第39話 春分の光、一冊の証明
私の仕事は、聖女様のナナメ後ろに立つことである。
右でも左でもなく、正面でもなく、ナナメ後ろ。
この位置には意味がある。
聖女様の視界には入らないが、聖女様がほんの少し首を傾ければ目が合う。
だが、今日という日だけは。
この一年間、誰よりも近くで彼女を守り、観察し続けてきた今日という日だけは、私は彼女の「真正面」に立たなければならない。
メイドとしてではなく、真理を追求する一人の学者として。
***
春分の日。
昼と夜の長さが、完全に等しくなる日。
そして、秋分の日から始まった私の観測データが、きっちりと一周分の「円」を描き切る日である。
私室の窓から差し込む正午の光が、床板に落とす影の長さを測る。
結果は、半年前の秋分の日と一寸の狂いもなく一致した。
太陽の高度の変化、影の伸縮、星々の年周視差、そして惑星の逆行現象。
この一年間、日常のメイド業務の合間を縫って『観察ノート』の右半分に書き溜め続けた膨大なデータは、ここにおいて完全に一つの結論へと収束した。
「太陽が動いているのではない。私たちが乗る大地が、傾きながら太陽の周りを回っている」
完璧な証明だった。
誰がどう計算をやり直しても、これ以外の答えには辿り着けない。
私は、かつて王都の天文台が何百年かけても到達できなかった宇宙の真理を、この辺境の教会の私室で、たった一人で証明し切ったのだ。
「……」
私は完成した分厚い『観察ノート』を両手で抱え、深く息を吐いた。
手は、わずかに震えていた。
証明できたからといって、世界がすぐに変わるわけではない。
むしろ、これは教会が信じる天動説を真っ向から否定する「異端の書」だ。公にすれば、私は今度こそ火刑台に送られるだろう。
この真理は、永遠に私の胸の中だけに留めておくべきものかもしれない。
しかし、私はどうしてもこの美しさを「あの人」にだけは伝えたかった。
コンコン。
私が私室の扉をノックすると、中から「はーい!」という元気な声が返ってきた。
扉を開けると、聖女様がソファで足をぶらぶらさせていた。
「ノエル、お茶?今日のお菓子はなに?」
「本日はお茶ではありません。聖女様に見て頂きたいものがあります」
私はいつものようにお盆を持つのではなく、一冊のノートを胸に抱いて、聖女様の真正面に立った。
私のただならぬ気配を感じ取ったのか、聖女様も姿勢を正して私を見上げた。
「これです」
私はテーブルの上に『観察ノート』を置いた。
そして、私の書いた「右側のページ」の数々を開いていった。
「これは……?」
「私がこの一年間、聖女様のナナメ後ろで密かに記録し続けてきた、世界の観測データです」
夏から冬へ向かって伸びる影のグラフ。
松ぼっくりと湿度の相関図。
キャンドルの上昇気流と断熱の計算式。
そして、惑星の逆行と、同心円の公転軌道モデルの図解。
「……聖女様。私は異端の学者です。かつて王都の天文台で教会が教える教義に疑いを持ち、追放されました」
私は、自分の過去を初めて彼女の真正面から告白した。
「教会は大地が世界の中心であり、全ての星が私たちのために回っていると教えています。しかし、私の観測結果は違いました。私たちの大地は中心ではなく、ただの一つの星として太陽の周りを回っているだけなのです」
聖女様は、ノートの複雑な図面をじっと見つめている。
表情は読めない。
「これは、神の教えに反する悪魔の証明です。見て見ぬふりをして頂いても構いません。ただ、私は……」
言葉が詰まった。
私は、何を求めているのだろう。
教会の象徴である彼女に、この異端の書を突きつけて、どうしてほしかったのか。
『ノエルが見てるお空は、いつも楽しそうだね』
いつかの彼女の言葉が蘇る。
そうだ。私はただ、この宇宙の仕組みがどれほど美しく、理にかなっていて、楽しいものなのかを一番大好きな人に知ってほしかっただけなのだ。
「……これが、私の見つけた世界の本当の形です」
私はノートから手を離し、静かに頭を下げた。
あとは、彼女の裁定を待つだけだ。
メイドとして解雇されるか、異端審問にかけられるか。
長い沈黙が、春の陽だまりの中に落ちていた。
10分後に最終話が投稿されます。




