


「え……?」


 聖女様がぽつりとこぼした。

 足元の影の輪郭がふんわりとぼやけ、奇妙な形に歪み始める。

 見上げれば雲ひとつなかったはずの春の青空の真ん中で、輝く太陽の端がまるで何かの怪物に噛み取られたかのように黒く欠け始めていたのだ。


「な、なんだあれは!?」

「太陽が……太陽が喰われているぞ!」


 現場の職人たちがパニックに陥り、次々と尻餅をつく。

 空はみるみるうちに薄暗くなり、真昼間だというのに夕暮れのような不気味な青暗さに包まれた。


 これは、気象学と天文学が交差する奇跡の瞬間。

『部分日食』である。


 私にとっては、月の軌道と太陽の位置関係の重なりが引き起こす、極めてロジカルで初歩的な天体現象にすぎない。

 自分の頭の中にある知識と計算と、実際の空の様子にズレがないかの答え合わせ程度のイベントだ。

 しかし、この世界において白昼に太陽が欠ける現象は「絶対的なる世界の終焉の兆し」であり、「神の強烈な怒り」と同義だった。


「ひぃっ……!!」


 難癖をつけていた業者の男が顔面を蒼白にしながら悲鳴を上げたが、彼はすぐにこの現象をヴェロアを陥れる最高の道具として利用することを思いついた。


「み、見ろ!私の言った通りだ!驕り高ぶった新米領主が身の丈に合わない城壁など作るから、神がお怒りになって太陽を隠してしまわれたのだ!!この街は終わりだ!呪われているぞ!」

「な、なんだって……!領主様のせいで!?」

「太陽が消えちまう!」


 パニックは一瞬で伝染した。

 男の煽りによって、職人たちや周囲にいた住民たちの恐怖の矛先が、一斉にヴェロアへと向く。

 これはまずい。権力の基盤が恐怖によって根本からひっくり返ろうとしている。

 教会の老人が知れば、胃に穴を開けて倒れる事態だ。


 ヴェロア自身も未知の天体現象に対する本能的な恐怖で、マントの下の足をガタガタと震わせていた。

 この世界の常識に照らし合わせれば、神の怒りを恐れるのは当然のことだった。

 事態を収拾するためのペンを握った、その時──。

 ──私の目の前に現れる聖女様の背中と、もう一人の背中が見えた。


「——ええい民ども!静まれェェェッッ!!」


 ヴェロアが震える両足を渾身の力で踏ん張り、空気を震わせるほどの大音量で咆哮した。

 彼女はバサァッ!と大きなマントを広げ、自身より背の低い聖女様を背中で完全に庇うように立ちはだかったのだ。


「私を誰だと思っている!この偉大なるヴェロア様だぞ!たとえ神の怒りであろうと、呪いであろうと、この責任はすべて領主である私にある!」

「ヴェロア様……」

「お前たちはただちに聖女殿をお守りし、安全な場所へ逃げろ!迫り来る闇は私がここで食い止める!!」


 ポンコツで、過保護で、どうしようもなく隙だらけの領主。

 だが、その根底にあるのは誰よりも強い誠実さと責任感。

 太陽が喰われるという絶望的な恐怖を前にしても、彼女は悪徳業者のように責任から逃げるという選択肢だけは絶対にとらなかった。

 その震える背中は、作ろうとしている石壁よりもずっと頑丈だった。


 ……本当に、呆れるほどに扱いやすく、手放しがたいお方だ。

 私はコンマ数秒静かに目を閉じ、ペンを走らせる速度を三倍に引き上げた。

 彼女のこの誠実な覚悟を、ただの無知による滑稽な茶番で終わらせるわけにはいかない。


 私は聖女様のナナメ後ろにスッと滑り込み、ハンカチを渡すふりをして視界のど真ん中に紙を差し込んだ。


『ただの影。領主の壁関係なし。あと10秒で戻る』


 恐怖に染まりかけていた聖女様の大きな瞳が、その三行の文字を捉えた瞬間、ふわりと安堵の光を取り戻す。

 ノエルのロジカルな事実提示は、聖女様という最高のスピーカーを通すことで、世界を救済する超越解釈へと変換されるのだ。


「──ヴェロア様!逃げなくても大丈夫です!」

「なっ、馬鹿なことを言うな聖女殿!早く!」

「これは神様の怒りなどではありません!大丈夫です!」


 聖女様は、自分を庇って立ちはだかるヴェロアの背中に抱きつき、その肩からひょっこりと顔を出して群衆を見渡した。


「皆様、怖がらないでください!あれは不吉な予兆などではなく、空に現れた『ただの影』ですわ。神様が私たちが作っている立派な石壁を見て、嬉しくて『影絵遊び』を楽しまれているだけなのです!」

「か、神の……影絵遊びだと!?」

「そうです!だからすぐに終わります。皆様、一緒に数えましょう!十、九、八……!」


 ——この事態を予測出来ていたはずなのに、なぜ私は秒数まで書いてしまったのか。

 聖女様のカウントダウンに、パニックになっていた群衆も、震えていたヴェロアも、煽っていた業者も、あまりの無邪気な断言に毒気を抜かれポカンと空を見上げた。


「七、六、五……!」

「せ、聖女殿!そんなご無体な……!」

「四、三、二……一!ほらね!」


 彼女が空に向かって腕を突き上げたその瞬間。


 ——パァァァァァッッ!!


