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第二章 異世界で初めての食事


 異世界に来てから、まだそれほど時間は経っていない。


 それなのに、ライキョウの頭の中には、ある一つの問題がずっと残っていた。


 ――腹が減った。


「……腹減ったな」


 思わず口からこぼれる。


 考えてみれば、朝からろくに何も食べていない。


 仕事で疲れたまま異世界に来て、魔法を見つけて、馬車に轢かれそうになって……。


 色々ありすぎて、食事のことを考える余裕すらなかった。


「とりあえず、飯を探そう」


 英雄になるのは、そのあとでいい。


 ライキョウは街を歩き始めた。


 さっきまでいた場所とは違い、昼間の街には多くの人が行き交っていた。


 店の前では店員が客を呼び込み、荷物を運ぶ人が通りを歩き、子供たちが笑いながら走り回っている。


 その中には、見慣れない種族らしき人たちの姿もあった。


 それでも、街の人々にとっては、それが当たり前なのだろう。


 ライキョウだけが、何もかも珍しくて仕方がなかった。


「……本当に異世界なんだな」


 そう呟いたところで、いい匂いが鼻をくすぐった。


 ライキョウは匂いのする方へ顔を向ける。


 そこにはパンを並べた店があった。


「パン……!」


 空腹のライキョウにとって、それはまるで宝物だった。


 急いで店へ向かい、並べられているパンを見る。


「これ、一ついくらですか?」


 店主に尋ねる。


「一つ、魔石一個だ」


「…………」


 ライキョウの動きが止まった。


「……今、なんて?」


「魔石一個だ」


「一個?」


「ああ」


 ライキョウは自分のポケットを探った。


 入っているのは、現代世界から持ってきた数枚の硬貨だけ。


 それを取り出して、手のひらに並べる。


「……これじゃ、ダメですか?」


「それだと……リンゴなら何個か買えるな」


「えっ、リンゴ?」


「ああ」


 ライキョウは驚いた。


「パンよりリンゴの方が安いんですか?」


「魔石は価値が高いからな。少しの魔石でも、色々な物が買える。硬貨も使えないわけじゃないが、買える物は少ないぞ」


「なるほど……」


 ライキョウは硬貨を見つめた。


 どうやら、この世界では自分の持っている金は、ほとんど役に立たないらしい。


「……じゃあ、リンゴください」


「何個だ?」


「買えるだけ」


 店主は少しだけ苦笑した。


 そして、いくつかのリンゴを袋に入れて渡してくれた。


 ライキョウは袋を受け取る。


「……少なっ」


「文句を言うな。値段を決めたのは俺じゃないぞ」


「いや、そういう意味じゃなくて……」


 ライキョウは苦笑しながら店を出た。


 通りを歩きながら、袋の中のリンゴを見る。


「この世界に来て、まだ一枚もこっちの金を稼いでないのに……」


 自分の状況を考える。


 魔法は使えない。


 文字も読めない。


 金もない。


 そして腹が減っている。


「……不運すぎないか、俺」


 それでも、文句を言っていても仕方がない。


 ライキョウはリンゴを一つ取り出して、かじった。


「……うまい」


 思ったより普通に美味しかった。


 歩きながらリンゴを食べていると、街のあちこちから様々な光景が目に入ってくる。


 ある女性が手のひらから小さな炎を出している。


 その隣では、男性が重そうな樽を魔法で浮かせて運んでいた。


 子供たちは見たこともない小さな動物を追いかけている。


「……やっぱり魔法、普通に使ってるんだな」


 改めて思う。


 自分も、あんなことができるのだろうか。


 子供の頃に夢見ていた、光り輝く魔法。


 もしかしたら、この世界なら――。


「……いや、俺も魔法を使えるようになれば……」


 そんなことを考えながら歩いていると、ライキョウの目に一軒の店が入った。


 本が並んでいる。


 そして店の看板には、魔法に関係する文字が書かれていた。


「魔法の本……?」


 ライキョウの目が輝く。


「もしかして、これを読めば魔法が使えるようになるかも!」


 期待を胸に、店へ入った。


 店内には大量の本が並んでいた。


 ライキョウはその中から一冊を手に取る。


 ページを開く。


「…………」


 数秒後。


「…………」


 さらに数秒後。


「……何これ?」


 文字は見える。


 だが、意味がまったく分からない。


「この文字、読者に読ませる気あるのか? なんで一文字も分からないんだよ……」


 しばらく粘ってみたものの、頭が痛くなってきた。


「……無理だ」


 本を元の場所へ戻す。


 ライキョウは肩を落とし、そのまま店を出た。


「……やっぱり、俺……魔法使えないのかな」


 街を歩きながら、ぼんやりと空を見上げる。


 子供の頃は、本気で魔法を使ってみたいと思っていた。


 けれど、大人になるにつれて、その夢について考えることはなくなっていた。


 異世界に来たことで、その夢がもう一度蘇った。


 だからこそ、少しだけ残念だった。


「……まあ、まだ分からないけどな」


 そう言った、その時だった。


 ――ドンッ!


