↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/17

第一章――奇妙な扉


今日は、本当に最悪な一日だった。


ライキョウは、疲れ切った顔で会社を出た。


今日は上司にちょっとしたミスを叱られ、そのうえ残業までさせられた。


「……疲れた」


歩きながら、ライキョウは肩を揉んだ。


今の彼が望んでいることは、ただ一つ。


家に帰って、ベッドに倒れ込み、ぐっすり眠ることだった。


明日も仕事がある。


そう考えるだけで、さらに疲れてくる。


今日の帰り道は、いつもより静かだった。


道沿いの建物の明かりが、一つ、また一つと消えていく。


店も次々と閉まり始めていた。


夜風が吹き始め、ライキョウは少しだけ襟を引き上げた。


いつもの路地に入る。


何も変わったところはない。


見慣れた道。


見慣れた壁。


そして、何度も帰ってきた自分の家。


ようやく、家の前に着いた。


「やっと着いた……」


ライキョウは鍵を取り出した。


カチャカチャ。


扉が開く。


ライキョウは中へ入った。


一歩。


二歩。


……


そして、立ち止まった。


「……え?」


ライキョウはゆっくりと振り返った。


後ろには、いつもと変わらない自分の家の扉がある。


だが、その先に広がっていたのは――


自分の部屋ではなかった。


ライキョウはしばらく動かなかった。


目の前には、広い街並みが広がっている。


見たことのない建物。


道を行き交う人々。


道端に並ぶ小さな露店。


そして――


空を飛んでいる一匹の猫。


ライキョウは空を見上げた。


猫が飛んでいく。


猫もライキョウを見る。


数秒間、二人は見つめ合った。


「……うちの猫?」


猫は一声鳴くと、そのまま飛んでいった。


「違うな」


ライキョウは後ろを振り返った。


そして、もう一度家を見た。


「……待て」


外へ出る。


左を見る。


右を見る。


見慣れた路地は、どこにもなかった。


「ここ……どこだ?」


近くの露店の店主が、ライキョウの声を聞いてこちらを見る。


「旅行者か?」


「たぶんそうだろ」


別の男がそう言って、ライキョウを少し見ただけで友人との話に戻った。


近くで遊んでいた子供も、足を止めてライキョウを見る。


「お母さん、あのお兄ちゃん変な服着てるよ」


「こら、人をじろじろ見ちゃだめよ」


母親が子供の手を引いていく。


ライキョウは道の真ん中に立ったまま、周囲を見回した。


店で買い物をする人。


道端で話をする人。


何事もなかったように歩いていく人。


誰も、この状況をおかしいとは思っていないらしい。


「……いや、なんで誰も驚かないんだ?」


ライキョウはもう一度周囲を見た。


空を飛ぶ猫。


見慣れない服装。


見慣れない街。


そして――


ふと、一つの考えが頭に浮かんだ。


「まさか……」


ライキョウは空を飛んでいった猫を見る。


「俺……異世界転移したのか?」


しばらく黙る。


そして、少しずつ目を輝かせた。


もし本当に別の世界なら。


もしここが、子供の頃に映画や物語で見ていたような世界なら――


「魔法……」


ライキョウは小さく呟いた。


子供の頃、彼が好きだったもの。


光るもの。


呪文。


不思議な力。


あの頃のライキョウは、そんなものを自分も使えたら、きっとすごくカッコいいと思っていた。


けれど、大人になってからは、そんなことを考える時間もなくなった。


仕事。


生活。


毎日の忙しさ。


いつの間にか、あの頃の夢は心の隅へ追いやられていた。


だが、今は違う。


目の前に、本当に異世界がある。


ライキョウはゆっくりと手を前へ伸ばした。


「……よし」


一度、深呼吸する。


周囲の何人かが、何をするのかとライキョウを見る。


「出てこい!」


ライキョウは大声で叫んだ。


「我が炎よ――!」


……


何も起こらない。


風が吹いた。


店主がライキョウを見る。


子供も見る。


老人も見る。


ライキョウは、そのまま数秒間ポーズを保った。


そして、ゆっくりと手を下ろす。


「……何も起きない」


通りすがりの男が、ライキョウを見て首を振った。


「また変なのがいるな」


「そうだな」


二人はそれだけ言うと、そのまま歩いていった。


ライキョウは俯いた。


「……俺、魔法使えないのか?」


少しだけ落ち込む。


せめて……


火の玉くらい出てもいいじゃないか。


その時だった。


「どけぇぇぇ!」


突然、叫び声が響いた。


ライキョウが顔を上げる。


目の前から、一台の馬車が猛スピードで走ってくる。


「……え?」


あまりにも突然だった。


ライキョウが動くよりも早く――


黒い影が目の前を横切った。


ヒュッ!


身体を強く引っ張られる。


ドンッ!


次の瞬間、馬車が目の前を通り過ぎていった。


ライキョウは地面に倒れていた。


「……」


数秒間、動かなかった。


「……腰が痛い」


目の前から、手が差し出された。


「大丈夫ですか?」


ライキョウが顔を上げる。


そこに立っていたのは、一人の若い騎士だった。


黒い髪。


茶色と紫が混ざったような瞳。


騎士の装備を身につけ、腰には一本の剣を下げている。


その立ち姿と雰囲気から、普通の人間ではないことがすぐに分かった。


騎士はライキョウの手を取り、立ち上がらせる。


「お礼は必要ありませんよ」


穏やかで礼儀正しい声だった。


「次からは、もう少し周囲に気をつけてください」


ライキョウは服についた埃を払った。


「あ……ありがとう」


騎士は微笑んだ。


「どういたしまして」


そして、立ち去ろうとする。


しかし、数歩進んだところで足を止めた。


「ああ、そうだ」


騎士が振り返る。


「私の名前はキョウレンです」


「また、どこかで会うかもしれませんね」


そう言って、キョウレンはその場を去っていった。


ライキョウは、その背中を見送った。


「……本物の騎士だ」


自分の手を見る。


そして、もう一度街を見る。


知らない世界。


空を飛ぶ猫。


見慣れない人々。


剣を持った騎士。


そして――


もしかしたら、本当に魔法が存在する世界。


ライキョウがもう少し考えようとした、その時。


グゥゥ……


腹から音が鳴った。


ライキョウは自分のお腹を見下ろした。


「……あ」


お腹を押さえる。


「そういえば……」


「まず、何か食べないとな」


ライキョウは露店の並ぶ通りへ歩き出した。


「英雄になるのは……」


少し考える。


「後でいいか」


「腹減った……」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。