第11章 屋敷の客人
部屋は、なおも静寂に包まれていた。
先ほどまで存在していた凄まじい圧力は、すでに消えている。
二人の黒衣の男たちも、そこにはもういなかった。
足音もない。
扉が開いた気配もない。
まるで、彼らがそこにいたことを示す痕跡さえ残っていなかった。
しばらくして、部屋の中央に置かれた椅子から声が響いた。
「これで静かになったな」
少しの間。
「他に、何か報告したいことはあるか?」
近くに立っていた影の一つが頭を下げる。
「聖主様……先ほどの行動によって、大きな騒ぎが起きております」
その声が一度途切れた。
「これほどの騒ぎとなれば……おそらく、聖騎士はすでに出発したかと」
「もう出発したのか?」
その声に、驚いた様子はなかった。
「なら、少し挨拶をしてこい」
影たちは黙っている。
「全員で行け」
声は相変わらず落ち着いていた。
「今度の行動では、絶対に失敗するな」
一拍。
「我々は、あの方とも深く協力しているからな」
「それから……」
……
誰も何も言わない。
そして――
「クォ……クォ……」
十一の影が、一斉に動きを止めた。
もともと静かだった部屋が、さらに奇妙な静けさに包まれる。
誰も口を開こうとはしなかった。
やがて、すべての影が一人ずつ消えていく。
部屋には再び静寂だけが残った。
しばらくして、扉が開く。
別の人物が部屋へ入り、深く頭を下げた。
「聖主様がお呼びでしょうか?」
椅子から声が返ってくる。
「お前は、あいつらに少し挨拶をしてこい」
ほんの短い沈黙。
「奴らにどんな特別なものがあるのか、見てみたい」
「はい、聖主様」
……
---
空気は、まったく違っていた。
ライキョウはアイズラの後ろを歩いていた。
だが、その視線はほとんど一か所に留まっていない。
左を見る。
そして、また右を見る。
高い壁。
いくつもの廊下。
一定の間隔で並ぶ扉。
その向こうに何があるのか、気になって仕方がない。
ライキョウは、いつの間にか少し歩く速度を落としていた。
隣を歩いていたカイエンが、それに気づいて横目で見る。
「まるで、こんなものを一度も見たことがないみたいな顔をするな」
ライキョウは振り返った。
「そんなこと言って、俺の楽しみを奪わないでくれよ!」
カイエンは何事もなかったように歩き続ける。
「俺は事実を言っているだけだ」
前を歩いていたアイズラが、小さく笑った。
「二人って、本当に仲がいいのね」
カイエンがすぐに振り返る。
「誰がこんな奴と!」
ライキョウの足がぴたりと止まった。
胸を押さえ、まるで致命傷でも受けたかのような顔をする。
「お前……そんなこと言ったら、俺、本当に傷つくぞ」
「知るか」
ライキョウは数秒黙った。
「……冷たい奴だな」
アイズラがまた笑う。
三人は再び歩き始めた。
進めば進むほど、ライキョウには自分がどこにいるのか分からなくなっていった。
目の前の通路が別の方向へ曲がる。
その角を曲がれば、また別の廊下が現れる。
窓から差し込む光が、床の上に細長い模様を作っていた。
ライキョウは、ふと後ろを振り返る。
さっきまで歩いてきた道は、もう視界から消えていた。
「……」
ライキョウが瞬きをする。
カイエンはその様子に気づいていた。
だが、何も言わなかった。
やがて、目の前に大きな門が現れる。
門がゆっくりと開いていく。
その両脇に立っていた二人が頭を下げた。
「お帰りなさいませ、アイズラ様」
アイズラは少し手を上げる。
「そんなにかしこまらなくてもいいわ」
そして、カイエンを見る。
「二人とも、カイエンの今の状態を確認するために連れて行ってもらえるかしら」
「はい、かしこまりました」
長い紫色の髪をしたメイド服の少女が歩み寄ってくる。
丁寧に一礼する。
「カイエン様、こちらへご一緒いただけますでしょうか」
カイエンは頷いた。
そして、その場を離れる前にライキョウを振り返る。
「俺が行った後、迷子になるなよ」
ライキョウは眉をひそめた。
「それ、どういう意味だ?」
カイエンは一瞬だけライキョウを見る。
「そのうち分かる」
