表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/16

ep.04 星空


「それじゃあ、乾杯といきますか」

 敦が運ばれてきた生ビールを嬉しそうにみんなへ配る。


 大学近くの小さな商店街。

 いつから立っているのかも分からない「ようこそもみじ商店街へ」と書かれた古ぼけたのぼり旗が整然と並んでいる。

 昼間はいつも閑散としているのだが、今くらいの宵の口の時間帯になると、それなりに人通りを目にする。

 その一角の、これまたレトロな木造家屋のお好み焼き屋「さんちゃん」に俺たちはいた。


 絵梨花のコンクール用の絵が遂に完成したということで、お祝いに来ているのだ。


「それじゃあ、絵梨花の頑張りを讃えて……乾杯!」

 敦の綽々とした乾杯の音頭とともに、俺たちはグラスを突き合わせた。


「おつかれー」

 カチンカチンと、硝子の小気味良い音が響く。

 俺はそのままグラスの半分ほどのビールを体に流し込んだ。最近蒸し暑い日が続いていたから、格別に美味しく感じた。


「それにしても、随分早く仕上がったんじゃない」

 兼保がお通しの枝豆をかじりながら、絵梨花に話しかけた。

 今はゴールデンウィークも終わった五月の下旬である。

 提出の締め切りは七月とのことだったから、確かに絵梨花は相当前倒しで絵を仕上げたことになる。

 絵梨花も、枝豆を手に取りながら答える。


「ぎりぎりになって焦るとろくなものが仕上がらないからね。ゴールデンウィークのうちにたくさん進めたの」

「それなら提出しちゃう前に、見せてくれれば良かったのにさー」

 敦が、メニューとにらめっこしながら口をとがらせた。


「ごめん。焦っててつい急いで提出しちゃった。もし入選できたら、みんなで紫玉絵画展見に来てよ」

 絵梨花はそう言うと、敦に「私明太もちチーズね」と手を振った。


 言われてみれば俺も、四月に絵梨花のアトリエに行ってから一度も絵を見ていない。

 あの右下の空白に、どんな「今」が描かれているのかは、とても気になった。

 絵梨花の目に、俺たちとの”今”はどんな風に映っているのだろう。俺たちとの日々は、どれだけ楽しいのだろう。


 結局、あの日アトリエで聞いた絵梨花の「約束」のことは、敦にも兼保にも話せていなかった。

 俺はただただ一人途方もない無力感に襲われ、一週間ほど大学にも行かず色々と考えてみた。


 絵梨花と出会ってからの今までの日々はなんだったのか。俺はこれから三人とどう付き合っていけばいいのか。


 一週間ずっと考えた結果、俺は気付いた。

 絵梨花と敦と兼保、三人と一緒にいるとやっぱり落ち着く。絵梨花の気持ちがどこを向いていようと、俺はやっぱり絵梨花の笑顔が見たい。

 なら別に、今まで通りでいいんじゃないだろうか。絵梨花に気持ちを伝えてふられたわけでもなく、絵梨花に嫌われたわけでもない。

 今までどおり、この心地良い関係を何も考えずに続けていればいいんじゃないだろうか。


 それに絵梨花の約束だって、そんな大昔のこと上手くいくとも限らないし、絵梨花が気持ちを伝えたところで何も起きない可能性だってある。


 願わくば、絵梨花の恋が叶いませんように。その約束の人に拒絶されて、俺に振り向いてくれますように。


 このように都合よく考えて、なんとか立ち直ることができた。

 自分でも、嫌な性格をしているなと思った。


 もっと真っ直ぐな人間だったら、絵梨花に正々堂々と気持ちを伝えて、ダメだったら関係を断つくらいのことはしただろう。

 でも俺には、とてもそんな真似はできない。今の関係性を壊すことなんて出来ないし、絵梨花に嫌われることだって怖い。

