第6章 古びた倉庫
「……実は」
コヒナはしばらく黙っていた。
そして、アイズラの顔を見上げる。
「私……本当に、アイズラさんの徽章を持ってるの」
「……私の徽章を?」
アイズラの目が少しだけ見開かれた。
カイエンもすぐに反応する。
「どこにあります?」
「……あっち」
コヒナは通りの奥を指差した。
「少し遠いけど……倉庫に置いてある。案内するよ」
「本当ですか?」
アイズラの声が少し明るくなる。
コヒナは小さくうなずいた。
「うん。それと……さっきのこと、ごめんなさい。私、ちょっと気にしすぎるところがあって……」
「気にしなくていいよ」
ライキョウは笑った。
「少なくとも、まだ子供なんだし」
「……ライキョウ」
カイエンの声が飛んできた。
「ん?」
「……今のは、やめておいたほうがいいと思います」
「え?」
コヒナを見る。
彼女は頬を膨らませていた。
「……子供じゃないもん」
「あ」
ライキョウは少しだけ気まずそうに頭をかいた。
「ごめん。今のはちょっと失礼だった」
「……分かればいい」
コヒナはそう言って、先に歩き始めた。
カイエンもその後を追う。
「では、案内をお願いします」
「うん」
アイズラも二人の後ろを歩き出した。
ライキョウはその隣に並びながら、少しだけ苦笑する。
「……怒ってる?」
「たぶん、まだ少し」
アイズラはそう言って、ちらりとコヒナを見る。
「でも、すぐ仲直りすると思いますよ」
「それならよかった」
そんな会話をしながら、一行は街の奥へ進んでいった。
昼間まで人で賑わっていた通りも、少しずつ様子が変わっていく。
店先では商人たちが商品を片付けていた。
木箱を抱えた店員が何度も店と荷車の間を行き来している。
頭上では、壁に取り付けられた小さな魔石灯が一つ、また一つと淡い光を灯していた。
「へえ……」
ライキョウは思わず足を止める。
「日が暮れたら、こうやって明かりがつくのか」
「魔石を使っているんですよ」
アイズラが教えてくれた。
「便利ですよね」
「魔法って、やっぱり便利だな……」
ライキョウは灯りを見上げた。
その横を、二頭の馬が引く荷車が通り過ぎていく。
「危ないですよ」
カイエンがライキョウの肩を軽く引いた。
「おっと」
荷車が狭い道を曲がり、そのまま奥へ消えていく。
「また轢かれるところだった……」
「今回は自分から止まっていましたね」
「そこ褒めるところ?」
カイエンは答えなかった。
アイズラが小さく笑う。
そんなやり取りをしながら、三人はコヒナの後を追った。
しばらくすると、建物の雰囲気が変わってきた。
新しい石造りの建物が減り、古い木造の家が目立つようになる。
道も次第に細くなっていった。
壁には剥がれかけた看板が残っている。
閉じた店の前には、使い古された荷車が置かれていた。
どこかの家から、夕食を作っているような香りが漂ってくる。
だが、表通りとは違って、人の声はほとんど聞こえない。
壁にもたれて座っている者や、古びた服のまま道端にいる者もいた。
ライキョウは周囲を見回した。
さっきまでとは、まるで別の街のようだった。
「……ここ、本当に街の中なのか?」
誰に聞くでもなく呟く。
コヒナが振り返った。
「もうすぐだよ」
「そうなのか?」
「うん。こっち」
コヒナは迷うことなく細い路地へ入っていく。
その足取りには、何度もここを通ったような慣れがあった。
ライキョウはその後ろを歩きながら、ふと足を止めた。
――この道。
古い建物。
薄暗い路地。
どこかで見たような気がする。
胸の奥が、妙にざわついた。
「……」
頭の奥に、一瞬だけ何かが浮かぶ。
暗い場所。
赤い目。
そして――。
「ライキョウ?」
アイズラの声で、我に返る。
「……あ、ごめん」
「どうかしました?」
「いや……何でもない」
ライキョウは前を向いた。
「行こう」
アイズラは少しだけ心配そうに彼を見る。
だが、何も聞かなかった。
路地を抜けると、さらに古い建物が並ぶ一角に出た。
人の姿はほとんどない。
建物の間から見える空は、もう夕暮れの色に染まっていた。
コヒナはそのまま奥へ進む。
やがて、一行の前に大きな木造の建物が現れた。
周囲の建物よりもずっと大きい。
壁には長い年月を感じさせる傷があり、入口の横には古い荷車が一台置かれている。
扉もかなり年季が入っていた。
コヒナは慣れた様子で手を伸ばす。
ギィィ……。
扉がゆっくり開いた。
中から、古い木の匂いが流れてくる。
入口の近くには小さな道具や瓶が並べられていた。
その奥にはいくつもの棚。
さらにその向こうには木箱が積まれている。
壁際には古い家具や、用途の分からない道具まで置かれていた。
窓から差し込む夕方の光が、舞い上がった埃を照らしている。
「うわ……」
ライキョウは思わず声を漏らした。
「すごいな、ここ」
「何が?」
「いや、何に使うのか全然分からない物ばっかりだ」
「それは私も分からない」
コヒナが平然と答えた。
ライキョウはしばらく黙った。
「……じゃあ、なんで置いてあるの?」
「おじいちゃんのだから」
「なるほど」
何も解決していない。
その時だった。
「おや?」
奥から声が聞こえてきた。
「コヒナ、帰ってきたのかい?」
建物の奥で、何かを置く音がした。
続いて、ゆっくりと足音が近づいてくる。
現れたのは、一人の老人だった。
白い髪。
深い皺。
見た目だけなら、かなりの年齢に見える。
だが、その身体は不思議なほどしっかりしていた。
背筋も伸びている。
歩き方にも力がある。
