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第15章 兄の帰還


翌朝。


薄い朝日がカーテンの隙間から差し込み、床を照らしていた。


ライキョウはゆっくりと目を開けた。


しばらく天井を見つめ、それから自分がどこにいるのかを思い出す。


「ああ……」


ライキョウは身体を起こし、部屋の中を見回した。


まだ慣れない部屋だった。


それでも、少なくともここは、自分が眠る場所と呼べる場所だった。


ライキョウはベッドに手をつき、軽く押してみる。


そして、思わず笑った。


「本当に運がよかったな、俺」


もしアイズラのような優しい人に出会っていなければ、今日も寝る場所すらなかったかもしれない。


そう考えながら、ライキョウはもう一度ベッドに身体を預けた。


「……それにしても、ここのベッド、本当に柔らかいな」


数秒ほどそのまま横になったあと、ライキョウはようやくベッドから離れた。


服を整え、髪を軽く直してから、部屋の扉を開ける。


廊下は昨日よりも静かだった。


足音だけが、静かな廊下に小さく響く。


ライキョウはゆっくりと階段を下りていった。


一階へ降りると、すぐにアイズラの姿が目に入った。


彼女は椅子に座り、その隣にいる猫を優しく撫でている。


その近くにはミユラも立っていた。


その光景を見たライキョウは、自然と歩く速度を少し落とした。


アイズラが顔を上げる。


「ライキョウ」


彼女はライキョウの姿を一度見てから、微笑んだ。


「今日はずいぶん楽そうな顔をしているわね」


ライキョウは自信満々に笑った。


「だから言っただろ。俺は身体だけは健康なんだ」


そう言って、自分の胸を軽く叩く。


「泊めてもらって、本当にありがとな」


「気にしなくていいわ」


アイズラはそう言って、再び猫を撫でる。


「あなたが気に入ったなら、それでいいのよ」


ライキョウは頷いた。


だが、すぐに何かが足りないことに気づく。


視線を部屋の中へ向ける。


「……あれ?」


ライキョウは周囲を見回した。


「そういえば、カイエンは?」


ミユラが答える。


「カイエン様は手紙を受け取られたようです。少し用事があると言って、外へ出られました」


「手紙?」


ライキョウはその言葉を繰り返した。


そして、大きな扉へ目を向ける。


カイエンが何の説明もなく、一人で出ていく。


ライキョウの知っているカイエンは、そんなことをするような人間ではなかった。


胸の奥に、わずかな違和感が生まれる。


ライキョウはすぐには何も言わなかった。


やがて、服の袖を軽く引っ張る。


「分かった」


ライキョウはアイズラを見る。


「二人はここにいてくれ。俺、あいつを探してくる」


アイズラはライキョウを見つめ、少しだけ間を置いてから頷いた。


「分かったわ。でも、気をつけてね」


「分かってる!」


ライキョウは振り返り、歩き出した。


大きな扉が開く。


外から朝の光が差し込んできた。


ライキョウはそのまま屋敷の門を抜けていった。


---


しばらく歩いたところで、ライキョウは立ち止まった。


目の前には、いくつかの道が分かれている。


左を見る。


右を見る。


「……待て」


ライキョウは頭を掻いた。


カイエンがどちらへ向かったのか、まったく分からない。


「まあ……適当に行くか」


そう言って、ライキョウは一つの道を選んだ。


しばらく歩いていると、少しずつ人の声が聞こえてくるようになった。


話し声。


足音。


その先に、広い空き地が見えてきた。


そこには大勢の人が集まっている。


ライキョウは歩く速度を落とした。


「何だ、これ?」


好奇心に引かれるように、人だかりへ近づいていく。


外側にいた人々の間を抜け、ライキョウは中へ入った。


近づくにつれて、周囲の会話がはっきり聞こえてくる。


「どうやら、ムハイが遠征から戻ってきたらしいぞ」


「本当か?」


「ああ」


ライキョウの足が止まった。


「ムハイ……?」


誰なのかも分からないまま、ライキョウはさらに前へ進んだ。


すると、人だかりの中央にぽっかりと空いた場所が見えた。


そこに、一人の男が立っていた。


その手には、大きな鎌が握られている。


そして、その男と向かい合っている人物を見た瞬間――


ライキョウは言葉を失った。


「……カイエン?」


カイエンは立っていた。


だが、いつものような安定した立ち姿ではない。


呼吸は荒く、身体には戦いの跡が残っている。


それでも、手にはまだ自分の元素剣を握っていた。


ライキョウはカイエンから目の前の男へ視線を移す。


何が起こったのか、まだ理解できない。


だが、これだけは分かった。


状況は明らかにおかしい。


ムハイはカイエンを見る。


その声には、ほとんど感情がなかった。


「俺の可愛い弟よ」


ムハイは手にした鎌を軽く持ち上げる。


「実は、俺はお前のことを少しだけ羨ましく思っているんだ」


カイエンは答えない。


ムハイは笑った。