 まるで分厚い暗幕を一瞬で引き剥がしたように、黒く欠けていた太陽の端から暴力的なまでに強烈で、眩しい春の光が弾け飛んだ。

 日食のピークが過ぎ、月の影が太陽の軌道から外れ始めたのだ。

 急速に気温が回復し、明るさとぽかぽかとした陽光が現場の工事現場に一気にあふれ返る。


「おおおおおっっ!!」

「太陽が!太陽が戻ったぞぉぉっ!」

「聖女様が奇跡で闇を追い払ってくださったんだ!」


 職人たちから割れんばかりの歓声があがる。

「影が重なっただけ」という物理的な事実は、聖女様の「影絵遊び」という優しい解釈によって群衆の恐怖を溶かし、さらに見事なタイミングでの太陽の復活が重なったことで、完全なる宗教的奇跡として全員の脳裏に刻み込まれた。


「ひっ……!ば、馬鹿な!神の怒りが、たった十秒で……っ!?」


 事態を悪用しようとしていた業者の男は、眩しい太陽の光と、聖女様を熱狂的に崇め始めた群衆の空気に完全に圧倒され腰を抜かしていた。


「なーっははは!見たか貴様!」


 恐怖から解放されたヴェロアが、勢いよくマントを翻して男を指差した。


「聖女殿の御前で小賢しい嘘をつくからだ!私の築く石壁は、神の影絵遊びの舞台として完璧に祝福されているということがこれで証明されたな!とっととこの街から立ち去れ!」

「ひぃいっ!」


 男は這うようにして、大慌てで王都の方角へと逃げ去っていった。

 完全に聖女様の便乗でしかないのだが、ヴェロア本人は自分の手柄のように胸を張っている。

 しかし、さきほど誰よりも先に泥を被ろうとした彼女の勇気を見ている職人たちは、誰もそれにツッコミを入れようとはしなかった。


「……ふぅ。これで現場の安全確認は完了です」

「ノエル!すごいわ!神様の影絵遊び!」

「ええ。とても見事な……奇跡でしたよ」


 私は事務的なトーンのまま、聖女様の乱れた結び目のてっぺんの部分を手櫛でそっと整えた。


 ***


 騒動が落ち着いた後。

 私たちは、高く積まれた滑らかな石材をテーブル代わりにし、春の温かい日差しの下でお茶会を開いていた。


「しかし驚いたぞ、聖女殿……。太陽を戻してしまうとは。やはり貴女は本物の神の使いだ」


 温かい紅茶のカップを両手で握りしめながら、ヴェロアはまだ少し感極まった様子で鼻をすすっていた。

 先ほどの虚勢はどこへやら、マントの端をギュッと握る姿はただの素直な女性のそれである。

 聖女様はいえいえと首を振り、無邪気に笑った。


「私がすごいのではありません、ヴェロア様が立派だったのです。私を守るためにあの恐ろしい闇の前に立って下さったでしょう?とても誇らしかったですよ」

「なっ……!そ、そんなことはない!ああいう時は領主が前に出るのが当然の義務であって……その、なんだ」


 ヴェロアはボフッと音がするほど顔を真っ赤にし、視線を彷徨わせた後、お茶菓子として出しておいたスコーンを一気に口に詰め込んだ。

 頬をリスのように膨らませて照れ隠しをしている。


 私はそのほのぼのとしたやり取りを見ながら、一冊の『観察ノート』を開いていた。

 聖女様のペン先は、今日も大きな字で元気に出来事を記録していく。


【カミサマが、おっきな石壁を見て大喜びで影絵遊びをしてくれた!ヴェロアちゃんがマントをバサァッてしてワタシを庇ってくれた!すごく震えてたけど、ものすごくかっこよかった!】


 文章の隣には、太陽が欠ける黒い空を背に、マントを広げて震えながら立ちはだかるヴェロアの後ろ姿が描かれていた。

 絵の芸術点は相変わらずだが、彼女の誠実さの本質だけは、恐ろしいほどの精度で捉えられている。


 私はその隣のページに、極めて几帳面な字でインクペンを走らせる。

 太陽と月、地上の位置関係を正確な角度で結んだ幾何学的な天体図。

 そして、その影が落ちる特定の地域の範囲を示したグラフだ。


「あ、メイド。お前またそんな難しい書類の計算をしているのか。相変わらずだな」

「偉大なる領主様が作られている石壁の耐久年数の試算ですので」

「ふはは!そうかそうか、しっかり計算したまえ!数百年は保つだろう!」


 ヴェロアは豪快に笑いながら、紅茶を飲み干した。

 強欲な大人の悪意を払い除け、教会の権威を守り、誠実だが不器用な領主の心を救済する。


 それが、ナナメ後ろに立つただのメイドの業務の成果である。

 私の描いた複雑な天体図の隣で、いつの間にか聖女様がニコニコと笑う領主様の顔文字をこっそりと書き足していた。


 ──あとで私を庇ってくれた聖女様を追加でスケッチし、観察ノートに貼っておこう。


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