ライキョウは思わず老人をじっと見た。
「……え?」
老人が首を傾げる。
「どうしたんだい?」
「いや……」
ライキョウは少し迷ってから口にした。
「すごくお年寄りに見えるのに、身体は普通に若い人みたいだなって」
一瞬の沈黙。
老人は大声で笑い始めた。
「ははははっ! 君、面白いことを言うねぇ!」
「え? そう?」
ライキョウは目を丸くした。
「俺、普通に聞いただけなんだけど……」
「ライキョウはいつもああいう感じです」
カイエンが淡々と言う。
「ちょっと待って。カイエン、それどういう意味?」
「そのままの意味です」
「またそれかよ!」
アイズラは口元を押さえながら笑っている。
老人はそんな三人を見て、さらに楽しそうに笑った。
「なるほど。今日はずいぶん賑やかだね」
コヒナが少し照れたように言う。
「……この人たちは友達」
「そうかい」
老人は嬉しそうに頷いた。
「なら、みんな中へお入り。外は冷えるからね」
「うん」
コヒナが先に中へ入る。
三人も続いた。
中に入って改めて見ると、そこは倉庫というより古い店のようだった。
木箱。
古い道具。
壊れかけた家具。
どれも長い時間を過ごしてきたように見える。
天井からは古いランプが吊るされていて、弱い明かりが部屋の奥まで伸びている。
棚の隙間からはさらに奥へ続く通路が見える。
アイズラが周囲を見渡した。
「これらは、何に使っているんですか?」
老人は一つの木箱を撫でながら答えた。
「売っているんだよ。欲しい人がいればね」
「これで生活を?」
「そう。大したものじゃないが、私にはこれで十分さ」
そう言って老人は笑った。
「それに、コヒナが友達を連れてきてくれたのも嬉しいしね」
「おじいちゃん……」
コヒナは顔を赤くして、少し俯いた。
「別に、そういうんじゃ……」
「はははっ!」
老人は楽しそうに笑った。
少しして、アイズラが本題を切り出した。
「すみません。聞きたいことがあります」
老人が振り向く。
「なんだい?」
「私の徽章を……見ませんでしたか?」
その言葉に、老人は少し考える。
「徽章……?」
「小さな物です。金で作られていて、王家の文字が刻まれています」
「ああ」
老人は何かを思い出したように頷いた。
「それなら覚えているよ」
カイエンが一歩前に出た。
「本当ですか?」
「うん。間違いない」
アイズラの表情が少し緩む。
だが、老人は続けた。
「ただね……君たちがもう少し早く来てくれていたら、渡せたんだが」
「……え?」
「もう、買い手がついている」
部屋の空気が少しだけ変わった。
ライキョウが眉を寄せる。
「誰が買ったんです?」
老人は答える前に、少しだけ笑った。
「ちょっと変わった客でね」
「変わった客?」
「そのうち来るよ」
「今から?」
「そうだね」
アイズラは静かに考えた。
そして、老人を見る。
「……その徽章、私に売っていただけませんか?」
老人が目を細めた。
「ほう?」
「少し高く払います」
カイエンが横から口を開く。
「アイズラ様……」
だが、アイズラは首を横に振った。
「この徽章は、私にとって大切なものなんです」
老人はしばらく彼女を見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
「そこまで必要なのかい?」
「はい」
迷いのない返事だった。
老人は困ったように笑う。
「……仕方ないねぇ」
そして、肩をすくめた。
「今回は、私がルールを破るとしよう」
「本当に……?」
「ああ。君に売ろう」
アイズラの表情が明るくなる。
「ありがとうございます!」
その横で、カイエンはコヒナの前にしゃがんだ。
「……助かりました。全部、あなたのおかげです」
「えっ……」
コヒナの顔が赤くなる。
「ち、違うよ。私は案内しただけだから……」
「それでもです」
コヒナは両手で顔を隠した。
「……もう、やめてよ」
ライキョウはその様子を見て、少し笑った。
――その時だった。
ギィ……。
背後の扉が、ゆっくりと開いた。
外から冷たい風が入り込み、吊るされたランプの炎が小さく揺れる。
全員が振り返る。
そこに立っていたのは、二人の人間だった。
黒いローブ。
顔を隠す仮面。
そして――額には、見たことのない奇妙な文字が刻まれている。
十字架にも見える。
だが、ライキョウには、それが何を意味するのか分からなかった。
二人のうち一人が、低い声で言った。
「俺たちの品は?」
老人は困ったように笑う。
「すまないね。こちらの方が高く買うと言うもので」
もう一人がアイズラを見る。
「……他に方法はありませんか?」
「交渉ならできます。値段も合わせます」
老人は首を横に振った。
「悪いが、今回は誰にも売るつもりはないよ」
短い沈黙。
外では、遠くで荷車の音が響いていた。
だが、この部屋だけは静まり返っている。
黒いローブの男が小さく息を吐く。
「……なら、力ずくってことか?」
もう一人が答えた。
「早く済ませよう。聖主を待たせるな」
「分かった。すぐに片付ける」
その瞬間、カイエンの表情が変わった。
一歩前へ出る。
アイズラの前に立った。
「アイズラ様。私の後ろから離れないでください」
ライキョウも、二人を見つめる。
さっきまでの穏やかな空気は、もうどこにもなかった。
ただ一つ。
ライキョウには、彼らの額に刻まれた文字だけが妙に気になっていた。
――あの文字は、一体何なんだ?
そして。
――なぜ、彼らはそこまでして一つの徽章を欲しがるのか。
その答えを知る者は、まだこの場にはいなかった。