そう言うと、彼はメイドの後をついて歩き始めた。
ライキョウはその背中を見送る。
「……」
そしてアイズラを見る。
「……あいつ、わざと俺を迷子にしようとしてるよな?」
アイズラは口元に手を当て、笑いをこらえる。
「そうかもしれないわね」
「ほら、やっぱり!」
ライキョウは遠ざかっていくカイエンを指差した。
「本当に仲間を思いやる気持ちがない奴だな!」
遠くから、カイエンの声が返ってくる。
「知るか」
「聞こえてるのかよ!?」
アイズラはまた笑った。
しばらくして、彼女はライキョウを見る。
「あなたは、いつもそんな感じなの?」
ライキョウは動きを止めた。
そして、頭をかく。
視線を少し横へ逸らした。
「ただ……ちょっと気になりすぎるだけだよ」
アイズラはすぐには何も言わなかった。
ただ、微笑んだ。
「それなら、好きに見て回っていいわ」
彼女は前方の廊下へ視線を向ける。
「私はまだ片付けなければならない仕事があるから」
「あなたは自由に見て回って。何かあったら、執事を呼んでちょうだい」
ライキョウは頷いた。
「ああ」
アイズラはその場を離れていく。
ライキョウは一人で立ち尽くした。
今度こそ、本当に一人だった。
遠ざかっていくアイズラの姿を、廊下の向こうへ見送る。
そして振り返る。
その瞬間――
背後から、突然声が響いた。
「おや!」
ライキョウは驚いて振り返る。
「アイズラ様がお客様を連れて帰ってきたっていうのに、俺に一言も知らせてくれないとは! 俺にも迎えに行かせてくれればよかったのにな!」
そこには、一人の男が立っていた。
ライキョウはその男を数秒見つめる。
「……誰?」
少し先まで歩いていたアイズラが足を止め、振り返った。
「彼はクロザネ・ライガ」
アイズラはその男を指す。
「ここの守護をしている人よ」
そして、少し笑う。
「ちょっと変わっているけれど」
ライキョウはライガを見る。
それからアイズラを見る。
「大丈夫」
ライキョウは頷いた。
「もう慣れてるから」
ライガは声を上げて笑った。
「ははは! よく言われるんだよ、それ!」
そしてライキョウを頭の先から足元まで眺める。
「でも、面白いな」
「アイズラ様が見知らぬ人をここへ連れてくるなんて、珍しいからな」
ライガは首を傾げる。
「もしかして、君はアイズラ様にとって特別な存在なのか?」
ライキョウはすぐに手を振った。
「いやいや!」
「俺はただ、偶然招かれただけだよ」
「ほう?」
ライガはさらに楽しそうに笑った。
「それはそれで面白いな」
彼は手をひらひらと振る。
「まあ、邪魔はしないよ」
「客なんだから、好きにしていい」
「どこを見て回っても構わないぞ」
ライキョウは少し目を見開いた。
「本当に?」
「もちろん」
ライガは笑う。
「好きなだけいていい」
ライキョウは周囲を見回す。
「ここに……ずっと?」
「そうだ」
ライガは腰に手を当てる。
「アイズラ様が見知らぬ人をここへ連れてくるなんて、本当に珍しいんだからな」
「だから、せっかく来たんだ。自分の家だと思ってくつろげばいい」
ライキョウは一瞬黙った。
そして、笑った。
「じゃあ、遠慮しないぞ!」
ライガも笑う。
「それでいい!」
彼は振り返り、そのまま歩き出した。
「ゆっくりしていけよ!」
ライガの姿が、廊下の向こうへ消えていく。
足音も、少しずつ遠ざかっていった。
……
ライキョウは、その場に立ったままだった。
一秒。
二秒。
左を見る。
廊下が一本。
右を見る。
そこにも廊下が一本。
前には広いホールがあり、そこからさらにいくつもの道へ分かれている。
ライキョウは、今度は自分が歩いてきた道を振り返った。
……
門が、もう見えない。
ライキョウは瞬きをした。
さらに数秒、黙ったまま立っている。
「……ちょっと待て」
ゆっくりと、目の前に広がる廊下を見回す。
「ここ……広すぎないか?」
ライキョウは大広間の中央に立ったまま、左右を見た。
左。
右。
前。
三つの方向。
ライキョウは顎に手を当てる。
「……どっちから行けばいいんだ?」