「何もできない役立たずのくせに、祖父が残した名声と財産を享受できるんだからな」


ムハイはカイエンをまっすぐ見つめる。


「俺がお前だったら、とっくにこの世界で生きていく顔なんてなくしているよ」


カイエンの手が剣の柄を強く握り締める。


ライキョウのことも、周囲の人々のことも見ない。


ただ、ムハイだけを見ている。


短い沈黙。


そして――


カイエンが踏み込んだ。


元素剣が横薙ぎに振られる。


ムハイは身体をわずかに傾けた。


攻撃が空を切る。


次の瞬間、ムハイの鎌が動いた。


カイエンの身体が大きく弾き飛ばされる。


地面を数歩滑り、ようやく止まった。


「カイエン!」


ライキョウが反射的に一歩前へ出る。


だが、カイエンは地面に剣を突き立てた。


荒い息を吐きながら、それでも立ち上がる。


ムハイはその姿を見て、ただ小さく笑った。


カイエンは何も言わない。


再び踏み込む。


一撃。


そして、もう一撃。


連続して放たれる剣撃が空き地を駆け抜ける。


だが、ムハイはその攻撃を避け、あるいは受け流していく。


二人の距離は、ほとんど変わらない。


ライキョウは人だかりの中から、その戦いを見つめていた。


見ているうちに、奇妙な感覚が強くなっていく。


カイエンは全力で戦っている。


それなのに――


ムハイは、まだ余裕がある。


カイエンが後ろへ下がる。


足元がわずかに揺らぐ。


彼は手にした剣を見る。


駄目だ。


こんな格好悪い負け方はできない。


カイエンは息を吸い、再び前へ出た。


今度は、残った力をすべて一撃に込める。


ムハイが鎌を構える。


激しい衝突音が響いた。


カイエンの身体が再び弾き飛ばされる。


地面へ倒れ込む。


ライキョウの手が強く握られた。


「もう……やめろよ」


だが、カイエンはまだ動こうとしていた。


地面に手をつく。


立ち上がろうとする。


一度。


そして、もう一度。


周囲の人々から、少しずつ声が消えていく。


空き地に残ったのは、カイエンの荒い呼吸だけだった。


ムハイはそんなカイエンを見下ろす。


「まだ分からないのか?」


カイエンは答えない。


「まだ神魂すら持っていない二人を相手にするだけでも、そんなに苦戦するのか?」


カイエンの指が地面を掴む。


ムハイは鎌を下ろした。


「もう遊びは終わりだ」


次の一撃。


カイエンは、もう立ち上がることができなかった。


地面に横たわる。


手から元素剣が滑り落ちた。


ムハイがゆっくりと近づく。


カイエンは身体を動かそうとする。


だが、動かない。


その目から、初めて抵抗の色が薄れていった。


残っていたのは、どうすることもできない無力感だった。


ムハイが足を止める。


「俺の我慢もそろそろ限界だ」


彼はカイエンを見下ろした。


「お前が何を証明したいのかは知らない」


ムハイは笑う。


「だが、一つだけ本当のことを言ってやる」


鎌を収める。


「お前が一生努力したところで、俺の半分の力にすら届かない」


それだけ言うと、ムハイは背を向けた。


そのまま歩き出す。


振り返ることもない。


ライキョウはすぐに人だかりを抜けた。


「カイエン!」


カイエンのそばまで走り、しゃがみ込む。


「おい、聞こえるか?」


返事はない。


ライキョウは改めてカイエンの状態を見る。


そして、言葉を失った。


思っていた以上にひどい。


ライキョウの表情から、さっきまでの戸惑いが消える。


代わりに、怒りが浮かんだ。


「お前、自分が何をしてるのか分かってるのかよ!」


カイエンがわずかに動く。


ライキョウは手を伸ばした。


「こんな状態になるまで、どうしてさっき止まらなかったんだよ!」


カイエンは差し出された手を見る。


しばらく何も言わない。


そして、自分の力だけで地面に手をついた。


ライキョウが支えようとするより先に、カイエンは立ち上がった。


その姿は、いつもよりずっと遅かった。


ライキョウはすぐ隣に立つ。


「カイエン……」


カイエンはライキョウを見なかった。


「俺は、誰かに同情してもらう必要なんてない」


そう言って、歩き出す。


「待て!」


ライキョウが追いかけようとした。


その肩に、誰かの手が置かれる。


ライキョウが振り返る。


そこに立っていたのは、クロザネ・ライガだった。


ライキョウはライガを見たあと、遠ざかっていくカイエンへ視線を戻す。


「でも、今のあいつの状態は……」


ライガはすぐには答えなかった。


ただ、遠ざかっていくカイエンの背中を見つめている。


「今は、そっとしておけ」


ライキョウは納得できない。


「でも……」


「おそらく、あいつ自身が自分で何をすべきなのかを考える時間が必要なんだ」


ライキョウは黙った。


視線を自分の手へ落とす。


さっきまで、カイエンを支えようとしていた手だった。


だが――


結局、自分には何もできなかった。


その事実だけが、妙に重く残っていた。

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