第35話 聖夜祭の氷ツリー、六角形の雪と侵入者
私の仕事は、聖女様のナナメ後ろに立つことである。
右でも左でもなく、正面でもなく、ナナメ後ろ。
この位置には意味がある。
聖女様の視界には入らないが、聖女様がほんの少し首を傾ければ目が合う。
例えば、聖夜祭の準備で賑わう教会の庭に、場違いな足音を立てて潜り込んできた不審者を排除する時。
聖女様がその存在に気づいて怯える前に、速やかに無力化し、視界の端にも入れないよう処理する必要がある。
それが、ナナメ後ろに控えるメイドの害獣駆除である。
***
聖夜祭の夜、教会の庭には大きな氷のツリーが飾られていた。
枯れ木に水をかけ、凍らせて作った氷のオブジェだ。
周囲のキャンドルの光を反射して、キラキラと輝いている。
「わあ……雪が降ってきた!」
ツリーを見上げていた聖女様が、空に向かって両手を広げた。
ふわりと舞い降りた雪が、彼女の濃紺のケープの袖に落ちる。
「ノエル、見て。雪の形、お星様みたいにトゲトゲしてる」
「それは六角形です。雪の結晶は、水分子がくっつく時の性質上、必ず六角形をベースにした形になります。一番安定して、美しい構造だからです」
「ろっかくけい……。カミサマが一つ一つ切り抜いてるのかと思ってた」
非効率極まりない神の労働環境を憂慮する聖女様に、私は小さく息を吐いた。
「冷えますから、そろそろ礼拝堂の中へ戻りましょう。信徒の方々がお待ちです」
「うん!」
聖女様が軽やかな足取りで中へ入っていくのを見届けた後、私は扉を閉めず、庭の暗がりへ向き直った。
「さて。聖女様が下がられました。出てきてはいかがですか」
氷のツリーの裏側から、黒い外套を着た男が姿を現した。
足音の消し方からして、ただのコソ泥ではない。王都からの密偵だろう。
私の素性か、あるいは『観察ノート』の存在を探りに来たか。
「……優秀な番犬だな、星詠みの異端者殿」
「人違いです。私はただのメイドですから」
「とぼけても無駄だ。お前の身柄は──」
男が一歩踏み出した瞬間。
すてん、という滑稽な音と共に男の体が宙に浮き、背中から派手に石畳に叩きつけられた。
「ぐはっ……!?」
「足元にご注意ください。そこは数時間前から念入りに水を撒き、透明な氷の層を作っておきましたので」
男が痛みに呻きながら起き上がろうとした瞬間、私は手に持っていたランタンの覆いを外した。
強烈な光が、氷のツリーの「特定の枝」に当たる。
私が計算して角度を調整しておいた六角形の氷の結晶たちが、ランタンの光を一点に集中させ、鋭い反射光となって男の目を直撃した。
「あああっ!目が……!」
完全に視力を奪われ、滑る床で立ち上がることもできず這い蹲る密偵。
物理学の基本である摩擦係数の操作と、光の反射角の計算。
これだけで人間一人は無力化できる。
「何事だ!」
騒ぎを聞きつけて、礼拝堂から大人たちがぞろぞろと姿を現した。
先頭にヴェロアとオフィト、その後ろからレルート、そして一番奥からサージ司教がゆっくりと歩み出てくる。
「領主様、皆様。不審者です。教会の備品を盗もうとして転倒したようです」
「なに?こんな神聖な夜にコソ泥とは!」
ヴェロアがマントを翻して男の前に立った。
男は目を押さえながら叫んだ。
「ち、違う!俺は王都からの……!そこの女は危険な異端者だ!匿えばお前たちも──」
「うるさい!」
ヴェロアが一喝した。
その声には、普段のポンコツぶりからは想像もつかないほどの領主としての威厳があった。
「その者は、この偉大なるヴェロア様が認めた、教会のメイドだ!聖女殿のナナメ後ろに立つ大事な人間である!それをコソ泥ふぜいが異端者呼ばわりするなど、言語道断!」
「ええ、全くですな」
オフィトも冷ややかな目で男を見下ろしている。
その後ろで、レルートがやれやれと肩をすくめた。
「王都がどうであれ、ここは我々の街です。うちの優秀なメイドに手を出そうとするなら、相応の覚悟をして頂きますよ」
「なっ……お前ら、正気か……!サージ司教!あんたなら分かるだろう、こいつを教区に置いておけば──」
男がすがるように叫ぶと、恰幅の良いサージ司教は、底知れぬ圧を秘めた笑顔で首を横に振った。
「おや。私の目には滑って転んだ哀れな迷い子と、それを介抱しようとした心優しいメイドの姿しか映りませんね。王都の査察官殿には、『事故』の報告書を上げておきましょう。私が、直接ね」
サージ司教の言葉に、男の顔が完全に絶望に染まった。
彼らは、私がただのメイドではないことに薄々気づいているのだろう。
それでも、彼らは私を「うちのメイド」として庇ったのだ。王都の権威を前にしても、一歩も引かずに。
「オフィト、レルート!こやつを衛兵に突き出せ!今夜は冷える。地下牢の床もさぞ冷たかろうな!」
「承知いたしました、領主様」
「はいはい、立ちなさい。滑るから気をつけてね」
男が引きずられていくのを見送りながら、私は静かに頭を下げた。
「……お騒がせいたしました」
「ふん。お前はさっさと聖女殿のところへ戻れ。お茶の時間が遅れると、あの方はうるさいからな」
ヴェロアが鼻を鳴らし、大人たちが苦笑しながら礼拝堂へ戻っていった。
私は、彼らの背中を見つめながら、胸の奥に微かな温かさを感じていた。
***
夜。『観察ノート』を開く。
暖炉の前で並んで座り、それぞれにペンを持つ。
聖女様が、元気な文字で書き始める。
【聖夜祭の氷のツリー、キラキラしてて綺麗だった!空から降ってくる雪は、六角形なんだって。一番きれいで、強い形。ノエルがお外で泥棒さんを捕まえてくれたみたいで、ヴェロアちゃんが「うちのメイドはすごいぞ!」って自慢してた。ワタシもノエルがいてくれてすごく嬉しい!】
私はその横のページに、細いペン先で書き込んだ。
水分子の水素結合による六角形の結晶構造の図。
そして、その下に。
『六角形は、自然界において最も外部からの圧力に強く、崩れにくい安定した構造である。ハチの巣などにも見られるこの形は、個々の小さな力が結びつくことで、驚異的な防衛力を発揮する』
書き終えて、右下の隅に一行添える。
『王都からの干渉は、領主と司祭という物理的な防壁によって完全に遮断された。この教会の人々の結びつきは、六角形の結晶のようにおそろしく強固で、そして、温かい』
ペンを置く。
窓の外では、まだ六角形の雪が降り続いている。
この街に積もる雪は、私と聖女様をどんな外敵からも守ってくれるような気がした。
残り5話となります。