「ん?」


 近くの路地裏から、大きな音が聞こえた。


 ライキョウは足を止める。


 暗い路地の方を見る。


「……何だ?」


 少し迷った。


 だが、すぐに視線を前へ戻した。


「……まあ、俺には関係ないか」


 一歩、歩く。


 ――ドンッ!


「……」


 もう一度、音が聞こえた。


 ライキョウは立ち止まる。


「…………」


 数秒考えたあと、ため息をついた。


「……やっぱり気になるな」


 ライキョウは路地裏へ戻った。


 中へ入ると、三人の男が一人の少女を取り囲んでいた。


「おい!」


 三人が振り向く。


「何だ、ガキがまた来たのか?」


「今日はついてるな。もう一人増えたぞ」


 男たちが笑う。


 ライキョウは拳を握った。


「お前ら、何してるんだ!」


 少女を助ける。


 こういう時こそ、自分が夢見ていた英雄の出番だ。


 ライキョウの頭の中では、すでに戦いが始まっていた。


 華麗に敵の攻撃をかわし、一人を吹き飛ばす。


 二人目も一撃。


 三人目には必殺技を叩き込む。


 そして最後に――。


「……俺、今なら英雄になれる!」


「何言ってんだ、こいつ」


「知らねえよ」


「とりあえず、やっちまえ」


「え?」


 次の瞬間。


「ちょ、待――」


 ライキョウは三人に囲まれた。


「痛っ!」


「ちょっと待って! 俺、今すごく格好いいこと言ったよな!?」


「知らねえよ!」


 現実は、ライキョウが想像していたものとはまったく違った。


 あっという間に追い詰められ、地面に倒れ込む。


「……くそ……」


 何もできない。


 魔法も使えない。


 戦う力もない。


 それでも、少女を放っておくことはできなかった。


 その時だった。


「――そんなことをするのは、少し無礼なんじゃないかな?」


 静かな声が響いた。


 三人の男たちが、一斉に振り向く。


「……え?」


 そこに立っていたのは、黒い髪の青年だった。


 見覚えのある顔。


「……あ」


 ライキョウも気づいた。


「また、あんたか!」


 青年――キョウレンは、軽く笑った。


「やあ。また会ったね」


 三人の男たちは、キョウレンの姿を見た瞬間、顔色を変えた。


「……聖騎士キョウレン!」


「まずい!」


「逃げるぞ!」


 三人は慌てて路地裏から逃げていった。


 キョウレンはそれを見送ると、倒れているライキョウへ近づいた。


「……ん?」


 そして、少し首を傾げる。


「どこかで見たことがあるような……」


「いや、昨日会っただろ!」


「そうだったっけ?」


「俺を馬車から助けてくれた人だよ!」


「ああ」


 キョウレンは少し考えた。


「……最近、物忘れがひどくてね」


「絶対嘘だろ!」


 ライキョウが叫ぶ。


 キョウレンは笑った。


「それにしても、君はまた面白いことをしているね」


「面白いこと?」


「いや、三人相手に突っ込んでいくところ。格好よかったよ」


「……馬鹿にしてる?」


「少しだけ」


「やっぱり!」


 ライキョウは頭を抱えた。


 すると、先ほどの少女がこちらへ近づいてきた。


「大丈夫ですか?」


「……え?」


 ライキョウは顔を上げた。


 少女の顔を見た瞬間、言葉が止まる。


「…………」


 綺麗だった。


 あまりにも綺麗で、ライキョウは一瞬何も考えられなくなった。


「……天使?」


「ライキョウ?」


「……」


「ライキョウ?」


「……あ、はい!」


 キョウレンに何度か呼ばれて、ようやく我に返る。


「ご、ごめん!」


「大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫……」


 少女が心配そうにこちらを見る。


 その時、キョウレンの表情が変わった。


「……あ」


 そして、驚いたように少女を見る。


「これは……」


 先ほどまでの軽い態度とは違い、キョウレンは姿勢を正した。


「まさか、あなたでしたか。これは失礼いたしました」


「……?」


 ライキョウは首を傾げる。


「……誰?」


 キョウレンはライキョウを見る。


「君は、そのうち分かるよ」


「いや、今教えてくれよ」


「それより、君が彼女を助けようとしたことは分かっているから」


「……え?」


「だから、そういう意味で理解しておくよ」


「どういう意味!?」


 ライキョウが慌てて聞き返す。


 キョウレンは一瞬黙ったあと、咳払いをした。


「……そういえば、王宮でまだ終わっていない仕事があったな」


「今思い出したの!?」


「うん。急いだ方がよさそうだ」


「いや、ちょっと待って――」


 キョウレンは背を向けた。


「二人とも、ゆっくり話していくといいよ」


「いやいやいや!」


 ライキョウの声を聞きながら、キョウレンはそのまま路地裏を出ていった。


「…………」


 残されたライキョウは、少女を見る。


 少女もライキョウを見る。


「……えっと」


 ライキョウは困ったように頭をかいた。


「……俺、何から聞けばいいんだ?」


 異世界に来てから、まだ一日も経っていない。


 なのに、もう分からないことだらけだった。


 魔法。


 魔石。


 この世界のお金。


 読めない文字。


 そして――


 目の前にいる、この少女。


 ライキョウの異世界生活は、まだ始まったばかりだった。

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