 だから俺は、表面上は今までどおりに振る舞い、ただただ絵梨花が恋敗れることを願っているのだ。



 俺は最低な人間だろうか。

 大切な友人が、辛い想いをすることを願っている——



「それで、ノリは? どうすんの」

「ごめん、聞いてなかった。何が?」

 物思いに耽ってしまったせいで、会話から置いていかれたようだ。


「お好み焼だよ。何にすんの?」

 絵梨花が小首を傾げて俺の方を見ていた。

「ああ、注文か。それなら、豚玉で」

「えー、俺と一緒じゃんよ」

 兼保が煙草に火をつけながら不満げな声を出した。彼はなぜかいつも注文が被るのを嫌う。よくわからないが。


「どうせならみんなで違うの頼んで分けた方がお得だよな」と敦も加勢したので、「それなら」とメニューを指差し「トマトチーズってやつにしてみようかな」と言った。


「それ私も気になる! ちょうだいね」

 横に座る絵梨花が、俺の顔を見て口元だけで微笑んだ。その笑顔が俺の心を重くした。まるで心臓に鉛でも括りつけられているような気分だ。


 あのアトリエでの一件以来、なんとなく絵梨花に対して後ろめたい気持ちが消えない。

 でも、俺にはどうすることもできないんだ。

 絵梨花には、失敗してもらわないと、困る——


「コンクール……いや、紫玉絵画展の結果発表っていつなんだ?」

 敦がビールを飲み干し、絵梨花に尋ねた。


「多分、八月の中旬くらいだと思う。なんかね、ウェブサイトでも発表されるんだって」

「そうなのか。入選するといいよなぁ。楽しみだわ」

 そう言って、敦の表情が綻びる。目が線のようになり、とても優しく見えた。


「絵梨花ならきっと入選するでしょ」

 兼保も煙草をくわえながら笑顔になり、自分のことのように嬉しそうにしている。

 きっとこの二人は、絵梨花が入選することを心から願っている。絵梨花のことを本当に応援している。


「ノリだってそう思うだろ?」

「だって最後に絵を見たんだもんな」

 敦と兼保が俺に水を向けた。何も言うことができず、俺は黙ってしまう。

 当然、「絶対入選すると思うよ」と答えてしかるべきなのだろう。敦と兼保だって疑いなく俺がそう言うと思っているはずだ。

 だからか、黙りこくる俺を怪訝な顔つきで見つめていた。


 俺だって、ずっと頑張ってきた絵梨花を知っているから当然入選して欲しい。誰よりも今回のコンクールに絵梨花が真剣に臨んでいたことを知っている。

 でも、俺は本当に絵梨花に入選して欲しいのだろうか。


 あの絵が、入選してしまっていいのだろうか——

 入選したら、絵梨花は約束の人と再会できてしまう——


「ノリ、どうかした? 顔色悪いけど」

 気づくと、絵梨花が不安げな表情で俺を見つめていた。


「お前どうしたんだよ。急に黙っちまうから——」

 敦と兼保も、深刻な様子で俺の顔色を窺っていた。


「ああ——大丈夫、考え事してて」

「具合でも悪いの?」

「そういうわけじゃないんだ。けど、少し酔いがまわったみたいで」

「そうは言ってもまだビールしか飲んでないだろ……」

 敦が眉をひそめた。俺は酒に強く、普段からこれしきの量で酔ってしまうことはそうない。敦が違和感を持つのも無理はない。


「じゃあやっぱり体調悪いんじゃ……」

 絵梨花が消え入りそうな声で呟く。その表情は影が落ちたように暗い。

 こんな顔の絵梨花は滅多に見ることがない。本気で心配しているのだ。

 絵梨花だけではない。敦も兼保も優しいから、きっと本気で心配している。いつも一緒にいるから、少しの変化でもすぐに気がつくんだ。


 俺はそんなみんなの様子を目の当たりにして、段々と申し訳なくなってきた。なので無理にでも気持ちを切り替えようと思った。


