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第33話 ふくら雀と毛布、断熱の聖女

 私の仕事は、聖女様のナナメ後ろに立つことである。


 右でも左でもなく、正面でもなく、ナナメ後ろ。

 この位置には意味がある。

 聖女様の視界には入らないが、聖女様がほんの少し首を傾ければ目が合う。


 例えば、本格的な冬将軍の到来により、教会の私室ですら凍えるような寒さになった日。

 執務机に向かおうとする聖女様を阻止し、ソファに座らせ、三枚の毛布を用いて完璧な断熱空間を作り上げる必要がある。

 公的な書類仕事よりも、聖女様の健康維持を最優先すること。

 それが、ナナメ後ろに控えるメイドの温度管理である。


 ***


「ノエル、あのね。ワタシも働かないとヴェロアちゃんに怒られると思うんだけど」


 聖女様が、毛布の山の中から申し訳なさそうに言った。

 現在の彼女は、ソファの上で完全に丸い球体と化している。


「本日の室温は執務に適していません。それに、領主様からの書類は急ぎではない確認事項のみでしたので、私が全て適切な回答を代筆しておきました。印だけ後で頂きます」

「ノエルの仕事が早すぎる……!」


 聖女様は毛布の中から顔だけを出して、私を感嘆の目で見上げた。


「ところでノエル。この毛布、すごくあったかいんだけど、なんか重いよ。ぐるぐる巻きだし」

「ふくら雀の原理です」

「ふくらすずめ?」

「はい。窓の外をご覧ください」


 私が窓の外を指差すと、雪をかぶった庭の木の枝に、丸々と太ったようなスズメが一羽止まっていた。


「わあ、スズメさんがまん丸になってる!いっぱいご飯食べたのかな?」

「いいえ。あれは太っているのではなく、羽の中に空気をたくさん取り込んで膨らんでいるのです。空気は非常に優れた断熱材です。羽の間に空気の層を作ることで、自分の体温が外に逃げるのを防ぎ、同時に外の冷たい空気が肌に触れるのを防いでいます」


 私は聖女様を包んでいる毛布の端を少しだけ整えた。


「聖女様には、肌着の上に起毛したウールの毛布、その上に空気を含む綿の毛布、一番外側に冷気を遮断する目の詰まった外套を重ねて巻いています。これにより、聖女様ご自身が発する熱を閉じ込め、最高効率の断熱空間──つまり『ふくら雀』状態を作り出しているのです」


 聖女様は感心したように「おおーっ」と声を上げた。


「じゃあワタシ、今は『断熱の聖女』だね!」

「……そのような称号は教会史に存在しませんが、状態としては適切です」

「ノエルも一緒にふくら雀になろうよ!ノエルだけメイド服で寒そう」

「神の言葉だと思って、とおっしゃるなら考えます」

「カミサマの言葉だと思って入って!」


 即答だった。

 私は小さくため息をつき、「それでは、失礼して」と、断熱球体の端に少しだけ潜り込んだ。

 確かに、空気を層にした毛布の中は、驚くほど暖かかった。


 ***


「ふんふんふーん」


 聖女様は暖かさに満足したのか、毛布の中でご機嫌に鼻歌を歌い始めた。

 その隣で、私は静かに思考の海に沈んでいた。


 これだけ完璧に断熱をしても、冬の寒さは教会の石壁を冷やし、私たちの体温を奪おうとする。

 なぜ、冬はここまで寒いのか。

 それは太陽の光が弱いからだ。

 では、なぜ太陽の光が弱くなるのか?


 天動説の考え方では、太陽が大地から遠ざかるからだ、と説明されることが多い。

 だが、私の観測データはそれを否定している。

 太陽の大きさ、見かけの視直径は、夏と冬でほとんど変わらない。つまり、太陽と大地の距離は年間を通して大きくは変化していないのだ。


 決定的な違いは、「角度」だ。


 夏至の頃、太陽は真南の高い位置から大地を照らしつける。光が真っ直ぐに当たるため、狭い面積に熱が集中し、大地は強く温められる。

 一方、冬至の近づく今の季節、太陽は低い位置から斜めに光を当てる。同じ光の量が広い面積に分散してしまうため、大地を温める力が弱くなるのだ。

 暖炉の火に正面から手をかざすのと、斜めからかざすのとの違いと同じように。


 なぜ、太陽の当たる角度が変わるのか。

 太陽が上下に動いていると考えるより、「大地の方がコマのように傾きながら、太陽の周りを回っている」と考えた方が、全てのつじつまが合う。


 大地の傾き。公転。光の入射角と熱エネルギーの分散。

 ノートに書き溜めたデータが、頭の中で一つの一貫した真理へと組み上がっていく。

 この宇宙の仕組みは、驚くほど美しく、そしてシンプルだ。


「ノエル、どうしたの?急に静かになって」

「……いえ。少し、宇宙の形について考えていました」

「うちゅうの形?丸いの?」

「太陽を中心に、星々が円を描いて回っている……美しい形です」


 聖女様は毛布の中から少しだけ手を出し、私の袖を引っ張った。


「ノエルが見てるお空は、いつも楽しそうだね」

「……はい。とても」


 私が真理を追求するのは、単なる知的好奇心だけではない。

 世界が理にかなった美しい法則で動いていることを知る瞬間が、純粋に楽しいからだ。


 ***


 夜。『観察ノート』を開く。

 暖炉の前で並んで座り、それぞれにペンを持つ。


 聖女様が、元気な文字で書き始める。


【お外のスズメさんがまん丸になってて可愛かった!ノエルが、空気のお布団を着てるんだよって教えてくれた。ワタシもノエルに毛布をいっぱい巻いてもらって『ふくら雀の聖女』になった!ノエルも一緒に毛布に入ったら、なんだか嬉しそうな顔をしてた。宇宙のお話をしてる時のノエルは、ちょっとだけ子供みたいだ!】


 私はその横のページに、細いペン先で書き込んだ。


 鳥類の羽毛による空気層の断熱効果の図解。

 そして、その下に。

 太陽光の入射角と地表面が受ける熱エネルギーの分散モデル。大地の傾きがもたらす四季の変化についての考察。


 書き終えて、右下の隅に一行添える。


『断熱による体温維持は極めて効果的であった。そして、大地の傾きと太陽光の入射角による四季の仮説は、理論的破綻を一切見せない。宇宙の美しさを理解することは、どんな分厚い毛布よりも、私の心を温めてくれる』


 ペンを置く。

 私室の暖炉の炎が、静かに燃えている。

 この小さな断熱空間の中で、私はもうすぐ世界の形を証明しようとしている。


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