「本当になんでもないんだ……ぼーっとしてただけ。それより、絵が完成して良かった。絵梨花、お疲れ様。乾杯!」

 そう言って、手元にあったビールのグラスを宙に掲げた。

 敦と兼保はそれにつられて、「うぇーい!」とグラスを突き合わせたが、絵梨花だけは猜疑心が消えないようで、じっと俺を見つめたままだった。


 俺は飲み会が終わるまで一度も「入選したらいいね」と絵梨花を応援することはできなかった。どうしてなのかは、自分でもよくわからない。

 ただ、嘘はつけなかった。


 自分がそれを願っていないのなら、たとえ絵梨花のためとはいえ——心にもないことは言えなかった。結局俺は、自分のことしか考えていなかったんだろう。


 二十三時を過ぎ、さんちゃんの閉店時間になったので宴会はおひらきになった。兼保は明日朝からバイトがあると早々に立ち去り、敦も反対方向なので一人で帰っていった。


 俺と絵梨花は、二人きりで夜道を歩いていた。

 この時間になると商店街の店はほとんど閉まって静まり返り、仕事帰りのサラリーマンくらいしか歩いていない。


 まばらな街灯の灯りが頼りなく歩く先を照らしていた。暗闇に浮かぶ「ようこそ」と書かれたのぼり旗は、なんだかしょんぼりして見えた。

 話すことも思い浮かばす、俺はしばらく夜空を見上げるふりをした。星なんて何一つとして見えず、ただ真っ黒な空があるだけだった。


 この暗黒の先に、星なんてあるのだろうか。

 なんだか信じられない。生まれてこのかた、一度も綺麗な星空なんて見たことがない。見たことがないものは信じられない。

 もしこの空の向こうに星の瞬きがあるとしても——俺に見えないのなら、ないのと同じだ。


「ねえノリ、今日は久々にみんなで飲めて楽しかったね」

 ぼーっとよしなしごとを考えていたら、絵梨花に話しかけられた。


「そうだねぇ。いつも一緒にいるけど、こうやってちゃんと四人で集まったのは久しぶりだったかもしれない」

「やっぱりみんながそろうと、楽しいなぁ」

 絵梨花は上機嫌で、スキップをするように軽やかに歩いていた。


「コンクールに出した絵、ノリにも絶対見てほしいな」

「俺に?」

「そうだよ。もし入選したら絶対見に来てよね」

 絵梨花ははじけるような笑顔だったが、どこまでが本当なんだろうと思った。そんなこと言って、心の中では——俺ではなく、あの人に見せたいんだろう。


 眩しかったはずの笑顔を、まっすぐに受け止められない自分。

 悲しいなと思った。


「私はね、大切なものしか絵に描かないって決めてるの」

 絵梨花は立ち止まり、急に真剣な表情になった。


「どうしたの、いきなり」

「ノリはわからないかもしれないけどね。絵を描くのって、すごく大変なんだよ。時間も労力も、途方もないくらい必要で」

「……うん」


「だったらさ、自分にとって大切なものしか描きたくないじゃん。でしょ?」

 絵梨花はうっすらと笑みを浮かべて、俺を見つめていた。


「言いたいことはなんとなくわかるけど……なんで急にそんなことを?」

 絵梨花は俺から視線を外すと、夜空でもない——どこか遠くを見上げた。


「きっといつかわかるよ」

 それだけつぶやき、走りだしてしまった。

「おい、俺をおいて行く気か」

 呼び止めると、絵梨花は振り返って「ふふふ」と無邪気に笑った。


「ノリ、また今度学校の課題の絵を描こうと思ってるの。だからまたアトリエに見に来てよ」

「仕方ない、わかったよ」

 俺はそう答えると、小走りで絵梨花を追いかけた。


 俺はきっと難しく考えすぎなだけなんだ。このゆるやかな日常は、きっとまだまだ続いていく。今はそれだけでいいんだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